親愛なる先生へ
昨日のお手紙に書いたように、言葉自体には、良いも悪いもないのだったら、言葉って、じつのところ、その言葉を使う人のさまざまな思惑がこびりついた状態で、使われ続けている……ということになるのかな。
だとしたら、話がなかなかかみ合わない、ということも、往々にして起こりうるわけですね。
もっとも、わたしは今まで、ほかの誰かと、そういうふうにつっこんだ話をしたことがほとんどないのですけど……。
(ほんとは、先生と、そういうような話がしたい。でもリアルではする方法が皆目見当つかないのだから、このブログのような形をとっているワケで。)
とにかく、1月18日のお手紙に書いたような、
「世界の深み、厚み」
「世界が汲み尽くし得ないほど広く深い」
というようなことを、常に意識していたいな、と思うのです。
そこで、ちょっと思いついたのが、つぎの文章。
「ときどきだがね___ 世界がすきとおって見えてくる___ 川みたいにだ、
いいかね?___ 底まで見えるんだ。」
「その底のほうに、ほかの時代がしずんでいる、ずっと底のほうに。」
モモ / エンデのメモ箱 / ミヒャエル・エンデ ( その他文学 ) - Beautiful Life - Yahoo!ブログ
わたしの場合、「ほかの時代」というわけではないけれど。
いわゆる、ぱっと見にはみえないもの、というのかな?
そういうのがあるんだ、ということを、気づいていたいのです。
それでは、また。
あなたの一番弟子(でありたい) elaineより