ある問い
自分とは何か?
これは、転職を考えている会社での面接の際、
支社長が私に投げかけた問いです。
わからんよ。
どうすればいいか、自分の中、外、探し回るけどなかなかたどり着かない。
答えなんてない。そうだと思う。
だからこそ、探してみる価値があるのかも知れない。
深く潜った、自分の意志はどこへ行っちゃったんだろう?
小さいころ、
特になりたい職業は無かった。しいて言うなら歌いたかった。
人前に立つことが嫌いじゃなかった。むしろ大好きだった。
認められたかったからじゃないかなあと、今は思う。
音楽はずっと好きだった。今も好きだけど、生業とするとは思わない。
表現者、メッセンジャー、宣教師・・・どれも似ているけどちょっと違う。
ぬり絵の枠を提供したかった。例えるならそんな感じ。
色は受け取った(感じた)人が好きにすればいい。
芸術ってそういうものだと思う。
受け手のいない芸術は虚しいだけ。オナニーみたいなもんだ。
そう思う。
もちろん、違うよバカ!って思う人だっている。
そうかもねって人もいるかも知れない。
このブログを芸術だと思って書いているわけではないけど、
自分の表現を受け取った側が感じるという意味では、芸術と同じだ。
ピカソもゴッホもバッハやシューベルトだって、
受け手がいないなら、今の話の流れでいくと芸術でもなんでもない。
ニュース
ニュース。
特に大人が子供に対して振るう暴力のニュースを見ると、
悲しくなる。
また、親の暴力で小学校に入って間もない息子が殺された。
ゴハンを食べるのが遅いから。
これが理由だ。
この虐待に対して、行政は去年9月から認識していた。
児童の左頬にあるアザに疑問を抱き、歯科医師が市に問い合わせたそうだ。
市、学校が連携し、その後 学校長が家庭訪問を行い、
暴力を二度としないと誓わせた。
しかし、その後も頭痛などを理由に、
児童は学校を休むことがしばしばあったそうだ。
その結果がこれだ。
行政がもう一歩踏み込めないのか?
そうも思ったが、やはり限界もある。
加えて子供は、親を「たとえどんなに暴力を振るう愚か者でも」信じている。
なかなか、表面化しない。
強制的に、介入できるようにしなければ、このような事件は繰り返されるだろう。
食べるのが遅くて殺されるのなら、
友達同士で楽しくしゃべりながら食事しているような場所は、
たちまち殺戮の場と化す。
-弱いもの達は夕暮れ さらに弱いものを叩く-
有名な曲の一節だが、胸が痛い。
死刑には値しないだろう。
しかし、子供に与えた苦しみを 味わうようにさせたくもなる。
1月10日
誰かが持つ、他人へのほんの僅かな差別の気持ちが、
ときに膨れ上がり、ときに暴発し、悲しい歴史を産む。
私達人間は、何度同じことを繰り返せば気が済むのだろう?
遠い国の知らない時代の話・・・
それならば、改めて教訓にすべきだ。
しかし、間違いなく 今も差別は消えない。
運良く、今の日本は国家間の争いから離れている。
しかし、それは、表になっていないだけのことかもしれない。
私はユダヤ人でもイスラム教徒でもなければ、差別を受けた者でもない。
だからこそ、慎重にならなければいけない。
生まれた場所や、親から継いだ血や、ましてや肌の色で区別するなんてことは、
最低の人間がすることだ。
人を測る「ものさし」はどこにも存在しない。
足が遅くてもいいじゃないか。
勉強が出来なくてもいいじゃないか。
特技がなくてもいいじゃないか。
「平和な国日本」で、差別が全くないと言えるだろうか?
自分が何かに秀でている、それなら尚更、恵まれたことを感謝すべきだ。
それで、自分だけでなく誰かのためになるなら最高だ。
それが、思いやるってことなんじゃないかな。