キューバの文化政策と映画  | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

今年のキューバ映画は、さらなるインディペンデント作品の活躍が予想されます。

以下に紹介するテキストは、2010年の「キューバ映画祭inサッポロ」のプログラムのために、マリオ・ピエドラ教授が寄稿してくれた文章。

 

あれから10年以上が経ち、2019年から20年には検閲が原因の波乱があり、新たな展開が起きていますが、とりあえず〈1959年から2010年までの大まかな流れ〉としてブログで公開します。

 

キューバの文化政策と映画     マリオ・ピエドラ(ハバナ大学教授)

 

1959年の革命勝利後しばらくの間、キューバでは文化政策が規定されることはなかった。つまり、文化の制作・流通・交流・用途・消費の関係を統制するような動きは起きなかった。

始動したばかりの革命体制下では、文化の役割、創造の自由の範囲、それらと国家の役割について各々の立場から多様な姿勢が共存していた。

 

1961年6月になって初めて革命政府により文化政策が設けられた。因みにその公的効力は今も失われていない。当時、新生政府は芸術的創作に関する自らの立場を確立するため、官僚およびアーティスト・知識人を招集し一連の集会を開いた。閉会時、首相にして革命の紛れもない指導者フィデル・カストロは、アーティストやクリエーターの表現の自由の権利について、国の文化政策の基本方針となる言葉を発した。「革命の内にはすべての権利があるが革命に反すれば一切ない」と。

 

このフィデル・カストロの言葉は、いざ政策を規定する段になると極めて曖昧だ。何が革命の「内」で何が「反対」なのか。これまでの我が国の文化政策はその解釈のいかんに依ってきたと言える。従って一枚岩的な唯一の文化政策というものはなく、むしろ様々な解釈が存在し、時と場に応じて変わってきたのである。

 

それぞれ異なる複数の姿勢が、対立や論争が無くはないものの、共存し得た理由はこの事実にある。例えば、ICAIC(キューバ映画芸術産業庁)では、創造の自由の許容範囲が比較的大きかった。他方、旧ソ連色の濃い教条的(ドグマチック)でセクト的な姿勢も併存し、こちらの方が他の文化的活動やキューバ社会全体では優勢だった。

 

ICAICは公式の文化政策を尊重しつつも、より柔軟で幅広い解釈を(特に組織内で)擁護・維持してきた。そこから自律性の高い作品が生まれ、国内外で威信を高めてきたのである。具体例を挙げると、映画界とテレビ界では長年に渡り姿勢が異なってきた。ICAICが製作した映画で理由不明のまま禁止処分になった作品は多く、テレビで放映されていない。

 

文化政策をソ連流に教条的に解釈する立場が(全盛とは言わずとも)最も優勢だったのは、「灰色の5年間(1971~76年)」と称される時期だ。この間「反革命」と解釈し得る範囲が著しく拡大し、性的嗜好や宗教的信仰の領域にまで土足で踏み込んだ。一方「革命の内」と見なされるには政府の取り決めに忍従せねばならず、批判や些細な姿勢の違いが入り込む余地はなかった。その結果、不信感が漂い芸術的制作が萎縮してしまった。演劇や文学のように荒廃してしまった分野もある。ところが映画の場合、影響を免れはしなかったものの、他と比べると「灰色の5年間」の支配的立場は遥かに弱かった。その証拠に、キューバ映画のなかで最も批判性と反骨精神に富む作品のうち何本かはこの時期に撮られている。

 

1976年に文化省が創設されると、「灰色の5年間」の暗い影は後退していった。しかし、独立機関としてのICAICも姿を消すこととなり、新設された文化省内の「映画領域」として位置づけられた。ICAICは他の多くの分野同様、単なる付属機関と化したのである。

 

それでもしばらくの間は、文化政策に対し「映画領域」はなんとか独自の立場を維持していた。だが、それも映画『セシリア』(1981年)に端を発した教条派からの攻撃によって挫かれた。「独立性」は大きく損なわれ、その影響は80年代のキューバ映画に明白に反映し、

薄っぺらなコメディや凡庸な作品を生んだ。

 

80年代末、一連の決定的な変化により、映画は再びある程度の「自立性」を回復する。それにより数年前には不可能だった作品が出現した。『不思議の村のアリス』(1990年)は、またしても教条主義者や狭量な人々の間で非難を巻き起こした。だが「危機」の中からICAICは蘇り、固有の強い姿勢を取り戻す。そして90年代を通して『苺とチョコレート』のように反抗と疑問を呈する作品が数多く誕生した。

 

とはいえ90年代(およびその後の20年間)の最大の特徴といえば、組織に依らない映画製作の登場である。この現象を担ったのは若者たちで、彼等は低予算で撮れるビデオの可能性に群がった。その一方でICAICの映画は、ほぼ全面的に外国との合作に転じた。

 

こうした動向と芸術的・知的制作への寛容さが相まったところに21世紀の映画製作の輪郭は現れる。「若手監督作品上映会」や「国際新ラテンアメリカ映画祭」に向けて製作・上映される作品は、今日でも革命の「内」か「反対」かの境界を問う試金石だ。

今、創造への新たな段階が開かれている。           (訳:寺島佐知子)

 

Marysolによる追記

残念ながら「若手監督作品上映会」は、この映画の検閲事件を機に消滅。

そのため2019年が最後になります。