Art of Life | Salima Yuuka

Art of Life | Salima Yuuka

『 Art of Life 』
— 生きることはアート、小さな詩を編んでゆくこと —

キャンドルデザイナー
調香師 アロマセラピスト
書家 灯火器作家

『 Art of Life 』
— 生きることはアート、小さな詩を編むこと —

わたしは ただこの瞬間を呼吸する

春 いっせいに芽吹きを迎える生命に耳を澄ませ
夏 照りつける太陽に肌を灼かれ
秋 自然から与えられる実りに手を合わせ
冬 静けさに身を沈めながら

ヒマラヤの頂に登らずとも 庭の草花に充足し
ハートの奥の振動に気づきながら

誰かの言葉に従うのではなく
この内なる静寂に耳を傾けること

外側を探し回らなくても
ほんとうはすべてが ここにあること

日々のささやかな営みの中に
すでに真理が満ちているのだと知ること

わたしがここで綴るものは
教えでも思想でもなく

地球に住まうひとときの
小さな手記のようなもの

 

 

 

いまは住む人のいなくなった家を、

ひとの集える場にできるよう、

年末から手を入れ始めています。

​

昔は多用された建材だったんだろう繊維壁、

この家も繊維壁の部屋が多く、

これをどうしたものかと、気が遠くなるようで、

なかなか手を付けられずにいたというわけなんでした。

​

Youtubeで専門家たちの動画を見ると、

漆喰を塗るにはやはり繊維壁は剥がした方がいいらしく。

​

試しに玄関ホールの壁を少し削ってみたら、

下地の土壁が現れた。

​

もう舟は漕ぎ出してしまったのだから、と意を決して

とりあえず玄関ホールだけでもと剥がし始めたら、

予想以上の繊維の量。

​

剥がす時は水をスプレーしながらで気にならなかったけれど、

片づけるときに舞うホコリの量もすごかった。

​

繊維を剥がして漆喰塗りにするのは玄関ホールだけにしておいて、

他の部屋は当初イメージしていた通り、和紙を貼っていこうと思う。

​

一回目の漆喰が塗られた玄関はだいぶ明るくなって、

手を加えられている建物自体が喜んで、活気も戻ってきてる♡

​

家も有機的に生きてるのを肌で感じる。

タイチローが頑張って建てたまだまだしっかりした家だよ。

​

なにをやるにしても、人の何倍も時間のかかるわたしたちだけれど、

せめて旧暦の新年あたりには場を開ける状態に漕ぎつきたいなぁ。

​

この場所を軸に、新たに対面ワークを再開すること。

それから、友人たちがそれぞれのメディスンを持ち寄れる、ひらかれた場にしていくこと。

​

大風が吹いて、季節が進むように、

ひととのご縁という大風にもまた背中を押されて、

ひそかに動き出しています。

​

本年もよろしくお願いします。

​

#古民家

 

「家は、ひとのエーテルが支えてる」

​というお話し

https://www.facebook.com/share/p/1Da8T1YGEE/?mibextid=wwXIfr








 

 

    

 

    
ラブラブキャンドル・オンラインショップ下差しラブラブ
w/ Candles  (ウィズ・キャンドル)

 

 

 

 

    

 

 

Salima Yuuka

11月26日 20:33 ·

 

旅じたく

​

何年振りかのひとり旅、というか、明日からリトリートに入る。

​

直前になって、エゴが「ヤバい、怖い、めんどうだ」とざわめいてる。

怖いのは、ひとり旅じゃなくて、リトリートの方。

​

こういう気持ち悪さが出るのは、そこに「何かあるよ」ってしるし。

核心にタッチしてしまうだろうことを、なにかが察知してる。

​

発狂するほどわたしを震わせること・・それが核心であればあるほど、そこにジャンプするのが死ほど怖いって、ある。

​

降りていく深さの底知れなさとか。

身ぐるみ剝がされるのがわかってて、敢えて行くみたいなのとか。

誰にも知られぬように、厳重に隠してきた宝をひらく鍵を、ずっと手にしてたことに気づいちゃうとか。

​

どこかで知ってるからで。

​

だからこそ飛んで火に入ってしまう。

その虫が、わたしを震わせる主なら、

主に開いたままで。

 

 

 

    

ラブラブキャンドル・オンラインショップ下差しラブラブ
w/ Candles  (ウィズ・キャンドル)

 

 

 

    

 

 

柚子仕事のつづき

​

先日、ポン酢と化粧水を仕込むために種と果肉を使ったあと、残った皮を柚子ピールにしておいた。

​

白いワタをぎりぎりまで削り落として作ったピールは、噛み応えがあって、(するめいか・・)ガムみたい。

皮に含まれる精油で、口の中が清々しくなる感じが好き。

​

今日はそのピールを、湯せんで溶かしたチョコレートにくぐらせて。

今年も柚子ピールチョコがでけました。

​

柚子の皮のほろ苦さと太陽の香り・・冬の愉しみ。

 


 

 

小分けにしておくと、家に出入りする人や、配達の人にちょっとおすそ分けするのにちょうどいい。

 

 

 

 

 

    
ラブラブキャンドル・オンラインショップ下差しラブラブ
w/ Candles  (ウィズ・キャンドル)

 

 

 

 

