読書メモ:「La mala memoria」(3):「パディージャ事件」後~亡命(1980年)
*個人的関心事のみ
・公安は不満分子を迫害し続け、友人の多くは逃亡または閉じこもる。
・作家やアーティストを装ったスパイによる摘発
・文芸雑誌で社会主義国の協力者が増加するが、エフトゥシェンコなどは禁止
※エフトゥシェンコは、ソ連・キューバ合作映画『Soy Cuba(邦題:怒りのキューバ)』の脚本を担当した著名な旧ソ連の詩人。
パディージャの友人でもあった。(読書メモ1)
・文学は党に奉仕すべきものとなり、スターリン時代のソ連の路線になる。
参考記事:1971年4月、第一回全国教育文化会議
・1972年9月、友人アルベルト・モラ自殺
・公安にとり、真の危険はパディージャを訪ねて来る外国人たちだった。
ゆえに夫妻はエスカンブライに移住させられるが、特権的待遇を受ける。(フィデルの意図)
・党関係者と農民たちの実生活との違いに気付く。
ハバナに戻り、翻訳者として出版社で働く。政府からは敵意をもたれていた。
1978年、突然、亡命キューバ人に対し開放政策がとられる。
→ 大勢の移民の一時帰国と(元政治犯を含む)出国の動き
ホテル・リビエラに滞在中のガルシア・マルケスに出国の意志を伝える。
その際、政治的理由ではなく、「スペインに息子がいる」ことを理由にあげる(警戒を解くため)。
(マルケスは「パディージャ事件」で大事な友人たちを失っていた。
パディージャの亡命が反革命に利用されることを危惧した)
アレッホ・カルペンティエルとの会話:「革命が過ちを犯しても大義に忠実であれ」(マルケスと同意見)
1979年、妻ベルキスが息子エルネストと出国。
・ビルヒリオ・ピニェラ(詩人・作家・劇作家)の死と思い出
・「ルネス」のこと
1980年3月 許可が下りて、キューバを出る(妻と子供たち、アメリカの友人たち、マルケスの協力)
※フィデルとの会話が興味深い。彼が革命に絶対の自信をもっていることがよく分かる。
その極一部(映画に関する部分)を紹介
フィデル:革命の文化のなかで賞賛すべきものは君にはないのか?
パディージャ:創設された全出版社は賞賛できます。
フィデル:それだけか?
パディージャ:映画産業も。キューバは自国の映画をもち、素晴らしい作品もいくつか生みました。
※恐怖を覚えた箇所
Pedro Luis Boitel:ハンガーストライキにより獄死
Pedro Chávarri:元外務副大臣・7月26日運動闘士. 批判的言動がフィデルを激怒させ、投獄
Martha Frayde:政権の専制化を批判し、3年間収監
Jorge Valls:マルコス・ロドリゲス裁判で被告を擁護する証言をしたことにより、懲役20年の刑
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