徳洲会病院の創設者の
「徳田虎雄」が
7月10日に
亡くなりました
ALSを発病しながらも
86歳まで頑張ったのは
かなりの強い意志の
持ち主ですね
「徳洲」と言うのは
「徳之島」と言う意味
徳之島で高校まで育ち
故郷の愛着は強かった
と思います
私は、
中学生から高校時代
父と兄に連れられて、
夏は徳之島へ行くのが
恒例となってました
定宿は島の東の「平土野」
島の中心は東の「亀徳」
二つの街ともに
夜になると
港に人が出て
釣り糸を垂れる人が
結構居たのを
覚えています。
そんな感じの島は
ノンビリしてるな…が
私の印象です
所が、こんな平和なですが
名物は「闘牛」で
荒々しい牛が名物で
試合が有ると
島の東西別れて
島の人たちは
燃えてました
実はもう一つ
島民が燃えることが有り
それが「選挙」です。
北と南か東と西か
忘れましたが、
とにかく選挙となると
島が二分する位の
「燃え上がり」が起き
確か「刃傷沙汰」も有った
と聞きます
実は徳之島は
一見ノンビリした島ですが
中の住民は
燃える人たちなのです
徳田虎雄の「虎」は
やっぱり… ←想像です。
私も就職後は
徳之島へ行く事も無くなり
関心も無くっていました ←妻の事で手一杯
1983年に徳田は
徳之島の衆議院選挙に立候補
これは「もめるな」と
思いました。 ←かなり凄い選挙戦だったらしい
三回目の立候補で
ようやく衆議院議員に
その後も色々と…
政党間で衝突してました
信念に
「生命だけは平等だ」
は大いに結構ですが
「人命救助のためなら、
人殺し以外は何でもやれ」
って事も言ってます。
あと有名なのは
「黄色信号は注意して渡り
赤信号は左右を見て渡れ」
信念がこれだと
やっぱり、
揉めますよね
私も10年間
病院という場所で
働いていました。
自民にも共産にも
握手する理事長の病院
ですけどね。
理事長は徳田さんが
好きでは
無かったようです
医師会ともめてますから…
(同じ阪大出身
阪大出身の医者は
気が強いわ…) ←個人の感想
すぐ近所に徳洲会の病院が
有りましたが、
諸般の事情で
経営的には厳しかった。 ←その後閉鎖
大阪に徳洲会系が
10病院有ります。
神奈川も10病院有ります。
東京は2病院
鹿児島と沖縄に13病院 ←離島にもね
考えるに
大阪・関東などの
病院の利益を
鹿児島などのへき地医療に
持って行って…
なんて考えも
有るのかな ←想像です
東京は…
官製ガチガチ病院が
縄張り押さえて
医師会天国ですから
徳田さんは嫌いだった
のかもしれない ←はい、想像です。
徳洲会病院は
色々問題も有ります
若い医者が多くて
独立目指す医者が多い
医療と言うか
修行と言える
医療現場でもある ←私の知る限り
研修医の給料安すぎる
土日には
他の病院のバイトで
忙しくて激務です
でも、
いろいろと鍛えられる。←修行の場
徳洲会病院
私関係の人たち
義母や義父とか
結構入院してます ←河内付近
義兄が亡くなった病院
義母の最期の時に
救急で断られて
行けなかった ←ERが満床だったと思う
なんか変だと
思った事も有ったけど。
「黄色信号は注意して渡り
赤信号は左右を見て渡れ」
の精神が有ると…
大黒柱 ←精神的にね
を失った徳洲会
どんな変化が
有るのかな
興味はあるが
とてもじゃないけど
赤信号無視では
入院したいとは
思わない ←私も兄の事で…by妻
※前にも書いたけど
義兄は
徳洲会病院退院予定の
前日の夜に
病室の椅子で
座ったまま
あの世へ行った
徳田虎雄さんの
ご冥福をお祈りいたします。