二本の柚子の木

​

リビングの窓から見える場所に、いかにも老木という風情の柚子の木があった。

とてもよい香りの実をつけて、わたしは好んでその実を捥いでは使っていた。

​

その老木から十メートルほど離れた、キッチンの窓から見上げる位置に、もう一本柚子の木があって、こちらはもっと幼く、若い木に思えた。

​

この二本の柚子の木を、いつ誰が植えたのか。実生なのか、接ぎ木されたものなのかも、今となってはわからない。

​

わたしがここに住み始めた当初は、老木のほうが実つきもよく香り高く、若木の実は数も少なく、香りも弱いように感じられた。この二本の柚子は、種類が違うのかもしれないとも思っていた。

​

それが、五年くらい前かな。若木の柚子の風味も大きさも変わってきたなと感じ始め、数年前には老木で生っていた成熟した香りに近づいているように思えた。

​

ちょうど同じ頃、老木の元気がなくなってきているのが見て取れるほどになり、いろいろと手を尽くしたものの間に合わず、やがて枯れてしまった。

(美味しい実を分けてくれた木に、お神酒をささげてありがとうを告げ、お別れをした。)

​

今年の若木はもう、香りも大きさも数も、老木のそれとほぼ変わらないほどの――若い分、それ以上の養分と水分を蓄えて――実をつけるまでになっていた。

​

ただ若木が成熟したというだけのことかもしれない。

けれど、老木から若木へ、なにごとかが受け渡され、引き継がれたようで、二本の柚子の間に大切なことが起こっていたように感じられてならなかった。

 

​

そんなこともあって、樹木たちのことをもっと知りたいと手に取ったこの本。

森林管理官だったペーター・ヴォールレーベン著『樹木たちの知られざる生活』の中に、興味深い記述を見つけた。

​

長年、樹木を観察してきたヴォールレーベンによれば、人間と同じように木も痛みを感じ、記憶があり、親と子がいっしょに生活しているのだという。

​

さらに、樹々たちは互いにつながり、根の先を包む菌糸を伝って栄養を交換し合っているのだと。

​

そういえば、遠く離れたアマゾンのジャングルに自生する熱帯植物と、この家で育つ観葉植物がつながっていること。

広い海のこちら側と向こう側を泳ぐクジラたちが、交信しあっているという話も聞いたことがある。

​

だから、部屋の植物の葉を一枚胸に当てることと、ジャングルの熱帯植物に手を触れることは、等しく同じことなのだと。

(わたしは時々、部屋の観葉植物の葉を一枚採って、胸に当てて眠ることがある)

​

現代人はインターネットを通して、ようやく地球の反対側の人とも瞬時につながれるようになったけれど、古代はそんなふうに、言語じゃないなにかで交信しあっていたのかもしれない。



​

いまは切り株だけとなったあの柚子の老木はきっと、この若木と根っこでつながって、まだ養分を分けていることだろう。

​

今年最初の柚子仕事は、ポン酢と、種の焼酎浸けで化粧水の基材を仕込んだ。

絞ったあとの果皮は一晩水に浸けておいて、また明日の柚子仕事に。

 

いつも言っていることだけど、柚子には捨てるところがない。

老木から若木へ、引き継がれたいのちを余さずいただこう。

 

 

 

 


 

 

    
ラブラブキャンドル・オンラインショップ下差しラブラブ
w/ Candles  (ウィズ・キャンドル)

 

 

 

 

 

「演技」というと、「嘘」や「作りごと」として連想しがちだけど、歌や踊りと同様、原始的でシャーマニックなことなんじゃないかと、最近思うようになった。
​
「演劇」の起源を遡れば、神事や宗教的儀式として始まり、そこから発展してきたもののようだし。
​
演技って、外側に向けてなにかアクションしているように見えて、実は、役が自分を通して現れ出るのを許すことのような。
​
憑依タイプと呼ばれる一部の俳優は、シャーマンのように、役の人物を迎え入れ、通路となって表現させることで、昇華させている。
​
演じることは、内側深くに潜る行為でもあり、カタルシスとして解放するワークのようでもある。
​
「自分はこういう人間」と、身動き取れないほどに固めてしまった殻や壁を、自分じゃない役を借りることで打ち破り、固まって呼吸が通っていなかった場所に息を通す。
意識を広げさせる。息を引き返す。
​
そうなると「演技=作りもの」じゃなくなって、自我を超え、解放するツールにもなる。
​
それは、瞑想やセラピーが連れていく場所と似てる。
​
演者にそれが起こった時、見ている観客にも同じことが伝播し、波及する。
(それができる人を名優と言うのかな)
​
やはり演技はシャーマニックなワークなのだと思える。
単に台詞を暗記して演じるのじゃない。
シャーマンが精霊たちを呼び入れるように、ひとつの魂を宿し、そのひとを生きる。
​
俳優の渡辺謙が、山崎努から学んだことをこう話していた。
「俳優っていうのは、自由になるためにやる」ことだと。
​
演じることで何が起こるのか。
​
「私」という自己を保ったままでは役になれない。
一旦、自我を脇に置かなければ、出来ないことだろう。
​
そういうのはもう、「偽物」や「嘘」とは呼べなくて。。
​
役者たちはそんなことをしていたのかと。
単なるエンタメとしてストーリーを追うだけじゃなくなって、映画や芝居を見る目も変わった。
​
過去に観てきた映画をもう一度観直したくなって、いまゴッドファーザーを見返してるところ。
​
アル・パチーノもいいけれど、マーロン・ブランドはやっぱり凄いよね。

 

 

 

 

 

ラブラブキャンドル・オンラインショップ下差しラブラブ
w/ Candles  (ウィズ・キャンドル)