わたしが
育った環境は
小説や週刊誌などは
読んでいたが
読まないひとで
母の体験と
偏った思い込みなどから
「本を読むひとは理屈っぽくなるから
読んではいけない」
くらいに言われていた 笑
でも
2歳上の姉は
子どものころは特に
本が好きで
よく読んでいて
わたしは
だから
読まなかったわけではないが
わたしもあまり本が好きではなく
どちらかというと苦手で
だから
自発的に
目に見える言葉に
触れ始めたのは
学校の教科書や
大好きなファッション誌や
インテリア雑誌以外では
学生や社会人となり
電車で小説などを
読み始めたときだった
そして
わたしは
絵を描いたり
デザインをしたり
手紙を書いたり
交換日記を書いたり
ということは好きだったが
日記を書いたり
メモを書いたり
頭の中を言葉で書いて整理する
ということはしなかったので
わたしにとっての
言葉というのは
ずっとそれまで
家族との会話やテレビなど
耳から聞こえる
日常的な喜怒哀楽のある
浅いものや
他人との間で使うものが
ほとんどで
言葉に
特別興味も無ければ
読書感想文が好きで選ばれる
ということも一切無く
今思うと
家族もわたしも周りも
言葉を無意識に大切にせず使う
環境だったなと思う
でもその一方で
そんな環境の中で
わたしは子どものころから
時おり
「なぜこの世に罪と罰があるのか…」
「無条件の愛はどこにあるのか…」
「無限はどこにあるのか…」
「わたしは神に苦しいほど愛されている…」
という
誰に教わったのでも
どこかで聞いたのでも
何かを見たのでもなく
内から湧く
感じて生きていた
でもそれと同時に
‘神様とは杖を持った
白い髭の生えたおじいさん’
という一般的に言われがちな概念も
知っていたし
先のような感覚を
言葉でそうはっきり認識するのには
時間がかかったし
それらを
常に意識して
生きていたわけではなく
普段は
そんな家族の中の
そんな環境に
埋もれながらも
自分の内の
どこかには在るのを
どこかで分かっている
という感覚で
生きていたように思う
そして
20歳ごろ
元夫や、その家族に出会った元夫も本は全く読まないが
漫画は読むひとで
義母が本をよく読むひとで
そして
わが家は
皆が、単純で、喜怒哀楽が
激しかったが
元夫家族は
義父はシンプルなひとだったが
他の家族は
わが家とは真逆の
複雑で、感情を抑えるような
家族だったこともあり
どちらが良い悪い
というのは思わなかったが
「あ、うちのような家族ばかりじゃないんだ…」
と思ったことは
革命だった
それでもわたしは
喜怒哀楽激しく
単純に
聞いた言葉だけを捉えて生きる
という長年の癖は続き
元夫は真逆で
聞いた言葉を信頼せず
その奥にあるものを
感じようとし
だから
わたしにも
それを求め
それが
本人の癖やエゴが強いため
その解釈が本当に
面倒くさく複雑だという
癖は続き
それは
わたしからしたら
「だったら言葉は何のために使っているの?
いらんやん!」
と何度も言うくらいだった
さらには
わたしを
試そうとしたり脅そうとする
言葉も多く
当時のわたしも
相当わがままで混乱していて
もう、めちゃくちゃだったが
元夫の癖や見方も
かなり個性的で強かったので
それは今思うと
常に
〝言葉とは…〟を
彼にというより
運命に突きつけられていたようで
だから
その出会いは
それまで
良くも悪くも
無意識に言葉を
使って
特別幸せではなかったが
大きな不幸もなかった
わたしの世界に
破壊が起こってきた
ということだなと思う
でもそれでも
わたしたちそれぞれの
癖を手放さずに
喧嘩しながらも
付き合い続け
結婚に至り三人の子どもを授かった
ということは
そこまで
その生き方に
困っていなかったんだな
と思う
でもある日ふと
〝人生で何かが起こる気がする…〟
〝わたしの人生、こんなもんじゃない…〟
と思ったその直後に
第三子の息子が
2歳0ヵ月で突然障害を負い
一時期全盲になった
そして当時
「ママ、とって!」と
2語文が出始めていた
息子の言葉は
それをきっかけに
オウム返しとなり
その後はそれさえも無くなり
言葉でのコミュニケーションが
全く取れなくなり
息子は
自閉傾向のある
測定不可能の
知的最重度の知的障害者と判定された
だからそれはさらに
わたしの世界が
言葉の世界が
破壊されていった
ということで
わたしの奥底では
今までの人生や
言葉との関係に
限界を感じていたからこそ
起こってきたことだ
と思う