【映画】愛を乞うひと(1998) :【再観】※考察あり 泣ける日本映画No1 (個人的心情入り) | Bokuと映画  Chackn'sBlog

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下田治美の長編小説を映画化

 

平山秀幸が監督し、主演の原田美枝子が親子の2役を務め本年の映画賞を総ナメする

 

 

 

「愛を乞うひと」

 

 

 

1998年公開 / 135分 / 日本 (米題:Begging for Love)

 

監督: 平山秀幸
脚本: 鄭義信
原作: 下田治美
製作: 藤峰貞利/高井英幸/阿部忠道
音楽: 千住明/高桑忠男
撮影: 柴崎幸三
編集: 川島章生
製作会社: 東宝/角川書店/サンダンス・カンパニー
配給: 東宝

キャスト
原田美枝子/野波麻帆/中井貴一/小日向文世/熊谷真実/國村隼他

 

 幼児虐待という凄惨な記憶から逃げていた娘が50年の時を経て再び過去に対峙する、母と娘の愛憎を描いた人間ドラマ。母親から受けた凄まじい虐待という幼児体験から、母を捨て、過去を心の奥に封印してきた照恵。自らも母親になり、一人娘も成長した今、照恵は幼い頃死に別れた父親の遺骨を探す旅に出る。その過程で蘇る壮絶な過去の記憶。やがて、照恵はいまも生きている母・豊子に会うことを決意する……。子どもへの虐待シーンが凄まじい。

(allcinemaより抜粋)

 

 

Wikipedia:愛を乞うひと

 

 

*****

 

 

※今回はネタバレ必至となります

 

ご了承くださいまし

 

 

 

 

 

物語は

 

 

 

 

雨の音から始まる

 

 

 

 

プロローグ

 

 

 

 

舗装されてない道路の水たまりの上をを父に連れられ歩く少女

 

後ろを傘もささず ついてくる女がいる

 

少女は振り向き、その派手な花柄のワンピースを着た女を見る

 

女は水たまりの上で座り込み、土砂降りの中「行かないで」と泣きじゃくる

 

少女は父に手を引かれながら女を見送る

 

女はびしょ濡れで泣きながら遠く小さくなっていく

 

 

母と子の1番最初の別れから物語は始まる

 

 

 

 

 

 

 

時代背景は服装や道路の状況から古い日本のようだ

 

それから間もなくして

 

父は肺結核で亡くなり子供は孤児院に預けられる

 

父は友人にもしもの時は娘を頼むと言っていたが

 

友人は経済的に苦しい状況から引き取れなかった

 

 

 

 

 

父と友人は台湾人で

 

父の名は陳文雄=中井貴一

 

娘照恵はまだ4歳だった

 

 

 

翌年の昭和30年

 

孤児院にいた照恵を別れた母の豊子=原田美枝子が引き取りに来る

 

 

 

 

母豊子は再婚していて、相手の男性もバツイチで連れ子がいた

 

それが弟武則になる

 

 

 

 

この物語は戦後の照恵の話と、

 

現代の照恵の物語の2つの話が同時進行で進んでいく

 

 

この孤児から母に引き取られた娘照恵は

 

現代は40代半ばくらいになっている

 

現代の照恵を演じるのは、

 

母豊子も演じている原田美枝子さん

 

原田さんが母と子の2役を時代を分けて演じている

 

 

 

彼女は自分の実の父、陳文雄のお骨を探していた

 

結婚していたが旦那に先立たれ娘と2人で暮らしている

 

 

娘深草は野波麻帆さん

 

 

 

少し内気な母を頼りなく感じているが愛している

 

 

ある日警察から、とある人物が捕まったと知らせがあり

 

面会に行く

 

 

 

 

その男は30年ぶりに遭った弟武則だった

 

現代の武則を演じるのは、うじきつよし

 

 

実はここでの2人の会話が

 

観返すと現代の照恵の心情が非常に分かりやすくなる

 

2人の今までの生きてきたこと

 

そして現在の心境

 

ものの見事にここでの対話でわかるようになっている

 

 

 

彼女のつい笑った顔をするクセ

 

これも物語を見ていくと後にわかってくる

 

そして核となる何故照恵が父のお骨を探すようになったのか

 

それは弟に会ったからではなく

 

会う前から足取りを追っていて

 

弟の実の父の墓にも行ったことをここで話している

 

 

弟は姉に聞く

 

