昨日の記事を書いて、思ったこと。

 

『悲観的になり、結果として自他共にディスってしまうのは、なんのためにもならないのでは? 』

 

すると、ネットで、「功利主義」という言葉をみつけました。

 

僕は、”正義とは何か?”という問いに対する答えを、”人々の幸福を最大化する行い”だと捉えています。

ベンサムの功利主義ですね。

 

”人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむ”人になるたった一つの方法

 

『なるほど~! 』という感じ。


でも、この「功利主義」ってのも、どうやら万能ではないようですね。

 

功利主義についての説明とその利点と欠点はなんですかね? - 功利主義... - Yahoo!知恵袋

 

この、「ベストアンサーに選ばれた回答」の、自分なりの解釈だけど、

「幸福は分かりやすくはかれるようなもんじゃないし、そもそも世の中そんなに単純じゃない。」

 

つまりは、

「自分の基準が大事! 」

ってこと?

 

それがアヤフヤなまんまだったら、そもそも昨日の記事の
「細かい目標と、その理由」
だって、決めようがないんだよね……。

 

昨日の記事、なんだか悲観的なことばかり、列挙してしまっていたかもしれませんね。

よくよく考えてみたら、自分は、世の中のありとあらゆることを、熟知しているわけないってのに。

 

てことは、もしかすると、コレをやってしまっていたのかも?

 

過剰一般化


自分で作ったネガティブなルールに縛られてしまいます。


例:「彼に会うのがこんなに億劫だということは、私は彼のことが好きではないんだ。」

 

まずは考え方を変えることから...私たちが陥りがちな12の自動思考 | ライフハッカー[日本版]
 

 

で、これを回避するためには、つぎの通りにすればいいようです。

 

自分が過剰に一般化することにきづいたら、関連するその他の行動についてもっと注意深く見てみることが必要だ。

<今自分が正しいと信じていることよりもっと範囲を狭めた説明が出来るだろうか?この状況を説明する具体的な行動は何かあるだろうか?自分の(もしくは他の誰かの)人格そして/または価値を非難することは理に適っているだろうか?〉と問うてみよう。

 

レジリエンス心理学⑧―スキルⅡ.思考のワナを避ける | 美容整心メンタルクリニック

 


最後の方にある、「非難することは理に適っているだろうか」というところ。
いわれてみれば、確かにその通り。意気消沈するだけなのだったりして。

 


あと、こんなふうに書いてあるページも、あります。

 

目標を細かく設定し、それらを達成したい理由を詳しく定める手助けをすることが、ネガティヴ思考への負の連鎖を断ち切るきっかけとなるかもしれない

 

「漠然とした目標」が負の連鎖を引き起こす:研究結果|WIRED.jp

 

昨日の記事で書いた、想像について。

 

やってるうちに、
『そういえば、「大丈夫! 一緒にやろう! 」なんて、リアルの世界で言ってくれるひとなんていたっけ? ――いや、思いつかない……』
なんて、かなしくなってきてしまいました。

 

もしかして、今まで自分には、味方といえる存在が、いなかったのでは?

 

――でもそれって、ほんとにホント?

 

そう考えているうちに、昔の記憶にあった、
ロバを売りに行く親子
という話のことが、思い浮かんできました。

 

この話のように、どの意見ももっともらしいし、どの意見も難癖つけられる。

 

てことは、例えば完全に“味方”であるひとなんて、存在しない、ってことになるのではないかなあ?

 

ひょっとしたら、自分って、ずっと、
「モラハラ」で検索するとよく見つかるエアコンの具体例
みたいに、何かにつけて否定的な目でばかりみられていて、それが当たり前になっていたりでもしてたのかなあ?

 

昨日の記事に書いた、
「イメージ内で甘えまくる」ということ。

 

短時間・少ない回数ならばできるのだけれど、
続けていると、避けられないのが、マンネリ化。
(自分の想像力が貧弱すぎるのか……?
いや、だってそもそも、幼少時に甘えられるような環境じゃなかったのだから、記憶のストックが乏しいんだもの。)

 

そこで、具体化へ向けたヒント。
こちらのマンガから思いついたのですが、
イメージ内の理想の存在に、こんなふうに言ってもらうことを、想像するのです。

 

「大丈夫! 一緒にやろう! 」
「今までだって、ちゃんとできてたから、これもできるよ! 」
「1つずつやれば、だいじょぶだいじょぶ! 」

 

――などなど。

 

昨日の記事の中で、引用した部分を、「じっくりかみしめることにしてみ」たものの、どうも、納得というのができないんですよね~。

くわしいことは、いちいち書かないけど、わたしはどうやら

アダルトチルドレン(子ども時代に親との関係がうまくいかずに、さまざまな不都合を抱えていた大人)

のひとりなのではないか、と思うのです。
(「いいこと日記」には、いいことじゃないことは、あまり書きたくないのだ。)


こんな状態をもしかすると改善できるかもしれない、処方箋としてのコトバは、こちら。

 

自分を甘えさせるということです。
それは、イメージ内で「理想の母親」とスキンシップを取って、甘えまくるということです。
大の大人がこれをイメージでやるのが恥ずかしい場合、自分の姿を幼児期に戻すといいでしょう。

 

劣等感を解決する、ひとつの考え方(続・インナーチャイルドと劣等感のお話)