言葉 3. | ブログ.

ブログ.

事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.
















だから
わたしは
今までは












普通のひととは違う
言葉の使い方や
表現の仕方をする










癖が強い元夫
障害者と判定されている
息子との会話では









単純に
見える、聞こえるという
表面的な言葉だけを
とらえがちだったが











それだけでは
いつも彼らが
本当は何が言いたいのか 
分からなかった








だから
その後少しずつ








その言葉と共に
言葉の背後にある
見えない、聞こえないエネルギーも
感じることを始めた









でもそれは
言葉よりエネルギーを読み取る
元夫の聞き方、感じ方
とは違い









彼が
言葉よりエネルギー
又は
言葉かエネルギーかなら
わたしは
言葉もエネルギーもで










彼が霊感的なら
わたしは直感的という
わたしの個性を
大切にしながらだった





 



そしてそれを
何年も何十年もかけて
脳も感覚も
フル回転させながら








時おり
限界でパニックで 
半狂乱になりながら








一つ一つ
1ピース1ピース
パズルをはめる生き方は









今思っても
この先に
完成があるのか…
不安と気が遠くなるような
生き方だったが











でも
先のことは考えられず
ただ、今出来ることを
もがきながらも
一瞬一瞬やっていて












結果それが
物凄く物凄く良かった












それは
自分の使える
体や感覚や能力やエネルギーを
使えば使うほど










わたしの
感覚も五感も直感も
研ぎ澄まされていったから
だった






 


そして
元夫の言葉は
癖が強すぎて複雑すぎて
最後まで分からないことのが
多かったが













それも後に
わたしには必要な体験だった
と腑に落ち








そして
わたしは
息子の言葉は少しずつ
立体的に多角的に多次元的に
とらえられるようになっていき








 
息子との
コミュニケーションの
少しずつ変わっていった






















また
わたしは









息子が障害を負って
2ヶ月くらいしたころ
鬱と診断されたのだが








その頃は
家族皆が大変すぎて
鬱になっていられる場合では
なかったが









息子が小学生になった
この頃わたしは
再度鬱と診断され
さらには
パニック障害と診断され









わたしは
自分のやりたいこと
食べたい物
言いたいことなど全てが
分からなくなったときがあった











だから
「今わたしは
コーヒーが飲みたいのか、紅茶なのか
コーヒーなら、ミルクと砂糖はいるのか
アイスかホットか、またはカフェラテか」
など










欲求(内)と味覚(外)を
一致させるということを 
一つ一つ丁寧にしていた









それは
欲求=思ったことを 

飲む、食べる、どこかに行くなど
行動に移した結果

それが
美味しいのか、嬉しいのか
という一つ一つを確認する作業だった








また、それは
言葉においてもで










自分の言葉を
客観視してみると








無意識に言葉を使ったり
口や頭が勝手に喋ったり
他人の目を気にして話したり
自分の本音より
話の流れに合わせて話すことが
あるなど










いかに
本音を話していないか
という事実に
愕然としていた

 








だから
言葉もまた一つ一つ
本当に言いたいことを
自分と対話しながら
丁寧に話すようになり









それは
全てにおいて
無意識に
生きてきたのを








意識的に
自分の選択や意思だと
責任を持って
人生を生き始めた 
ということで








それは
自分の思いと行動の
どれを信じたら良くて
どれは手放す癖なのかという
自分を知り、整理する作業で











それも
わたしにとっては
物凄く大切な経験で










それにより
少しずつ
本音=直感で
生きるようになっていった






















そして
その頃息子は
幼稚園から小学校の
特別支援学級へと進み
その頃の言葉は










同じことを何度も言ったり
真逆のことを言ったり
多弁気味で
幼い
ということはあったが












かなり
言葉が繋がり
会話ができるように
なり











このような
小学生や障害児という枠を越えた
ドキッとするような言葉も
極たまにだが
話すこともあった













またその頃
わたしは
息子には










〝健常も障害も関係の無い
無限の能力があるのではないか…〟
と思うようになり










さらに
息子を観察し
自分の本音を大切にし
人生の流れを感じながら
それが何なのかを
探していたので






   


そんな
霊感やスピリチュアルなことも
もちろん才能だとは思ったし
凄い才能だと思った










でも
わたしは
息子の才能も
わたしと同じように
霊感的より直感的で









見えるものを信じるひとにも
見えないものを信じるひとにも
万人に通用する才能だと
思っていたので