「なぜ急に父のお骨なんて探し始めたのか」

 

照恵は話そうとしない

 

これついては後半に考察含めお話しましょう

 

 

照恵は、手掛かりを求めて

 

父が生まれた台湾へ行くことにする

 

それへ同行する娘

 

 

 

娘は母の昔のことを話したがらないところが嫌だが理解してくれている

 

頼りなさげな母に寄り添い助ける娘という図式が現れる

 

実際、私たちに置き換えても実の母に「しっかりして」と感じることぐらいは普通にあることで

 

過去の親に対しての威厳、畏怖は

 

この時代はないものになっているということを表しているのではないか

 

 

 

子供の時代では、

 

母は弟の父とも別れ、

 

新しい男の和知=國村準という傷痍軍人の棲む引揚者定着所へ転がり込む

 

 

 

昭和33年の出来事

 

この頃から母豊子の照恵への折檻の度合いが酷くなる

 

タバコの火を当てられ

 

顔を殴られ目は腫れる

 

額は棒で殴られ後に残る裂傷、

 

階段から飛び降りろと言われたり、罵声を浴びせられる

 

 

しかし、母の髪を

 

櫛でとくときだけ

 

「気持ちいいねえ」と

 

母は穏やかな顔になる

 

 

 

 

照恵は額に傷を負った日

 

「どうして孤児院から引き取ったのか」尋ねる

 

「私がかわいかったからでしょ」と血を抑えながら問うが

 

豊子は激高し

 

「お前なんか生みたくなかった」と怒鳴る

 

その夜照恵は包丁を喉に当て自害を試みるが、止める

 

父の形見の鏡を持ち、呟く

 

 

「死んでないで、迎えに来て」

 

 

 

 

弟には手を出さないが照恵への暴力は社会人になってからも続く

 

月給もすべて母に取られる

 

さすがに弟も何故抵抗しないのか苛立ちが隠せない

 

弟はたまに警察の厄介になっていく

 

照恵は弟に言う

 

「お金がたまったら2人で住もう」

 

昭和39年、東京オリンピックがあった年のことだ

 

 

 

給料日の日、

 

家に帰ると引っ越しの準備をしていた

 

父の和知がいなくなった

 

 

 

傷痍軍人時のアコーディオンを置いて和知は出ていった

 

なにか象徴的であるが、

 

アコーディオンは豊子も引っ越し先へは持って行かず置いたままで出ようとしている

 

 

そして照恵もこの日、

 

母から自分の給料を奪い、走って逃げる

 

豊子は追いかけてくるが

 

弟が阻止し、家族は離れ離れとなる

 

 

その後、弟は15で家を出る

 

この昭和39年の出来事

 

40年代は個々の時代へと移る

 

ようは家族でいないと生きていけない時代から

 

1人で生きていけるような時代になっていく

 

 

アコーディオンは

 

戦後日本への決別でもあり

 

家族の崩壊、

 

その意を踏まえて日本の国、愛国の崩壊へ進んでいったともとらえられる

 

経済は発展していく中で、

 

国土は公害や道路建設などによりボロボロになっていく

 

 

照恵はここままだと一生変わらないと感じたのか

 

走って母から逃げる

 

 

それから、母と弟とは会わないまま30年経つのだった。。

 

 

 

照恵は娘と台湾へ行き、

 

日本と台湾の戦後のことにぶち当たる

 

日本の言い分に、台湾の感情と、それぞれの想いがある

 

それは国と国の話しだが

 

家族にも言い立てられる

 

子には子に言い分、

 

親には親の感情。

 

色々探すうちに父の友人夫婦の王(おん)さんと会う。

 

王さん夫婦はずっと照恵を預けられなかったことを悔やんでいた。

 

 

そして当時の父と母の話を聞くことが出来る

 

 

母豊子は、照恵を生むのをだいぶ悩んでたらしいが

 

父が生んでほしいと願い、照恵が生まれたのだった

 

 

豊子は

 

 

自分がそうされたのか、自分の性格を知ってか育てられるか不安でいたのだ

 

手が出てしまわないかもその不安の中にあったのかもしれない

 

子が生まれ、家族仲良くなるはずが

 

豊子の暴力に限界が来て

 

冒頭の別れへとつながる

 

雨の中

 

「1人にしないで」

 

「どうやって生きてきゃいいのさ」

 

豊子はしゃがみ込み途方に暮れる

 

