境界線 2. | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.














〝人生は
自分のすべきことだけを、する









  















7月半ばから






   



大きな変化の前の
大浄化が始まった





















そして

それと共に











家族と

話しをたくさんする

流れになった










それは多分

最後の大きな

課題のようで









わたしたち家族

毎日皆が

感謝や思いやりを

自然と溢れさせながら










それぞれが

出来ることをして

調和して生き





 




さらには

少しずつ

意識的に生き

覚醒していくという









わたしの深い部分では

望んではいたが

有り得ないと

諦めてもいた









想像もできなかった

環境で

暮らしている










でもやはり

わたしと家族の生き方には

大きな温度差はあるし










それが

全てではないし









そして今回

まだ潜在意識の奥底にあった

お互いの自我や癖が

大きく出て










それは

かつて無いほどの

深くて強くて

面倒臭くて










でも皆が最後に

話して良かった…」

というやりとりとなった










だからそれは正に

人生の問題の

ほとんどを占める

と言われている

人間関係の集大成で











そして

その一番の課題は

〝境界線〟

だったなと思う






















それは

例えば相手に









過去の

わたしが起こした出来事で

トラウマがあったとする










だから

相手がわたしに

「あなたが悪い。謝ってほしい」 

と思い、言ったとして


 









わたしも

そのとき心から

「悪かったな…謝りたいな…」

と思ってそうしたら






  




それは

お互いの思いと行動が

一致をしているので

良いのだと思う











でも

相手がそう思って

そう言ったときに











わたしが

悪いとも謝りたいとも

思っていなかったら










それは

逆も然りで










それは

相手の思いと行動と

自分の思いと行動に

違いがあり










だから

「相手は今そう思っている

自分は今こう思っている」

と知りながら











境界線を引くことが

必要なのだと思う










いや、いつだって

境界線を持つことは











全て無限で

直感的に生き
統合や共有だけを

生きている場合を除き











ある段階までは

有限を生きている限り

生まれたときから

必要なのだと思う











そして

わたしの場合










昔なら

プライドや善悪が強く

怒りや哀しみの感情に飲み込まれ

出来なかったが










今はその

自分の思いが










〝直感、本音〟なのか

〝エゴ〟なのかを

よく観察するようにし










エゴなら謝り手放し

伝えられる環境なら

本音を改めて伝える

ようにしている










それは

〝直感や本音は共通〟 

だからで










わたしは

わたしたちは

表面的には

分離を生きていても











深い部分では

共通を生きる

存在で









わたしは

〝あなたもわたしも

皆が幸せな地上天国〟が

たまらなく好きで









そこに最終的には

たどり着きたいから





















そして

エゴか、本音か直感か

の見極めは








そこに

〝善悪〟や

〝加害者、被害者意識〟が

有るかどうかで








だからその

〝わたしが起こした過去の出来事〟を

一時期は罪悪感を持つなど

善悪で判断したとしても










わたしの場合

最終的にわたしがそれを

全肯定しているか

最善と思えているかが

キーワードだと思っている









だから

それが一見

理不尽だったり

最悪だったりしても











〝感謝〟や〝全肯定〟や

〝涙が出るほどの喜び〟に

わたしが辿りついていて

それが全てになれば










そのとき

その出来事は

問題ではなくなり

愛だけがそこに在り









それは

善悪を越える 

ということで









それは

覚醒










それは究極でもあるが

そこまでが

〝自分のすべきこと〟

なんだと思っている











だから

そこまで辿り着いたら

わたしは









もう後は相手に

怒られたり

責められたり

呪われたり










相手が

死んだしても









もうそれは

相手の問題で









それが

わたしにとっての

境界線だと思っている























また

その過去の

家族にトラウマを

感じさせるような

わたしが起こした出来事でも










わたしはそれは

わたしだけに

責任があるとは

思っていない










やはりその出来事を

共に見聞きし

体験するひとがいる

ということは











顕在意識では

わたしだけの

責任だとしても












見える世界の

顕在意識で

生きて

繋がっているのは

ほんの数%で










わたしたちは

見えない世界の

潜在意識

 




 






