そして
言葉を
読む、話す
ということとは別に
わたしが
言葉を綴るということを
意識的に始めたのは
それは
子どもたちが小さい頃
育児サークルに
入っていたときで
会報スタッフに
薦められたことから
言葉を綴る、表現する
ということが始まった
また息子が
障害を負って
リハビリを始めてからは何十人もの
ボランティアさんにお世話になっていたし
わたしの楽しみもあり
わたしは
半年に一度くらい
リハビリへの理解を
深めてもらうために
お便りを出していたそして、その
会報やお便りはいつも
皆さんに喜んでもらえ
何人ものひとが
「いつか本を出すのではないか…」
と言っていた
またその頃
息子の障害やリハビリや
元夫の酷い鬱やアル中やモラハラや二人の娘たちのことも
鬱と診断されていた自分のことも
肉体的や金銭的には
両家の両親や
ボランティアさんなど
多くの方に
助けてもらっていたが
精神的には
元々親にも友人にも
あまり相談しないのだが
このときも
これ以上親や友人に
心配をかけたり
頼ることはできないと
一人で抱えていた
そして
パソコンでメールをしたり
サイトは見ることはあったが
今しているSNSも
当時はまだどれもなかったし
何もしていなかったこともあり
もう、それは
一人では抱えきれず
どうしようもなかったことから
わたしは
日記を書き始めた
それはもう
言葉にならないときは
単語や殴り書きとなり
後から読み返せないものとなり
思ったままに
誰の目も気にせず
残虐な言葉も吐き出し
思いを爆発させていて
あるとき
そんな全てを
黙って許してくれる
とハッとした
そして
リハビリをしていた
あるとき、ふと
あまりにもわたしに
これでもかこれでもか
と降りかかる問題に
「どうしてわたしの人生は、こうなのか…」
と行き場の無い
思いがこみ上げた
すると
「わたしの人生は、わたしだけのものでない」
という言葉が浮かび
ハッとし
その後日記が
10冊以上になったころ
ふと
HPか何かで
それを表現したい
と思ったことから
ブログを始めた
そして
鬱とパニック障害が酷いとき
わたしは
薬があまり合わないので
代替療法やサプリメントや
自己ヒーリングや内観など
別の方法で
それに向き合っていたが
自分では
にっちもさっちも
いかなくなったとき
インターネットで出会った
色々なシンクロが
奇跡的に重なったヒーラーさんに
ヒーリングをお願いしたことがあった
そして
1ヶ月の間に
何度か受けて
枯渇していたエネルギーが
少しずつ復活してきたとき
そのヒーラーさんが
わたしの未来を透視して
「息子さんは絵を描くのですか?」
と言った
そしてわたしが
「いいえ」
と言うと
「絵を描いて、本を出すビジョンが視える」
と言った
そしてさらに
「そこにあなたが言葉を綴り、
二人で作品を創る気がする」
と言った