1959年生れの文化グループ・メディア(一部 | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

革命が成就した1959年にできた文化グループ(A&B)とメディア(C)

※今後の展開や個人的関心対象のみ紹介しています。カサ・デ・ラス・アメリカスは割愛。

 

A) ルネス・デ・ラ・レボルシオン(革命の月曜日) 略称ルネス

  編集長:ギジェルモ・カブレラ=インファンテ ※写真はルネス編集室のG.C.I.
  その他の主要メンバー:パブロ・アルマンド・フェルナンデス、ウンベルト・アレナル、  エベルト・パディージャ、ホセ・アルバレス・バラガーニョ、アントン・アルファ、ビルヒリオ・ピニェラ、アンブロシオ・フォルネー、エドムンド・デスノエス


G.C.I. ルネス 革命闘争を担った「7月26日運動」の機関紙「レボルシオン」の月曜日版(文芸特集版)で、第一号はICAIC設立法が発行する前日(1959年3月23日)に刊行された。

 

基本姿勢(G.C.インファンテの言葉)
我々は文学的にも芸術的にもグループを形成してはいない。

むしろ同年代の友人同士という関係である。特定の政治思想もない。ただし現実へのアプローチ・システムを拒むものではない。そのシステムとは、唯物史観的弁証法、あるいは精神分析、もしくは実存主義を指す。

 

「ルネス」はジャンルや思想、地域にこだわらず、多様な文化情報をキューバ国民に提供した。

目指したのは、キューバ文化の牽引役となることで、その姿勢は開放的だった。

ダイナミックに変わりゆく現実を対象とし、旧世代(例:「オリヘネス」)と対立する立場をとる。 (A.フォルネ)


参考記事: http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10115127266.html

 

B) キューバ映画芸術産業庁(略称ICAIC)

    ICAIC 

    左からフィデル, アルフレド・ゲバラ、アレア、イェリン
  
   総裁:アルフレド・ゲバラ     
   顧問:ギジェルモ・カブレラ=インファンテ、トマス・グティエレス=アレア、他1名
   その他の主要メンバー:サウル・イェリン、フリオ・ガルシア=エスピノサ、サンティアゴ・アルバレス、ホセ・マシップ、ラウル・タラドリ、マヌエル・ペレス、ウンベルト・アレナル、ネストール・アルメンドロス

 

ICAICについて: http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10068815587.html

1959年の年表: http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10089273892.html

I

C) 通信社「プレンサ・ラティーナ」
フィデル・カストロとエルネスト・“チェ”・ゲバラがイニシアティブを取り、1959年6月12日に創設された。
デスクはアルゼンチン出身のホルヘ・リカルド・マセッティ。
彼のもとに、ガブリエル・ガルシア=マルケス、ロドルフォ・ウォルシュ、ロヘリオ・ガルシア=ルポ、カルロス・マリア・グティエレスなど、若く有能なジャーナリストが、革命の声になるべく集まった。

マセッティは1958年にシエラ・マエストラでフィデルに最初に優れたインタビューをした記者で、革命に関わっていた。

 

Marysolより

グループAとBのメンバーは、革命前のシネクラブの活動を通して友人同士だった者も多い。

G.C.インファンテは、当初AB両グループに属していたが、まもなくAの活動に専念するためBを辞めたと思われる。

「レボルシオン」紙主幹のカルロス・フランキとG.C.インファンテは親友同士だったので、革命が勝利すると、フランキはC.インファンテを「レボルシオン」に引き入れ、「ルネス」を任せた。