悲しやな掃き溜め菊と呼ばれても他に花咲く道の無ければ

 

注)ハキダメギクとは酷いじゃないかと義憤を感じて、というほどではありませんが、あえて「掃き溜め」と漢字を用いて歌にしました。それにしても学者先生はとんでもない名前をお付けになったものですね。


 

「悲しくも掃き溜め菊と呼ばれしも他に花咲く道の無ければ」

と直しが入りました。。ふ~む、2か所ある、一つは「も」、一つは「し」、こりゃ何だろう?

 

この歌を俎上に乗せたのは選者の手が入ったからですが、尊敬する歌人ですから反発はありません。

理解できないこちらが悪いのですが、迷いの方向が見つからなくて悩みました。その悩みの経過を開陳しますね。

 

「悲しやな」は形容詞「悲し」の終止形、そこに終助詞「やな」を付け感動詠嘆の意味のつもりでした。

 

文法的には例えば百人一首の「見せばやな雄島のあまの袖だにも濡れにぞ濡れし色は変はらず」の「みせばやな」の「ばや」は願望の終助詞で接続は未然形、「な」は詠嘆。後者を「かなしやな」の「な」と同じと考え、「やな」を「や」+「な」とし「や」は間投助詞とすることで解決します。

 

 

(今朝は散歩中にさいたま市の好きな観音寺さんが見えた)

 

 

「悲しくも云々」の第一印象は終助詞「も」で逆接の意味かなと思いましたが、そうすると連体形に付くので、「かなしきも」あるいは「かなしかるも」でなければならないので違う。

感動詠嘆の終助詞とすると、「悲し」+「も」と終止形で使われるはずで、これは違う。

 

 

(トンボは恋の季節らしくて、、映り込んじゃった)

 

 

結論として「悲し」の連用形「かなしく」+「も」が妥当なところでしょうか。

強意詠嘆の係助詞「も」とすると結びは終止形ですが、この歌では最後の述語が見当たりません。

 

しかし、元歌は「掃き溜め菊と呼ばれても他に花咲く道の無ければ悲しやな」の倒置になっているのです。

 

 

(朝8時過ぎの月)

 

 

 

ひっくり返した初句の詠嘆「やな」が不作法だったか?とも考えましたが、

手直ししてくださった「悲しくも」も同じく詠嘆しているので、本質的な問題ではなさそうです。

 

 

(荒川・白鷺が低く滑空中)

 

 

では次の「呼ばれしも」はどうでしょうか?

「し」は回想の助動詞「き」の連体形ですから、ここは逆接の終助詞「も」となります。

意味は「掃き溜め菊なんてよばれちゃったけど」ですね。

 

(脚が出て着陸態勢に入りました)

 

 

 

 

歌としては「悲しくも」~「呼ばれても」と 2回目の「も」が息苦しい気がして。。

 

なので個人的に精神衛生上好ましいかなと、少し御託を並べて 抵抗してみました。

 

すっきりしたけど、割と面倒な人間みたいだσ(^^ )

まだ もやもやしてるから