言葉 8. | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.














そして
息子の絵を見て 
だんだんと
わたしは









これは
普通の感覚のひとが
描く絵ではない
と思うようになった










そして
息子には
想像以上の知性があることは
体験としても直感としても
わかっていたが












でも、それは
知性が高い 
感性が素晴らしい
感覚が鋭い 
というレベルの話ではなく



  








それは
人間の原点であり
ゴールである










人生のしくみや
宇宙の叡智や
宇宙の秩序や
愛や光や意識など




 





〝全てを知っている〟
人にしか
描けないような絵で










それは
知性や愛に溢れている
というより









知性や愛
そのもので










覚者、神、神性という
次元の表現ではないか
と思うようになった




















そして
わたしは
息子に爆発的な
絵の才能が現れた後も











息子には
絵を描く以外にも 
何かを表現しそうだ
と思っていて










それも
絵を描くように









〝万人に通用する〟
わかりやすいものだと
思っていたら












このような事が  
起こってきた

























 


そして 
さらにそれは
どんどん
息子の絵のように










一瞬
なっていった










わたしはそんな
息子が
絵を描くときのような









一瞬
その一瞬に込められた









息子の
爆発的な
言葉のセンス













それを使う
唸るようなタイミングが
狂うくらい好きになった
























それは
最低限の手の機能と
直感的で純粋で爆発的な感覚と
宇宙の秩序との調和によって
生み出される










息子の絵と
同じ奇跡で










息子の言葉も
語彙が少なかったり 
長い文章を話さなかったり
難しい言葉を使わない
という










一般的に言われる
不器用、制限、不自由
というものがあったが









だからこそ
そのエネルギーが
内側に向かい










そして
誰もの中にある










その奥の
目覚めた
無限の可能性や
愛や純粋さが










その
どこまでも削ぎ落とされた
一瞬の言葉に











爆発的に
込められているのだと
思うようになった
























だから
息子が通う
松山先生が












「絵は一瞬であるほど美しく
りんくんの絵はそんな絵なんです」
と言うように











息子の
その一瞬の言葉も









唸るほど
息を飲むほど
息が止まるほど
美しいと










わたしはだんだん
感じるように  
なっていった


























そして
息子が2歳で脳障害を負い
すぐにリハビリを始め
それに一区切りをつけた
5歳のとき










一旦
オウム返しになったり
それも一時期無くなった
言葉が










また
息子が言いたい言葉を
少しずつ少しずつだったが
言えるようになってきたとき









わたしは
それは










0やマイナスだった言葉が
になった瞬間だった
と表現したが










この
純粋で爆発する
芸術的な才能や
知的な息子の言葉は










それどころでなく
0(無限)だ
と思うようになっていった