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安全な選択ばかりをしてきたつもりはないけれど、大胆な選択をした事は思い出せる限り、これまで数える程しかない。

その所為かどうかは判らないし、その所為にするのは何だかとても無責任な事だと判ってはいるのだけれど、如何せん今振り返れば、曖昧な返事と無難な選択を積み重ねてきた自分を恨まざるを得ない。

ただその繰り返しの果てに立っているのは、紛れもなく今の自分の姿だし、その事が余計に気持ちをじりじりとした物にしているというのもまた確かな事実であるから、その是非や功罪を問うたりする事は妥当ではないのだ、きっと恐らく。


確かめる事や照らし合わせる事が何かを解決する手段にはならないだろうけれど、同じ様な後悔を避けるために、できる限りの事を今すぐにでもやるべきなのだ。多分。



きっと、恐らく、多分、の羅列が続いても、それが決定を遅らせる理由にはならない事は、もう今や明らかだ。


きっと、恐らく、多分、大丈夫。確かめに、行こう。
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空は何処にでも繋がってるなんてのは、多分嘘だ。というか、ただの気休めだ。



繋がっていない空は疎らに雲が散らばっているだけで、ありきたりな風景に閉じ込められた日々は僕を詰まらない過去にするだけだ。



どんなにくだらない事だって、伝えられる時はそれだけでとても尊い事。
言葉にならなかった気持ちは、溜息と一緒になって、人混みに紛れて消えてしまう。

この街の沢山の退屈と混ざり合って、霞んでしまう。






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終電間際の乗り換えは、精神的な焦りを伴う事もあって、非常に疲れる。今日の様な、宴のあとの適度に酔ってふやけた脳味噌ならば、意識もぼんやりしてくるものだ。


だから多分、先刻この酩酊疲労状態の僕が見たモノは幻覚か、きっと何かの間違いであると考えるのが筋なのだろう。乗り換え駅のホームで列車を待つ間、反対側のホームの端っこに、白いコートを着た小さな子供が1人で佇んでいるのが見えたなんてのは、多分僕の気のせいだ。こんな終電の時間に子供が1人ホームにいるなんて、何かの間違いに決まっている。無理もない、だって僕はアルコールのせいで幾らか酔っ払っているし、睡眠不足も祟って少しばかり疲れているのだ。


疲れたり、酔っ払ったりしているのは、僕だけではない。電車の中で、僕の向かいの窓際で僕に背を向ける形で立っていた女性は、そのスカートの裾と太腿の裏側に、明らかにそれと解る茶色の汚れを引っ付けたままで、僕の最寄り駅までの約25分間、携帯を操作しながら何食わぬ顔で過ごしていた。あれは、間違いなくう○こであった。彼女もきっと疲れていたのだろう。そう思いたい。だって、あれは拭き忘れとか、引っ付けられたとか、そういうレベルじゃない。完全に、漏れてたというか、垂れ流れてるレベルだった。ちょっと飲み過ぎたんだろうか。とにかく、強烈なニオイだった。

もしかしたら、それも疲れに起因する僕の気のせいか、あるいはあの汚れは排泄物に似た別の何かだったのかもしれないが、隣に座っていたおぢさんもさすがに目を見開いていたので、僕の気のせいではないみたいだ。良かったのか、悪かったのかはもうよく解らないが、とにかく僕はとても疲れている。今日はとても素晴らしい一日だったが、最後にどっと疲れが出て、見てはいけないモノを見てしまった。


明日は月曜日か。切り替えて、頑張ってみよう。とにかく、今日はもう寝ることにしよう、それがいい。



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空模様を知る勇気はあるかい?




とは言っても、賢明なあなたの事だ、きっと既に天気予報か何かでしっかりチェック済みなんだろう。お察しの通り、今日は生憎の雨だ。雨ってのはいつの時も憂鬱なもんだ。人の士気を下げる力がある様な気がしてならないよ。


それはそうとして、さて、ここからが重要だ。人並み以上に聡明なあなたのみならず、人並みの教育とそこそこの経験をお持ちの方なら誰でも、こんな天気の日には傘を持って出掛けるだろう。傘があれば、大事なお召し物も大きなお荷物も、濡れは最小限で済む。


当然、多くの人が傘を差す。おかげでほら、駅前通りは傘を差す人々でごった返してる。普段はそれ程気にならない道幅も、こんな日ばかりは憎たらしい程、細く狭く感じられる。人々はのろのろと歩く。その中には、天気予報に言われるままに傘を持ってきた人も、或いはたまたま鞄に入れっぱなしの折り畳み傘に助けられた人もいるだろう。偶然か必然かはともかくとして、傘に助けられた人は多い。

もしかしたらその中には、傘を持たずにびしょ濡れで右往左往する人々の姿を見て、優越感を噛み締めている不届き者もいるかもしれない。不幸にも傘を忘れた人々は、のろのろと歩く傘の群れの間を縫う様にして、或いは列の両端をはみ出して、車道の端を急ぎ足で駆け抜けていく。髪や衣服を濡らしながら、ズボンの裾に跳ね上がる水しぶきにも構わずに。

そんな彼等を横目で見ながらほくそ笑んでいるかは知らないが、傘を差す彼らはとにかくのろのろと歩く。いつもの何倍も長く感じられる道のりに苛立ちながら、それでも行進からはみ出そうとはしない。列の中のある人は、列にすら入れずにずぶ濡れになった人を心の中で笑い、自尊心を保とうとしているかもしれない。そうやって、長い行進をやり過ごしているかもしれない。しかし長い、苛立ちの種との戦いは長い。




空模様を知るのに、実は勇気はこれっぽっちも必要ない。肝心なのは、空模様を知った後の事だ。


傘を差す勇気はあるかい?
ずぶ濡れになる勇気はあるかい?


大事なのは、選択する事。もしも何となく、覚悟もないまま部屋を出たならば、きっと雨との戦いも、苛立ちの長い行進も、あなたは乗り切る事ができない。


これは大袈裟な話じゃない。
傘を持つか、持たないか。あなた次第だ。



ただし、このまま外出を止めるって選択肢は、無しだ。仮に今日、この雨をここでやり過ごしても、明日明後日にはまた雨が降るかもしれない。明日も明後日も、同じ選択を迫られるのなら、今ここでやり過ごすのは賢明じゃない。

何よりも、あなたはもう外出する準備を済ませてしまっている。あなた自身の意志でここを出るつもりで来たんだから、その責任は自分で持つのが筋だろう。何となく来た、なんてのは通用しない。賢明なあなたなら解るだろう。さぁ、覚悟を。外は土砂降りの雨だ。それだけは間違い無い。