言葉 2. | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.
















そして
息子
障害を負ったと同時に
導かれるように








 

世界一ハードだと言われていた
脳障害児のリハビリ
始めた










そして
そのとき元夫
元々そういう傾向はあったが
息子の障害をきっかけに
死を常にちらつかせるようになり










さらには
猪突猛進に
狂ったように突き進む
わたしに抵抗するように
暴れ、キレ、破壊的になり










わたしはそんな環境の中で
それはそれはもう
必死で











「ああ、
〝必死〟って必ず死ぬということか…」
と思いながら
ほぼ3年し続けた










そして
その結果










癲癇の発作が無くなったり

多動が無くなったり

ごま粒や小さい飛行機が
見えるようになったり

水への執着や自傷行為など
異常行動などが無くなったり

目が合ったり
迷子になったらわたしを泣きながら探したり

抗癲癇薬でいつも朦朧としていた目が
キラキラと輝き
生き生きと生き始める
など








息子の
元々の治癒力も
運命もあるだろうが
リハビリの効果も
それはそれは大きく









混沌としていて
どこから手をつけたら良いか 
分からないくらいに混乱していた
息子の世界に
秩序が現れ始めた










それは
言葉の分野もで









リハビリを辞めるときには
まだ言葉がスラスラと
出る状態ではなかったが









言葉の頭文字が
どんどん出始め

言いたい言葉と
出てくる言葉が
どんどん一致し始め

話したい欲求が
どんどん溢れてくるなど









それは
0やマイナスや
それ以外だった言葉が 
1になった瞬間だった









また
リハビリプログラムの
一つで









言葉の出にくい子どもたちに
それが適切に出るまで
文字盤などを使って
アウトプットをさせる
というものがあった









そして言葉は
2才頃から
そのリハビリの
知性のプログラムで









ひらがなも漢字もカタカナも
関係なく
何百、何千という
単語や動詞や文章を
教えていて











それがかなり
インプットされている
と判断された
ある日








研究所のスタッフが
4歳の息子に
「何か学びたいことはありますか?」
と聞いた









すると息子は
初めての文字盤だったのと









子どもたちは
言葉を指すのはできるが
その指した指を
元に戻すことが
苦手な子が多いため









わたしが
息子の手首を軽く持ち
元に戻すときだけ
サポートをすると









息子は
「え・い・ご(英語)」 
「け・ん・ち・く(建築)」
と指し










わたしは叫び
震えたことがあった









だからそれにより
息子の言葉には
まだ出ないけど
内に秘めた知性は









年齢以下どころか
年齢以上の
想像以上のものが
育っていることがわかり









その方法は
一般的ではなく
誤解もされやすいので
ずっとするつもりはなかったが









それがどこまで成長し
どうなるのかは
一切分からなかったが
わたしは少し
ホッとするようになっていた





















そして
そこにはさらに
想像以上のことも
起こった








それは
そのリハビリは
どこかの施設に通ったり
理学療法士さんにお願いするような
リハビリではなく










脳の仕組みと
子どもの脳のどこに傷がついたかと
そのためにどんな刺激を与えると
どんな変化が起こる可能性がある 
という理論を









素人である親が
何冊もの著書やビデオや
何十時間もの講義を受けて学び









アメリカのフィラデルフィアに
本部を持つ研究所や
日本支部のスタッフと
連絡を取りながら
自宅で









休みなく
朝から晩まで
寝る間も呼吸器に入り
脳に刺激を与え続け





  

眠った脳に
傷ついた脳の役割を
肩代わりさせる
というものだった










だから
わたしは









その、何百、何千枚という
手作り教材の準備や
その他の道具の手配や

30人以上のボランティアさんの
スケジュール管理や

研究所に定期的に提出する
厚さ1cm以上にもなる
膨大な報告書や

その、分刻みのスケジュール管理や

リハビリにかかる
何百万もの費用のことや

水分調整、アレルギー除去など
栄養管理やサプリメントのことや

まだ小学生と幼稚園児になったばかりの
二人の娘の行事や習い事や友だち関係のことや
そんな壮絶な環境の中での
心身のサポート

研究所の本部がアメリカだったことから
慣れない英語に触れるということを










仕事には
きちんと行ってくれていたし
その後
リハビリも休みの日は
手伝ってくれるようになったが










鬱やアル中や自殺願望が強く
常に刃を向けてくる
元夫と暮らしながら
一人で必死にしていた











すると
リハビリが終わる頃











ふと
クリアになっていることに
気づいた












それは









表面的で
混乱していた

わたしの人生が









息子の突然の障害という
奈落の底を経験したことで

凄まじい破壊が起き










その後
まだ混乱しながらも
純粋な思いや愛で
たくさんの方の温かさに支えられて
必死に生きたことで










わたしの脳も
息子の脳のように
再生、生まれ変わってきた
ということのようだった










そしてわたしは
特に言葉のことで困った
と思ったことはない
と思っていたが










そのリハビリにより
思考も言葉もスッキリし
前より知的な自分が
現れてきたことで










いかに今まで
言葉も思考も人生も
混乱して
生きにくかったか
に気づき











混乱していたのは
息子もだが
わたしもだったのか…

とハッとするという









予想外のことも
起こっていた
























そして
そのリハビリに
限界を感じ始めたころ









わたしは
いつものように
障害児と判定されている
息子と









障害児を知るためには
健常児を知ることも
必要だと












健常児と判定されている
二人の娘たちを
じっと観察し続けていた









すると
息子の言葉が
スムーズなのは










お風呂の中や
寝る前など
家族が
リラックスしているときで









そのとき
娘たちも
のびのびしていることに
気づいた










だからそれは
しているときで










だから
が子どもに
何をしてあげるかも
大切だが








親がリラックスしているかどうか

親がどう在るか

親が幸せかどうか









障害健常関係なく
全ての子どもの成長には
大切なのではないか
とハッとした






















だから

それが大きなきっかけとなり

わたしはリハビリに

一区切りをつけ










そろそろ息子には

社会性が

必要だと思っていたこともあり

息子を幼稚園へと

通わせ始めた











そして

それと同時に

今度は











ずっと避けてきた

精神世界、スピリチュアルな分野の同じ本を

同時に三人の方から紹介される

ということが起こり











わたしは

リハビリと同じく

ああ、もうこれは

避けられないことだと

その扉を開け始めた











そして

それはその後

また猪突猛進に 

狂ったように 









一生分というくらいの

何百冊という本を

読み続け 









わたしは

感覚と言葉の

その世界

夢中になっていった











そして

その中でも

奇跡やシンクロ

気になり











さらには

愛子という名前で

生きてきたように

愛について探求するようになり











そこにやっと

子どもの頃からの答え

見つけたわたしは










言葉という

現実世界も

大切にしながら








言葉の背景にある

見えない世界も

大切にし始めた














言葉 1.



言葉 3.