親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙のことを振り返って、しみじみ思いました。
『今まで自分って、全然「誠実」じゃなかったんだなー。』と。

 

えっ? じゃあウソつきだったのか?
って、お思いになりますよね。

いえね、虚言癖があった、とか、そんなんじゃなかったんですよ。

ただ、“ほんとの話”ってのを、してきた覚えがない、ってことです。

 

誰かと話すのは、あたりさわりのない、どーでもいいことだけ。
もう既にみんなが知っているような、手垢のつきまくったジョーシキ的な話題だけ。

だからなんだろうな、人づきあいが苦痛なのは。
だって、誰かと話すのが、ずーっと、全然楽しくなかったのだもの。

 

なんか、“語るに値する話”というのを、してこなかったよなー、というわけなのだけれど、

そういう話というのは、はっきりいって、『自分以外、こんなヘンなこと思いつかないのでは』っていうようなことばかりなんですよ。

『こんなの、話したって、絶対受け入れられっこない! 』って断言できちゃうようなことばかり。

 

でもね。

わたしのイメージの中の先生だったら、どんな荒唐無稽なこと言ったとしても、しっかり受け入れてくれるんです。

だから、わたしはこれから、そういう話題であろうと、どんどん、こうしたお手紙の中で書いていきたいと思っているのです。

 

では、この続きは、また。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙では、あわや学習指導要領ガン無視!? などと、穏やかならぬことを口走ってしまった感があるのですが。

 

実は、自分としては、いわゆる“トンデモ”説で騙そうなどとしているわけではなく、むしろその正反対のつもりなんです。

 

なぜなら、つぎの引用文に、賛同しているから。

 

嘘というのは「相手にばれていない」と思うからするものですが、本来スピリチュアルを実践している人であれば「いつでも宇宙が見つめている」ことを実感しているので、出来る限り誠実であることを心がけているからです。

 

地球の未来を「創造する」 「本物のスピリチュアリスト」を見分けるコツ

 

そういえば先生も、たしか好きな言葉として、「誠実」という言葉を挙げられていましたよね。

 

それと、こんな文も思い付きました。(1月22日のお手紙の中で引用した文に関連しているけれど)

 

世の中の不幸というものは全て、みんながやたらと嘘を付くことから生まれている、それもわざとついた嘘ばかりではない、せっかちすぎたり、正しくものを見極めずにうっかり口にしたりする嘘のせいなのだ

 

ミヒャエル・エンデさんのツイート


もっとも、ほんとにこの通りに実践するとなると、1月14日のお手紙に書いたような、「なにかにつけて動作が遅い」というのに、ますます拍車がかかっちゃうのかも……。

 

では、今日のところはこれで。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙、じつは書くのに、ものすごーく勇気が要ったんです。

 

だってですよ、昨日のお手紙に書いた、“わたしが見てとれたもの”が、もし、オカルト(笑)でも、透明人間(爆)でもないのだとしたら、

 

――幻覚?

 

ってことになって、これはもう、ずばりヤバい人認定されかねないじゃないですか。

そうなっちゃったら、一体全体どうしよう? って。

 

振り返ってみれば、幼少時以来、“キ〇ガイ”になるっていうのは、絶対、断じて、あってはならないことだったんです。
(しかし、実際そういう疾患の方や、その関係者にとっては、失礼な話ですけどね。)

 

でもでも。
1月7日のお手紙に書いたようなことと、おんなじですよ。
あれらの体験を皆無かったことにしてしまうとなると、「すごーくつまらなくなっちゃう」「周りが灰色になって、なんとも居心地悪くなる」「世の中いいことなんにもない、って気分になる」。
そういうのはごめんこうむる。ただそれだけ。

 

そういえば、これにちょっと関係ありそうな気がするのですが、ずいぶん前に、ネットで拾った文章に、こういうのがありましたっけ。

 

科学者達は

わたしはよく知っている専門家であるといい、

われわれ一人一人の持っている宇宙像を取り上げて

代わりに、

自分達の差し出す宇宙像を

科学的だから

これを信じなさい、と押し付けてくる。

 

