「まず隗より始めよ」あるいは「隗より始めよ」ということわざがあります。

意味としては、「大きな事でも手近な事から始める」とか「何か事を始めるときは言い出した人から始める」といった意味で使われる言葉です。


実をいうと、この言葉の故事はかなり以前から知っていたのですが、日本語の意味・用法を知ったのはつい最近です((^_^;))。思わず、「へぇ~、こういう意味で使うのね~、なるほど~」と感心してしまいました((゚_゚i))。


ということで、今日は自戒の念も込めて(笑)「まずは隗より始めよ」の故事を紹介してみたいと思います。



この話はちょっと長いのですが、なかなか面白い内容になっており、歴史が苦手の方でも楽しめる内容になっていると思います。



時は紀元前300年頃、中国の春秋戦国時代末期のお話です。


戦国七雄のひとつに燕(えん)という国(今の北京付近にあった国)がありました。


この燕で内乱が起き、さらにこの内乱に乗じて隣国の斉(せい)が攻め込んできて、国内は荒廃してしまします。


その後、諸事情があり斉軍は撤退し、太子であった昭王が即位します。

そして、昭王は荒廃した国を立て直すために四方の賢者を招こうと考えて、それにはどうすればよいか、郭隗(かくかい)という人物に尋ねます。


郭隗はこう答えます。

「恭しい態度で臣下の礼をとって教えを受けるようにすれば、自分より百倍も才能のある人物が得られます。それより劣る礼ですが、小走りして迎え、相手より後に息い、まず質問してから黙ってその人の教えをきくようにすれば、自分より十倍の才能の人物が得られます。互いに礼をやり取りすれば、自分の才能に等しい人物が得られます。しかし、几や机に寄りかかり、指さしして使うようであれば、雑役の使用人しか得られません。最も悪いのは、勝手放題怒鳴りつけ打ちすえたりすることで、それで来るのは奴隷ばかりでしょう。」


これを聞いた昭王はさらに問いを発します。

「では、私は何をすればよいのだ?」


この問いに対し、郭隗はある寓話を紹介します。

「昔、ある国に千金を出して千里の馬を買おうとする王がいましたが、3年経っても得られませんでした。すると、ある家臣が私が買ってきましょう、と請け合って3月ほどで死んだ千里の馬の首を五百金で買ってきます。当然のごとく、王は腹を立てて、欲しいのは生きた馬だ、何故死んだ馬のために五百金を捨ててきたのだ、と言います。するとその臣はこう答えます。死んだ馬さえ五百金で買うのだから生きた馬ならなおさらだろうと、天下の人々は王様が熱心に馬を求めていると考えるはずです。まもなく、千里の馬を売りにくるものが現れましょう。

・・・・・・はたして、1年もしないうちに千里の馬が3頭もやってきたそうです。」


そして、郭隗はこう言うのです。

「いま王が本当に賢人を招きたいと思っているのなら、まず、私、隗から始めるべきです。私、隗のような者でも王に仕えてもらえるとなれば、隗より優れている者ならば十分に尊重されるだろうと、千里の道をも遠しとせずやってくるでしょう。」


この後、昭王は郭隗のために宮殿を築いて、師として仕えます。


やがて、魏(ぎ)の国から楽毅(がくき)などがやってきて国を立て直していくのです。



     ――――戦国策より――――


と、いうのが「まず隗より始めよ」の故事です。


面白い話だし、いろいろ考えさせられる内容だと思いますが、どうでしょう?


「・・・百倍の才能の人物が得られる・・・」というところはある意味逆説的な内容でおもしろいですし、「・・・千里の馬・・・」のところは今風にいえば「五百金で宣伝活動をしてきた」ということです。

そして、最後の部分・・・・見事な自薦としかいいようがありません。


ここで、蛇足になるかもしれませんが、楽毅ときいてピンときた方はいらっしゃらないでしょうか?


そう、三国志の人気NO1?である諸葛亮が、尊敬していた人物の一人であるあの楽毅です(諸葛亮は楽毅と管仲を尊敬していたといわれています)。


完全に蛇足でしたね(笑)。



それではまた(;^_^A