親愛なる先生へ


昨日のお手紙に、サラっと「要望」なんて言葉を出してしまったんですけど、考えてみたらこういうことって、以前から問題視していた、自分のネックであるとも言えそうです。

それこそ、2019年2月3日から登場してきた「ニーズ(欲求)」という言葉なんか、そうですよね。

それから、2019年11月頃にも、「自分のやりたいことなど」をめぐって、いろいろ書いてましたっけ。


まあ、それらのことは今は置いといて……。

ちょっと生じた疑問があります。

それは、なぜ、昨日のお手紙で書いたような、「無理を言ってでも自分の要望を言い張る」というようなことが起こるのか? てことです。


で、現時点で思いついた答えはというと、まあ単純に、「快を求め、不快を避けるため」っていうようなことなんじゃないか、なんですね。


つまり、何かしらの必然性があるはず、ってことなんです。(とはいえ、こと小さい子に関しては、「快・不快」ってのが大部分だと思われますけど。)

決して、他意はないはず。ましてや、親とか、養育者等を困らせようとして、やってるわけないですよね。

だけどその「親とか、養育者等」って、その辺のところを、どの程度認識できてるんだろう? なーんて、思っちゃうんです。


さて、この続きは、また次回以降に。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine


親愛なる先生へ

昨日のお手紙の中に出てきた「駄々をこねる資格」について、もう少し踏み込んでみてみますね。


……もっとも、この「駄々をこねる」って言い方、なんかやっぱりちょっと語弊があるかも。

だって、決して褒められたものではないですものね。それに成功確率だって低いでしょうし。だから、ほんと小さい子である間は別として、たいていはもっと頭を使ったやり方へと移っていくのでは。


ただ、ここでは、「駄々をこねる」ということの本質を重視したいです。

それは、例えば、「無理を言ってでも自分の要望を言い張る」というようなこと、ですかね!? 


となると、昨日のお手紙の中での「駄々をこねる資格」とはすなわち、「『無理を言ってでも自分の要望を言い張る』」資格、ということになるでしょうか。

そりゃあ、そんなの、自分にはあるなんて思えっこないですよねえ。

その根拠は、これまでさんざんみてきた通りで、枚挙にいとまがないですけど……。


それでは、今回はこのへんで。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine

親愛なる先生へ


これまでの話の流れから派生して、ちょっと思いついたことがあるのですが。


じつをいうとわたし、小さい頃、駄々をこねたっていうおぼえがないんですよね。(もっとも、本人に記憶がないだけで、じつはしてたのかもしれないですが、それはまあ置いといて。)


一方、妹たちはというと、そりゃあもう盛大にやってたものでしたよ。

ショッピングモールの、エスカレーター前の広場みたいになってるところで、ひっくり返って手足をバタバタさせながら、「○○買って~! 」って。

わたしは、それを横目でみながら、『なんて幼稚で愚かなんだろう……。』って、さげすんでた。


……のだとばかり思ってたのですが。

今ごろになってひらめいたのですけど、もしかしてわたし、自分が駄々をこねていなかったのは、『自分には、駄々をこねる資格なんてないんだ。』とかって、ひそかに思ってたからなのかも!? 


ちょっと、時間をおいて、考えてみることにしようと思います。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine

親愛なる先生へ


昨日のお手紙は、汎用」なんていう、もってまわった言い方のせいで、わかりにくくなってしまったのかもしれないですね。

ただシンプルに、何でもかんでも」のままにしておいた方がよかったかも……。


で、昨日のお手紙に書いたことを、言い方をかえるとですね。

「何もかも負い目に感じる」ということ、でしょうか。

昨日のお手紙の中では、「何でもかんでも『態度を改める』ようにしなきゃいけないんだ」という表現を使っていましたが、これってつまり、そういうことになるでしょ。

もしかすると、どれだけ埋め合わせをしようとしても追いつかないくらいの負い目にすら感じてたのかも……。


何度も出てきている、「自分はブスだ、見た目が不快だ」というのは、そういう意味だったかもしれない、と思うんです。

つまり、自分のせいで、相手・周りが、不快になっている。

なんとしてでも、それを解決しないといけない。

でも、いったいどうしたらいいのか皆目見当がつかない……。

ということだったんじゃないかなあ、と。


ではでは。


あなたの一番弟子(でありたい) elaine

親愛なる先生へ


昨日のお手紙の後半部分で、

実力行使された→『なにか相当に、相手の気分を害させてしまったはずだ。』と捉える→重大な影響」

という流れを持ち出したので、今回はそれについて説明しますね


結論からいいますと。

当時の自分は、なんていうか、汎用してしまった、というようなおそれがあるんですよ。


そもそもですね。「実力行使」された際というのは、「意味不明なことをいわれ」て、「いくらこちらがわかってなかろうと、おかまいなく、親などの意向通りにムリヤリさせられる」っていうふうだったんです。

とはいえ、いくら「意味不明なこと」なのだったとしても、歴然とした実力行使を伴う以上、なにかこちらにたいして態度を改めるよう言われている、ということだけはわかるってもんですよね。

なのに、かんじんの何に対して「態度を改める」べきなのかが、はっきりしない。
だから、もう何でもかんでも「態度を改める」ようにしなきゃいけないんだ、つまり、「何でもかんでも」 = 「汎用してしまった」、というふうになってしまったのではないか、と。

……すみません、なんか、わかりにくかったですか!? 
なので、次回以降では、もう少し解説するようにしてみますね。

あなたの一番弟子(でありたい) elaine