しかしながら、

それが真実であるかどうかは

だれにもわからないのに、

わたしたちは差し出されたものを

ただ丸呑みするだけである。

そのうちあれは間違いでした

となると、

だれがその落とし前をつけてくれるのだ。

歴史はその繰り返しであった。

 

わたしはわたしの頭の上にある宇宙だけを

認めよう。

そうすると自分が宇宙全体と一体となった

感覚が訪れた。

 

私の想い

 

もっとも、こんなこと容認するのは、先生の立場にしてみれば、学習指導要領から外れることとなってしまうわけだから、不本意かしら? (笑)

 

それでは、今日はこのあたりで。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙で、「世界がすきとおって見えてくる」というようなことについて、ちょっと触れましたが、じつをいうと、自分も似たような経験をしたことがあるのです。

 

――えっと、このあと、またもや、リアルだとまず間違いなくドン引きさせてしまうであろうことを言うと思いますが、お許しください。

 

その「似たような経験」って、他ならぬ、先生に関してのことなのです。

なんて言ったらいいのかよくわからないのですが、黒板とかパソコンとかに向かう後ろ姿に、そういうものが見てとれた、という感じ。

(何人もいる先生全員に対して、それが見てとれました。)
今まで誰にも言ったことがないのですが(ていうか、誰かに言うすべがなかった)、自分にとってとても大切なメモリーなんです。

 

これって、もしかすると、つぎの文章に通じるところがあるのかな? と考えているのですが。

 

心が透明になるとか、世界が透明になる、と感じる「透明感」は、私たちが霊的に高い波動を受け取ったときの一つの典型的な感覚だと、私は考えています。
 霊的な世界には、隠し事がありません。秘密がありません。すべてが明らかであり、すべてが見えており、すべてが見られているのです。それを私たちは透明感として感じるのだと思います。
 そして、時間がとまり、なんともいえないよい気持ちがする、というのも、霊性を感じたときの特徴だと思います。静けさ、おだやかさ、やすらかさ、そして、ありとあらゆるものに対する深い愛情、そのようなものを感じたときには、その記憶を大事にしてください。
 おっしゃるとおり、実際には1秒か2秒の短い時間の体験ですが、その影響は深いところで、何十年にもわたって、あなたに贈り物を届けてくれます。

 

1: 1-17 - 人類の目覚めの時

 

――あ、言っておきますが、例えば「オーラがみえる」とか、ましてや霊的現象(心霊写真的? なもの)なんかじゃないんですよ……たぶん。

念のため。

 

ではでは。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

 

昨日のお手紙に書いたように、言葉自体には、良いも悪いもないのだったら、言葉って、じつのところ、その言葉を使う人のさまざまな思惑がこびりついた状態で、使われ続けている……ということになるのかな。

 

だとしたら、話がなかなかかみ合わない、ということも、往々にして起こりうるわけですね。

もっとも、わたしは今まで、ほかの誰かと、そういうふうにつっこんだ話をしたことがほとんどないのですけど……。
(ほんとは、先生と、そういうような話がしたい。でもリアルではする方法が皆目見当つかないのだから、このブログのような形をとっているワケで。)

 

とにかく、1月18日のお手紙に書いたような、
「世界の深み、厚み」
「世界が汲み尽くし得ないほど広く深い」
というようなことを、常に意識していたいな、と思うのです。

 

そこで、ちょっと思いついたのが、つぎの文章。

 

「ときどきだがね___ 世界がすきとおって見えてくる___ 川みたいにだ、

いいかね?___ 底まで見えるんだ。」

「その底のほうに、ほかの時代がしずんでいる、ずっと底のほうに。」

 

モモ / エンデのメモ箱 / ミヒャエル・エンデ ( その他文学 ) - Beautiful Life - Yahoo!ブログ

 

わたしの場合、「ほかの時代」というわけではないけれど。
いわゆる、ぱっと見にはみえないもの、というのかな?
そういうのがあるんだ、ということを、気づいていたいのです。

 

それでは、また。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより