20211107 遊び 戯れ 西行
遊びをせむとや生まれけむ戯れせむとや生まれけむ遊ぶ子供の声聞けばわが身さえこそ揺るがるれ 訳;自分の人生だ、しがらみに縛られずに生きるよ、勝手気ままに生きるつもり。無心に遊ぶ子供声を聞いたら、あんな風に自由に生きたくてもうじっとしていられないよ。西行の有名な歌は七五調で短歌形式ではありませんが、ここに出て来る「遊び」「戯れ」が何物か解決しないまま 時間が過ぎてしまいました。津の国のなにはのことか法(のり)ならぬ遊び戯れまでとこそ聞け 遊女宮木の歌訳;暮らしている浪速の話なんですけど、私が生業とするナニが仏の意志(仏法)に反するなんてことがあるかしら、遊び戯れることさえ仏道のご縁と聞いてるわよ。結論から言うと、遊戯を生活や暮らし維持の為の作業ではない行為と仮定して、その中で規則やルールのある遊戯が「遊び」、そのルールの無いあるいは反する遊戯が「戯れ」と考えています。そのルールは何かと問われれば 「神の意志」と答えるつもり。子供たちがする「遊び」にもルールが有り、未開の人々の暮らしにもルールがあり、すべてのルールに優劣はないとレヴィストロースから習いました。勘違いかな、どうかな…上記の歌は今様ですが、後白河院は梁塵秘抄口伝集の中で『江口神崎のあそび』からも歌を採取したと書いています。院の興味は身分の上下とは関係なかったようで、男色の相手を漁りに市中へ頻繁に出歩くとか、ある意味では自由人でありました。江口と神崎は大阪湾に流れ込む淀川右岸にあって上町台地の北端の上、四天王寺の北の辺りの地名で、『あそび』とは『遊女』のこと。遊女(あそび)の好むもの 雑芸 鼓 小端舟(こはしぶね) おほがさ ともとり女 男の愛祈る百太夫(法然上人絵伝より)訳;遊女の関心事は、今様、伴奏の鼓、移動に使う小舟、大笠、漕ぎ手と百太夫だよ 雑芸とは投壺、打毬、蹴鞠、囲碁、双六など(和名集)とされていますが、次の鼓は今様の伴奏に使ったものなので、ここでの雑芸とは今様のこと。小端舟は絵伝に見られる小さな舟で、遊女らはこの舟に乗って大型船に向かい、物売りなどもこの小舟を使って貴人の船に近づいたそうです。(一部拡大)おほがさは遊女にかざされた大笠で、ともとりは艫取で櫓を漕いで遊女を送る女子、そして遊女は男の情を百太夫に願っているワケです。百太夫は民間信仰の神で、特に遊女の信仰対象でした。江口神崎はいわば歓楽街で、例えば性空(しょうくう)上人は「生身の普賢菩薩に会いたい」と思った時、夢の中で「神崎の遊女の長者に会うべし」との託宣を受け、摂津の神崎に来て遊女の長者の舞いを見たのです。すると遊女はたちまち普賢菩薩となって今様が響き渡ったとか。(国宝普賢菩菩薩:大倉集古館)上人さまも人の子、煩悩の海をやはり漂流されたのでしょう。親鸞さんにも似たような話がありますね。修行中の身であればこそ煩悩の塊ですし、煩悩に正しく反応することは大切なことなのです。って、σ(^^ )宗教家じゃありませんけど。聖を立てじはや 袈裟を掛けじはや 数珠(ずず)を持たじはや 年の若き折戯れせむ 訳;もう聖の看板を下ろそう、もう袈裟は掛けまい、もう数珠を持つまい、若いんだから戯れしようぜ。ぐれたくなる気持ちはワカル。清水の冷たき二宮に 六年苦行の山籠り 数珠の禿(つぶ)るも惜しからず 童子の戯れ如何なるものそれ如何訳;穢れなく澄む水の冷たさにも負けず六年間、(比叡山鎮守の日吉山王社の)第二の宮で、伝教大師の心を受け継ぐ十二年籠山行のつまり半ばまで来て、数珠もすり減って潰れてしまったけれど惜しくはない。ただ、童子が戯れにつまり経典というルールブックを学ばずに仏像や仏塔を作ったとしても功徳になり仏の道を為すと言いきる(法華経)なら、この先の修行の苦しみと再び対峙する自分は ブレずに満願の日を迎えることができるだろうか?この童子は子供では有るけれど、寺に入っている子供。和泉式部日記冒頭の『故宮にさぶらひし小舎人童なりけり』の童と同じ。(一遍上人遊行図)「遊」の意味には「移動する・留まらない」意味が有り、遊行僧は全国を放浪する僧侶で、例えば箱根駅伝が傍を通るのでテレビに映ることもある「藤澤山 無量光院 清浄光寺(とうたくさん むりょうこういん しょうじょうこうじ)」は、遊行寺として親しまれる時宗の総本山ですが、開祖一遍上人は全国を移動しながら人々を救ったのです。つまり回遊して、遊行して教えを広め衆生を救われたのでした。音楽の「楽」も「あそび」と読みます。遊女は歌舞音曲を披露したので「あそび」と呼ばれましたが、舞楽の舞よりも音楽的な声や音に当時の人々は魅了されたようで、催馬楽には舞はありません。注)西行が詠っているのも自由奔放な子供の『声』で振舞ではありません。追記;冥きより冥き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月と、和泉式部は若いころに歌いましたが、詞書に「播磨の聖のおもとに結縁の為にきこえし」とあり、この「播磨の聖」こそ普賢菩薩に会いに行った性空上人なのでした。そして、時期的には遊女宮木と近い。