親愛なる先生へ

昨日のお手紙、わざわざ「『よいことだからする』というのはすべて偽善」とか書いたくせに、じつはそのことが腑に落ちてない……なーんていう情けないありさまが露呈してしまったわけですが(汗)
落ち着いて考えてみたら、それも無理ない気がしてきました。

というのは、こんな説、少なくとも多数派ではないはずだから。
だってそうですよね、極端な話、それこそ例えば、「法律で決まっているからする・しない」というのまで偽善……てことになっちゃいかねないんだもの。

それだっていうのに、なんでこんな説に着目したのか? 
そのわけは、「『よいことだからする』というのはすべて偽善」なのだとしたら、「じゃあ、偽善でない真の善は、いわば“自分”とか、例えば6月2日のお手紙で持ち出した『個人の内面』とかによるもの、ってこと!? 」となってきますよね。

要するに、もっともっと「“自分”・『個人の内面』」を重要視する、ていうか、いっぱい肯定すればいいんだ、と、なってくるのかも……。

とりあえず、今日のところはこのへんで。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより


親愛なる先生へ
 
実をいうと、昨日のお手紙を書いていたとき、わたしの念頭にあったのは、以前からネットで目にしていた、つぎの文章のことでした。

 

私たちは物事を善と悪とに分け、善を行い悪をしないようにと奨めます。けれども「よいことだからする」というのはすべて偽善です。それは愛の行為ではなく、自分の価値を高めたい自己中心的な行為です。

 

子供たちに「よいことをしなさい」と教えるのは、偽善者を育てているようなものです。そうではなくて、人へのやさしさや、親切や、感謝や、愛を、心の内側で感じる子供たちに育てるようにすべきなのです。感じたとおりに行動したら、結果としてよいことをしてしまう、そういう人間をめざすべきなのです。

 

善と悪 - 人類の目覚めの時

 

この、「『よいことだからする』というのはすべて偽善です。」という箇所に、ちょっとドキッとしてしまうんですよね。

ほら、「偽善」って、なんかけっこうキツい語感じゃないですか。

それに、「よいことだからする」というののどこがいけないの? と、つい考えてしまうほど、当たり前すぎることだったりするものだから……。


てことはつまりわたし、この引用箇所について、ハッキリ言って腑に落ちてない、ってことなんですよね!? 

ですので、また少し時間をとって、考えてみようと思います


あなたの一番弟子(でありたい) elaineより


親愛なる先生へ
 
昨日のお手紙では、「“自分”なんていう、漠然としたもの次第なのでは」なんてことを書いてしまいまして、案の定、漠然としすぎてますので、まずは少しでも取っ掛かりやすいとこからいってみようと思います。

例えば、ですね。
3月16日のお手紙に持ち出した「規範意識」って、ありましたでしょ? 
他には、もっと前のことですけど、2月1日のお手紙の頃から出てきだした「向上心」って言葉とか。

このような言葉を、しきりと重要視するのって、じつは“自分”がないってことのあらわれなのかもしれないな、と思いついたのです。

とはいえ、わかりにくいんですよね、「規範意識」だろうと「向上心」だろうと、こうしたいわば模範的な言葉って、みんな良いことと思いこそすれ、否定なんてどうにもし難いじゃないですか。
そういう、否定されっこないという安心感のまとわりついた言葉を盾にせざるを得ないほどに、じつは自分のことをダメダメに捉えている、てことになったりするのかなあ、なーんて。

さて、続きは、また次回以降にしますね。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

親愛なる先生へ
 
昨日のお手紙で、「社宅住まいだと、人目が気になるようになる」なんて書いてしまったのですが、よく考えてみると、こういうのって個人差が凄く大きいですよね。人目が全く気にならない、なんて人もいるだろうし(少数派かもしれないけど)。

つまり、外部の環境次第というよりは、個人の内面次第なのかなあ、なんて。
言いかえれば、“自分”があるかどうかだったりするのかな。

とはいえ、“自分”なんて言葉、なんて漠然としていることか! 
したがって、次回以降で、もっと詳しくみていくことにしようと思います。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより


親愛なる先生へ
 
昨日のお手紙で、「いったいどういうわけで、『これがいい! 』というもの以外認めないというふうになっちゃったのかなあ? 」と、疑問を呈しました。
 
まあ、こういうのには、いろいろ要因が絡んでいて、疑問を解き明かすには一筋縄ではいかないだろうに決まってますが、一つ、特筆すべきかなあ、という点を思いついたので、述べてみようと思います。

それは、うちの親が20年近く、ずっと社宅住まいだったこと。
それって、周囲にひどく気を使わざるを得ない暮らしだったのではないか、と思うんです。

社宅って、そもそもが、今まで育った土地から離れたところにあるわけで。ゆえに家族はおろか以前からの友人や知り合いがいない。
近くにいるのは同じ会社の関係者ばかりで、下手すりゃ上司にあたるひとが含まれてたりすると、社内での評価にかかわっちゃうかもしれない。
そして、何十年も前の住宅環境で、防音性なんてなってないだろうから、騒音で迷惑かけてないかどうか気にしないといけない。
かくして、結果として、神経質なほどに、人目が気になるようになってしまったんだろうなあ……なんて。

さて、今日のところはこのへんで。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより