このブログは小さな家に暮らすアラカン主婦の日常を綴ったブログです。

 

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少し前に私達を捨てた両親の事を書きました。

ご覧になっていない方はこちらからどうぞ!

 

 

2019年にそんな親の介護が始まりました。

私の父親です。

 

 

そんな父親の介護を思い出しながら連載でここまで書きましたが・・・今回は最終回です。

 

 

言動に違和感があったのをきっかけに、私達姉妹を捨てた父親と関わるようになりました。

 

検査の結果、アルツハイマー型認知症と胆管癌が見つかりました。

 

高齢であることから主治医の勧めもあり、積極的な治療を行わずに緩和ケアを希望しました。

 

波はあったものの、食事も取れて、デイサービスへも通っていました。

一緒に、買い物に行ったり・・・。

 

 

回転寿司を食べに行ったり・・・。

 

 

信じられないくらいに、たくさんの会話もしました。

 

なんせ、多い時で1日20回も電話がかかってきていたのでね。

家中にへそくりを隠しておいたのが懐かしい。

 

 

一度にお金を渡すと、全部一気に使っちゃうのでね。
「お金がないんだよ」と連絡があるたびに、隠し場所を伝えて渡していました。

 

その後、癌性腹膜炎のため入院治療となりそのまま自宅に帰ることはありませんでした。

認知症のために、最後まで深く自分の病気を気にすることもありませんでした。

 

世話をしてくれる看護婦さんを「俺の彼女なんだよ」と言ったり、デイサービスのスタッフがとても親切で、「早く退院して会いにいきたい」と言ったりしていました。

 

本来なら、激しい痛みを感じるはずなのに、「お腹を押すと良い気持ちなんだよ」とニコニコしながら話していた父。

 

 

主治医の話しでは、認知症だと痛みを感じないことが多々あるとのこと。

 

痛みも感じず、自分が癌になったこともちゃんと理解できない父を見て、アルツハイマー型認知症になって良かったんだと思いました。

 

仕事が休みになる毎週末に会いに行っていましたが、それも暫くするとコロナウイルスの影響で面会ができなくなりました。

 

父の急変の知らせが来たのが、2020年4月17日の夕方でした。


1週間程度、食事も取れなくなり、血圧も低下しているとのこと。

病院に駆けつけると、まだ意識もはっきりとあり私たちの声掛けにも反応していました。

 

 

一旦、自宅へ帰った翌朝5時過ぎに再度病院から電話が入りました。

「血圧が40まで低下しているので、直ぐに来てください」

夫の運転で病院へ向かいました。


その日はあいにくの大雨でこんなことをX(旧Twitter)呟いていました。

 


病院へ到着すると、酸素マスクをした父が小さく息をしていました。

間に合って良かった。

 

声掛けをすると、大きく頷きました。


見えてはいないようだけれど、私達の声はちゃんと聞こえているようでした。

 

どんどん呼吸が浅くなり、その間隔も開いてきました。
その時が来たと察知し、

 

「ありがとうね」
「何も心配しなくていいよ」
「痛いことは何もないからね」

何度も、そう声掛けを続けました。

 

しばらくして、眉間に二回ほど皺を寄せて、軽く咳払いをする仕草をみせ、息を引き取りました。

 

ただ呼吸をしていないだけで、まだ起きだしそうな感じがしましたが、もう動くことはありませんでした。

 

黄疸は出ているものの、安らかな死に顔。

 

3月の中頃に会った時に、交わした言葉が最後だったなと思い出しました。

 

「気をつけて帰れよ!」

「看護婦さんに良く礼を言っておけよ」

 

自分の事も、ままならないのにと、笑いながら「はい、はい!」と、返事をしたのが最後でした。

 

葬儀は、コロナの影響もあり身内のみで済ませました。
そのことについては、改めて書きたいと思います。

 

父の介護がスタートしてから1年。

 

幼い頃に捨てられて、辛い記憶しかない父との関係。

 

自由気ままに生きてきた父親。

寝たきりになるか、認知症になるまでは、優しい言葉は掛けたくないと思っていました。

 

しかし、最後の1年、父に関われたことは、本当に良かったと思います。


父親のためだけでなく、私のためにも。

 

憎んだままでなく、「ありがとう」と、素直にお別れを言えたから。

そのための1年だったんだと思います。

 

父親の介護についてはまた思い出したことがあれば書きたいと思います。

 

この後、葬儀や墓じまいもしました。

その辺りも改めて書きますね。

 

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