親愛なる先生へ
 
昨日のお手紙では「『これがいい! 』というもの以外認められてこなかった」というようなことを書いたんですよね。
こういうのって、3月16日のお手紙に持ち出した「規範意識」というようなものに通じるところがある気がします。

ここで、ふと疑問に思えてきたのですが。
いったい、どういうわけで、そういうふうになっちゃったのかなあ? と。
こんな「『これがいい! 』というもの以外認めない」というような態度って、そうとうキツいと思うんですよ。
なにか、そういうふうにせざるを得なかった事情があるんじゃないかしら……。

また例によって、少し時間をとって、考えてみることにしますね。

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより


親愛なる先生へ
 
昨日のお手紙では、「何かひとつ『これがいい! 』というものができたとたん、自動的に『これじゃなきゃダメ! 』と思い込んでしまう」という文に、既視感をおぼえるというふうに書いたのですが。
考えてみれば、当たり前の話かも。
要するに、そもそも親たちがそういうふうにずっとやってきていたのを、自動的に自分も踏襲してた、てだけなんでしょうね。

 

ここで、ちょっと振り返ってみますと。

「何かひとつ『これがいい! 』というもの」を、とにかく目指さないとダメ! っていう風潮の中で、自分たちは育てられてきちゃってたのかなあ、と思えてしまうんです。

その際、適性とか、好みとかなんて、どうでもいい。てか、そういうようなことは、十把ひとからげに「わがまま」で片づけられちゃう。

そんなふうだったら、子どもが自分なりにアレコレ創意工夫してたところで、「『これがいい! 』というもの」に完全に一致しないかぎり、『これじゃなきゃダメ! 』と切り捨てられて当然、ってことだったんですね……。

 

ではでは。

 

あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

 

親愛なる先生へ
 
昨日のお手紙で引用した箇所にまつわることがら、もっと解説した方がいいですかね? 
 
昨日のお手紙の引用箇所にあった、「甘える、主張する、働きかけること」、わたしだって、自分なりにアレコレ工夫してやってたってことが、これまでのお手紙での考察を通じてみてとれましたよね。
ところがわたしの場合、それらが「自然にできている」どころか、まともに取り合ってもらえず、ひいては片っ端から否定されたんですから……。
 
ここでちょっと、思いついたというか。
1月29日のお手紙に、こういう文があったんですが。
「何かひとつ『これがいい! 』というものができたとたん、自動的に『これじゃなきゃダメ! 』と思い込んでしまう」
これ、なんか既視感っていうか、今回の状況に通じるところがある、っていうか……。
 
まあ、続きは、また次回以降に。
 

 あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

昨日のお手紙では、「動作が遅い」のは「石橋を叩いて渡る」からじゃないか、てことを書いたのですが、この「石橋を叩いて渡る→遅い」のすら、難色を示されてたんですよね。
それこそ1月14日のお手紙に書いたみたいに、「さっさとしなさい、グズグズしないの! 」ってね。

話が変わるようですが、こないだこんなツイートがあったのが気になって。

 

幼児期の子どもが親に甘える、主張する、働きかけることが自然にできていると、子どものマインドに親や大人を動かせるチカラが蓄積されるので、大きな自信や自己肯定につながる。

 

TAKKA@解毒中さんのツイート 5:49 - 2019年5月12日

 

コレ、自分の場合は、全く正反対になっちゃってた、ってことなんだなあ。

そりゃ、「大きな自信や自己肯定」と無縁なわけだ……。


それでは、今日のところはこれにて。


 あなたの一番弟子(でありたい) elaineより

 

親愛なる先生へ

昨日のお手紙では、「かつてわたしが編み出していた身を守る方法を、親に片っ端から否定され取り上げられてたのでは」というようなことを書きました。

すると、どうなるか? 
身を守る方法が持てないんだから、とにかく無防備。
何もかもが脅威に感じられ、そんな中を進んでいくには、それこそ「石橋を叩いて渡る」って感じにせざるを得ませんよね。

……あ、だからなのか! 
今までのお手紙で、何度か「動作が遅い」ということを問題視してきたけど、それにはこんな理由もあったのかも! 
だって、石橋を叩かなきゃいけないのに、速くなんて渡れっこないじゃないですか。

さて、今日のところはこのへんで。

 あなたの一番弟子(でありたい) elaineより