親愛なる先生へ

2019年12月10日のお手紙以来、自然」「木や花、動物、鉱物、雨、風、目に見えないもの」「絵、小説、本、図鑑、音楽、自然、宇宙」といったものと親しむことについて書いていっているのですが……。
きっともうお察しのことでしょうが、こういう態度のこと、わたしどうにも罪悪感を覚えてしまうんですよね。

というのは、例によって、親たちに難色を示されていたものだから。
言い分はこんなのです。「浮世離れしてちゃダメ! 」、と。

たしかに、非社交的な態度にみえちゃいますよね。人間を相手にしてるわけじゃないんだもの。
そりゃこちらだって、すんなり友達が出来るんなら、その方がいいに決まってますよ。友達ってのがいないからこそ、もしくはムリして心にもないこと言ったりつまんないのを押し殺して誰かと一緒にいるようにしたって疲れきっちゃうからこそ、の結果だっていうのに……。
それこそ、5月26日のお手紙に書いた「むざむざと取り上げようとしてた」ってやつみたいです。

ではでは。

あなたの一番弟子(でありたい) elaine

親愛なる先生へ

昨日のお手紙で紹介したツイートが、どのように「心の支えとなった」のか、ですが、要するに『これって自分にあてはまってるんじゃない!? 』と思えるから、なんです。

もちろん、「自然」「木や花、動物、鉱物、雨、風、目に見えないもの」「絵、小説、本、図鑑、音楽、自然、宇宙」と列挙されてるもののうち、何でもいいというわけがないですが。
そういうようなもののうち、感動した、っていうか、心を動かされたものがいいんですよね。

そして、これらの、いわば人間じゃないけど親密な気分をいだかせてくれるような存在というのは、接している際に、なんていうか、「無言の圧力を感じずに済む」ところがいいなあ、と思うんです。
人相手だと、2019年12月6日のお手紙の通り、「身構えちゃう」んですが、それはきっと、なにかしらの、「無言の圧力」を感じちゃうから、なんですよね。

あと、当方べつに「複雑PTSD」とか「発達障害」とかって診断されてはいないのですが、勝手に自分にあてはまってると思ってしまっています。なにしろ、これまでさんざん被害が「わかりにくい」と書いてきたのだから、シロウト判断ながら、そう判断する資格はあるんじゃないかな、なんて。

さて、今回はこのへんで。

あなたの一番弟子(でありたい) elaine

親愛なる先生へ


昨日のお手紙に、「ひとの目ってものを気にしないでいられるなら、そんな複雑に『向上心』みたいに装ったりしなくてもよいんじゃないか」というふうに書きましたが、その際、じつをいうと、ちょっとした心の支えとなっていたようなツイートがあったのでした。

こういうものです。 

 

複雑PTSD や発達障害の人は 人と関わった分だけ疲れるかもしれません。 その代わり自然が友達になり 木や花、動物、鉱物、雨、風、目に見えないものが大切です。 心の逃避先は、絵、小説、本、図鑑、音楽、自然、宇宙になるかもしれません。 この辛い状況を突破して自分の強みに気づきましょう。

 

トラウマケア専門『こころのえ』相談室さんのツイート 9:53 - 2019年10月7日

 

さて、これがどのように「心の支えとなった」のか、については、次回以降ということにしますね。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine


親愛なる先生へ


昨日のお手紙の最後の方で、「いわば正当化だったりしたんでしょうか」と、書いたあたり。

なんか、考えていくと、いったい何があてになるんだろう? っていうような気分になってきてしまいます……。


なぜって、これまで自分なりに懸命に「向上心」を持ってやってきたつもりだったんですよ。

それだっていうのに、「『向上心』とは全然違うもの」だ、とか、「嫌々やっていただけのこと」だ、とかいった、反論みたいなものが出てきちゃうのだもの。


ここで、ふとひらめいたのですが。

こうしたことって、他者からの視線っていうか、承認の有無っていうか、そうしたものがあるからこそ、起こってしまうのかなー、なんて。

だいたい、ひとの目ってものを気にしないでいられるなら、そんな複雑に「向上心」みたいに装ったりしなくてもよいんじゃないか、と。


ということで、ちょっと、考えたことがあります。

それについては、また次回以降に……。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine


親愛なる先生へ


2019年12月4日に出てきて、このところ話題にしている、「やんなきゃいけないことは、やんなきゃいけない、さもないと社会でやっていけない」というような考え方。

そういやコレって、今までのお手紙の中で何度も取り上げてきた「向上心」って言葉に通じるものがあるのかな? って気もしてましたが、もしかすると、「向上心」とは全然違うものだったりしたのかもしれません。

なぜかというと、つぎのような文をみつけたからです。

 

現状に満足してしまったら、向上心がなくなるでしょうか。
好奇心が薄れるでしょうか。
そんなことはありません。

向上心や好奇心というのは、新しい経験をしてみたいという人間の根源的な欲求の現れです。
肯定の波動は向上心や好奇心を育む土台にはなりますが、障害になることは、ありません。

向上心や好奇心が無くなったように見えるとしたら、それは現状に満足したからでなく、嫌々やっていただけのことです。

 

なぜ今を肯定すべきなのか - 夢ならば夢らしく - Medium


つまり、わたしの場合の「やんなきゃいけないことは、やんなきゃいけない、さもないと社会でやっていけない」っていうのは、ズバリ、「嫌々やっていただけのこと」ってのにあてはまっちゃってるんですよ。

もしかしたら、それだっていうのに「向上心」などと思い込もうっていうのは、いわば正当化だったりしたんでしょうかねえ……。


ではでは。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine