昨日の記事で「目先を変えよう」ということにしたところ、つぎのような文章のことを思いつきました。

 

何か美しいものに魅了されている瞬間は、愛する自分でいることなのです。

 

言い直すと、自分が何かを美しいと感じていること、つまり愛の波動と一体となっているとき、それが愛である状態(「自己愛」)なのです。

 

自分を愛する~エイブラハム流 引き寄せの法則~ - おひとりさまの地図

 

考えてみれば、わたしって、自己評価がはっきりいって非常に低いんですよね(たぶん否定されっぱなしで育ったせいで)。
だからこそ、「自分がどうしたいのかなんて全然わからない」って状態になっちゃうんだろうと思うのだけれど、この文章に従えば、自分について考えなくたって、「自己愛」つまり「高い自己評価」を得られるのでは?

 

なんかちょっと、希望が持てちゃったりして。

 

ここ数日の、当ブログの記事って、

 

幸せとは自分次第 → 自分がどうしたいのかなんてわからない~!

 

の繰り返しで、なんだか同じところをグルグルしているような……。

 

だいたい、「自分がどうしたいのか」がわからないのも無理ないのかも。
だって、なんだか否定されてばかりで育ってきた気がするのだから。

 

まあ、昔を振り返って、あーだこーだいってもしょうがないんだよな。

 

とはいえ、現段階では先へ進むのは難しそう。

 

よって、とりあえずは、ちょっと目先を変えてみるなど、した方がいいのかな。

 

昨日の記事で、「絶対的幸せ」を採用するようにしたいなー、と思うようになった自分なのですが、そうなると、大きく関わってくるのが、「はたして“自分にとって”どうなのか? 」という視点ですよね。

 

そう考えていたら、つぎのような文章をみつけました。

 

幸せとは、「感じ方」であり幸せだなと感じる心の状態が「幸せ」なのです。

…(中略)…

まずは自分の感情を見つけてみてください。

今自分がやっていることは、やりたいからやっているのかただの義務感なのか、嬉しいのか嬉しいと自分を偽っているのか、ワクワクするのかやらないと怖さを感じるだけなのか。

それらの感情の根源を知ることで、自分が幸せを感じるためのヒントが見つかるでしょう。

 

本当の幸せとは何か?充実感のある人生を送るための3つのステップ | KACHITSUKU

 

そんなの、刻一刻と移り変わっていくもんなんじゃない?
例えば、食べ物などの好物だって、連続したら飽きるでしょ?
それとも、それはただ飽きっぽいってだけ、なのかなぁ……。

 

昨日の記事の中の、「相対的幸せ」と「絶対的幸せ」との対比から派生して考えてみたところ、

『これってもしかして、日頃悩んでいることを解決する、手がかりになるかも! 』

と思いつきました。

 

それは、例えば、こちらが楽しいことを考えている場合。(リアルでとくに何か楽しいことがあったというわけではなく、ただ考えているだけ。)

つい、『他の人が、こんな自分をみたら、いったい何て思うだろう? 』と、すごく気になってしまっていたのです。

 

コレってじつは、その「他の人」の幸せが、「相対的幸せ」だったからこそ、問題だった、というわけなのですね。
なぜなら、「相対的幸せ」の場合、「こちらが楽しそう」だと、自動的に「他の人」は「楽しくない=不幸」になっちゃうから。
(もちろん、「ただ考えているだけ」にとどまらず、リアルで何か楽しいことがあった場合は言うに及ばずですが、そんなことは滅多に起こらないからねー。)

 

だから、みんなもっと、「相対的幸せ」ではなく、「絶対的幸せ」を採用するようにしたらいいのになー、なーんて。
(だいたい、みんないちいち、他の人のことをアレコレ気にしすぎ! ――と思うのは、自分だけ? )

 

もっとも、「絶対的幸せ」にも、ちょっとやっかいな部分があるよな~、と思われるのですが。
そのことについては、また次回以降に。

 

昨日の記事を書いて、わたしは、こんなふうに思いました。

『幸福が大事ではあるけれども、その幸福って、おのおのの基準次第。要するに、ひとそれぞれなんじゃないか? 』

 

すると、それを裏付けるような説を、ネットでみつけました。
「幸せ」には、「相対的幸せ」と「絶対的幸せ」がある、というのです。

 

相対的幸せとは他人と比較した幸せで、他人より優れていると感じた時に得られます。

絶対的幸せとは他人は関係ない自分にとっての幸せで、他人からは理解されないことも多いです。

相対的幸せは、他人を基準にした幸せなので非常にもろいです。

他人が幸せになったら自分は相対的に不幸になってしまうからです。

…(中略)…

絶対的幸せは他人の動向に左右されないので、非常に安定した幸せです。

 

28歳で非正規雇用・恋人なしの僕が胸を張って幸せと言える理由 - ゼロがマルになる

 

そういえば、よくよく考えてみると、「他人より優れていると感じる」っていうのは、厳密な意味では「幸せ」とはいえず、何か別のものといえるのかもしれないな。

それに、誰かに見せびらかして、「いいでしょ~! 」などと自慢する、っていうのも、いわば“みせかけ”“うわべだけ”を扱うようなものなのかも。
そんなの、なんだか金メッキか何かみたいで、とても本物とはいえないよね……。