親愛なる先生へ


昨日のお手紙で、「『みんなと同じになれ、さもないと命の保証はない。抹殺されたってしらないよ。』というような、『生きるか死ぬかレベルの脅し』」をされていたようだった、と述べました。


ここで、ちょっと距離をおいて考え直してみると、どうも不思議なんですよ。

いったい、どんな理屈で、「みんなと同じにな」らないと「命の保証はない」とか「抹殺」とかって話になってくるのか? 


だいたい、1月3日(お手紙形式にする直前)に書いた、「下敷きにしている書籍」には、こんなふうにあるんですけど? 

 

生物種というのは、多様性を失うと滅亡してしまうんですからね。

 

7機目「先生はえらい」|tsuruhashi|note

 

これって、ハッキリいって、全然違いませんか!? 
だって、「多様性を失う = みんなと同じになる」ってことでしょ。その方が「滅亡してしまう」って言ってるのだから……。

このへんのところ、ちょっと、よく考えてみることにしようと思います

あなたの一番弟子(でありたい) elaine

親愛なる先生へ

昨日のお手紙に、「ふとした拍子に、『みんなと同じになれ』っていう方が、やたら強大になってくる」と書きました。
それはいったい、なぜなのか? 
で、自分なりに考えた結論からいうと、「どうも、いわば生死にかかわる事態だからなんじゃないか!? 」と思うのです。

そもそもですね、9月21日のお手紙に書いていたとおり、「『みんなと同じになりた』くない」というふうだったはずなんです。
それなのに、外部から、しきりとこんな圧力がかかってきたようなんですよね。
「みんなと同じになれ、さもないと命の保証はない。抹殺されたってしらないよ。」というような。

こういう、言葉は悪いかもしれないけど、「生きるか死ぬかレベルの脅し」に対して、「自分なりの、好きなこと・やりたいこと」なんて、全くの無力です。なに寝ぼけたことを!? って感じになっちゃう。
なので、文字通り“必死”で「みんなと同じに」なろうとする。
けれど、なにしろ、心からの望みじゃないもんだから、そのうちうまくいかなくなって自己嫌悪……。
かねてより問題視している、自己肯定感の低さは、こういうところから来てるのかもしれないなあ。

それでは、今回はこのへんで。

あなたの一番弟子(でありたい) elaine

親愛なる先生へ

昨日のお手紙を書いている途中で、突如わきあがった疑問。
つまり、自分は果たして、「ふつうになりたくてなりたくてたまらない! 」というふうだったのか? それとも、そういうふうではない「やりたいことがあった」のか? というもの。

まあ、要は、混乱してる、ってわけですよ。
ちょうど、9月21日のお手紙に、こんな構図がありましたよね。
「みんなと同じはイヤ」→←「みんなと同じになれ」
っての。
これと似たような感じ、といえるかもしれないです。

とはいえ、このたび気づいたのですが、この構図、じつをいうと、両者の力が均衡していないんですよね。
ふとした拍子に、「みんなと同じになれ」っていう方が、やたら強大になってくる。
昨日のお手紙のような、「ふつうになりたくてなりたくてたまらない! 」っていうような「毒され」た状態ってのは、きっとそういうときのものなんだろうなあ。

とはいえ、いったいどうして、そんなふうになってきてしまうのか? 
それについては、また次回以降に、ということで……。

あなたの一番弟子(でありたい) elaine

親愛なる先生へ

昨日のお手紙で、「うちの親は、わたしのことを『とにかくふつうのひと』にさせたがっていたように見受けられ、その圧力はメチャメチャ強力だった」というようなことを書きました。

で、それに対して、わたしはどうだったのか? 

……はい、ものの見事に、毒されてましたねー。
なにしろ、一時期、「ふつうになりたくてなりたくてたまらない! 」って状態だったくらいだもの。
なんか、その当時の自分の頭のなかが、なんていうか、狂っている? ように思えてならなくて、ホンキで『この気持ちを消してほしい! 』と願ってたもんでしたっけ。
それほどまでに、苦しかったんですよねー。

とはいっても、具体的にどういう行動をとるべきなのか、皆目見当つかなかったし、その頃とにかく忙しかったってこともあって、結局ウヤムヤになっちゃったんじゃないかしら。

ここでちょっと、『アレッ? 』と思ったことがあります。
それは、上記の時期というのが、じつは、11月14日のお手紙に書いていた、「30年くらい前」というのと、ほぼ同時期だった、ということ。
……てことは、11月14日のお手紙に書いていた、『(その頃の自分は)確かに、やりたいことがあったんだよなあ。』というのが、怪しくなってきちゃうんだったりして!? 

ちょっと、ここはいったん、考えてみることにしますね。

あなたの一番弟子(でありたい) elaine

親愛なる先生へ


昨日のお手紙では、「親たちから『浮世離れしてちゃダメ! 』などと言われていた」というようなことを書きました。

その理由について考えていたところ、『もしかしたら、これに近いのかも? 』と思えるようなツイートがあったので、ご紹介しますね。

 

自分の子どもの適性や本気度を直視せず、「とにかくふつうの人」にさせたがる親は、子どもから見れば、立派な毒親。 職業選択の自由を奪ったり、性自認を否定したり、新しい時代の文化に関心も示さないまま、子どもの進路を金や立場の力で妨害する親は実在する。 子どもの試行錯誤を奪わないで。
 
 
この、「『とにかくふつうのひと』にさせたがる」というのが、もしかしたらうちの親にあてはまってるのかもしれない、と考えたんです。
そして、こういうふうな圧力、なんかメチャメチャ強力に感じていたんですよ。

それについての詳細は、また次回以降、ということにします。

あなたの一番弟子(でありたい) elaine