さらに深くにある

超意識での繋がりが

ほとんどで









だから

見えない世界の

思い込みや無意識や想念や

もっと古い過去の問題などが

絡まり合って










あるとき

表面化する

と思っている


それは地震や震災や戦争などもで

それを体験するひと

ニュースで見聞きするひとの差はあるが

皆の意識、想念で現象化したことだと思っている


(だから、そのニュースが入って来ないなら知らないなら

その人の世界ではそれが起こっていないことと同じで、


それが無関心だから、という人もいるだろうが

それは自分に無関心なところの現れで


味わい見尽くしそれを善悪で判断せず最善で愛だとわかり

天災などを卒業したから入って来ないという人もいて


わたしは後者だから

ほどんどロシアとウクライナの件も知らないし

最近の巷の事件も全く知らず


そんな人が増えれば

どんどん戦争や天災や事件なども無くなり

地上天国が広がると思っている(










だから

どんな問題でも

誰か一人が悪い

善悪で裁くという視点は

もちろんあるが










それは一部なので

〝なぜ自分にこの問題が起こったか〟

〝なぜ自分がこの問題を

見聞きする必要があったか〟









それぞれの立場で

知り、学ぶ必要が

あると思っていて











そういう意味でも

境界線を越え

相手の人生に立ち入り

わたしが全責任を負うというのは

愛ある行動だと思わないので

だんだんしなくなったし











家族にも

それを伝えてきた


でも元夫などは、「全て相手(愛子)が悪い」

と言うタイプだったので

わたしのこの考え方からしたらそれは有り得なかった


だからわたしはそう彼に何度も伝えたが、それは伝わらず

でもふと、「ああ、そういう考えの人もいるか」と思った


そして自分の中に

「わたしが全て悪い」と思っている自分がいる事に気づき

「だから彼と引き合ったのか」と分かり

彼はそれがわたしとの関係では全てのようで

わたしはそれは一部だったが

「これでいい」と思えた自分もいた


そしてそれは

〝彼は自分は学ぶ必要がない、と思っている

〝でもわたしは学び続ける〟ということで


〝彼は、わたしを全否定するという愛を放つが

わたしからの愛は一切受け取らない〟

〝でもわたしは、彼からの全否定という愛を全て受け取り

わたしから彼への愛は、一切放つ必要が無い〟

ということで


彼との関係は、それで良いのだと思った(











そして

家族など

身近で縁があり









学びたい、成長したい

と意識的、無意識に

関わらず思っていて

循環し合える関係の場合












境界線を引くだけでは

寂しいところもあるので

わたしは












「わたしもそうやって

相手に謝ってほしいと思ったことは

山ほどあったし


実際に謝ってもらって

一時期に

スッキリしたこともあったけど


それは表面的なスッキリであって

問題の根っこは残っていて


そうするとずっと

問題が何度もやってくるし


相手のせいにして

ずっと相手に謝罪ばかりを求めて

自分は一切成長しない

ということに気づいた








それは

いつまで経っても

被害者と加害者という

負のループから

抜けられないということで


それはわたしもしてきたから

気持ちは分かるが


そこに疑問を持ち始めたときに

わたしは










〝人生で起こる全てのことは最善である〟

という視点や


〝何か一般的に良くないことが

起こるということは

それは始まりではなく、終わりで


だから一つ一つ

終わった」「難が終わった

と思うことで


自分も相手も

誰も悪者を作ることなく

その問題を肩の荷から下ろすことができ


それは潜在意識に無意識に溜まっていた

トラウマを手放していくことになる〟









と何度も

話してきた





























でも

それさえも

それを人生に

取り入れるかどうかは

本人の問題なので











話はするが

その後は手放し

境界線を引いていて










さらに

家族などが

歩んでいる道は

わたしも全て歩んできたので

気持ちは全てわかるので











ハートを常に開き

「わかるよ…」という

気持ちや














温かい眼差しを

送ることも

わたしがすべきことだと

思うようになり

今し始め






















それは

2年前から

アパート暮らしをしている

次女や











別れた

元夫











1年前から

元夫と出て行き

それから一度も

会ったり話したり

メールをしたりをしていない

息子ともで










やっと今

家族という

一番絡まりやすい糸を

きちんと解けた

気がしている