照恵はずっと振り返りながら豊子を見ている

 

 

 

 

1度目の母との別れ

 

 

そして昭和39年、2度目の母との別れ

 

照恵は逃げるように走り去る

 

 

 

台湾では父の遺骨の行方は判らなかったままだが

 

日本の役所で戸籍がないことで外国人登録に記録がないか調べてもらい

 

無縁仏で保管されている寺までたどり着く

 

 

お骨を預かり、

 

照恵は納骨する前に母に会いに行く決意をする

 

 

豊子は生きていて、田舎の港(三浦半島方面)で美容室を営んでいるようだった

 

会いに行くのは

 

わだかまりの払拭であり、

 

2度もおいて出ていった贖罪もあったのだろう

 

 

照恵と娘は美容室を見つける

 

「ビューティサロン トヨコ」

 

きっとここである

 

照恵は店に入り髪を切ってもらう

 

 

 

同人物の合成だが

 

とても同じ人に見えない

 

前髪を切るときに

 

豊子は額の傷を見つけ察する

 

無言になる豊子

 

毛先に鋏を縦に入れようとすると

 

照恵が昔の母の髪をといた話をする

 

母とのたった一つの優しい思い出。。

 

 

鏡越しに、ずっと照恵は母を見ているが

 

豊子は目線を鏡に向けない

 

仕事を終え、ちらっと鏡越しに睨む。

 

クロスを取り代金をもらおうとする

 

「2千円いただきます」

 

 

たまらず、照恵は豊子に話しかけようとするが

 

そこへ今の漁師の男が帰ってくる

 

 

豊子は豊子で別の生活を続けていたのだ

 

 

照恵は話すのをやめ2千円を渡す

 

受取る豊子はまだ目を合わさない

 

 

「どうぞお元気で」

 

 

それだけ伝え、照恵は店を出る

 

 

店に背を向け歩き出す照恵

 

 

ドアが開き豊子が出てくるも、振り向かない

 

 

豊子はじっと無言で照恵を見つめる

 

 

 

 

振り向かず歩いていく照恵

 

 

小さくなる母

 

 

 

 

 

 

 

バスの中で照恵は娘にしがみつき泣きじゃくる

 

やっとこの時、

 

母と決別できたのだ

 

 

バスの中、

 

娘に秘密にしてきた自分の話をする

 

ひどい母だったこと

 

それでも好きだったこと

 

 

しかし娘深草が生まれたときに

 

幸せだったことを体験し、

 

少しだけ母の気持ちがわかった

 

だから

 

「もういいの」とバスの中で言ったのだ

 

 

 

母に、「なんで孤児院から引き取ったの?」か聞いた

 

「私が可愛くないの?」とも

 

母親にしてみると可愛くないわけはないのだ

 

 

あの時代、

 

性格上もあり

 

ああいう表現しか出来なかったのかもしれない

 

それを自分の娘が出来たときに照恵は気づいたのだ

 

 

それから、

 

夫が死に、

 

娘も大人になっていく

 

 

1人になり拠り所が亡くなる前に

 

父のことと、

 

母のことを整理したくなったのだろう

 

 

「やっと母さんにさよならが言えた」

 

 

そして

 

 

「『かわいいよ』といってほしかった」ことを娘に告げる

 

 

娘はそれを聞き

 

 

「かわいいよ」と言ってあげる

 

 

この娘は照恵から離れないだろう

 

自分が母から逃げたこと

 

それがあり、本音を娘に言えなかった

 

しかし、もう本音が言える関係になる

 

 

「母さん、泣いていい?」

 

 

泣きじゃくる照恵

 

 

 

ちょっとオーバーラップする自分、

 

私事になるが、

 

自分の父が死んだとき、

 

大号泣した記憶がある

 

 

私の親も

 

母が美容師で女一人で私と弟を育ててくれた

 

この映画の構成と一緒なのだ

 

母は非常に苦労して私たちを育ててくれたことを昔話として話してくれていた

 

そんな思い出とかなりこの物語が実の母と、自分の子供の頃と重なり

 

非常に思い出深い作品の1つだったのだが

 

 

私の父とは私が赤ちゃんの頃に別れ、私は会った事がなかった

 

「会ってもいいんだよ」と母には言ってもらえていたが

 

私も照れくさかったりで「別にいい」と断っていた。

 

父は私のことをいつも気にかけていたという。

 

 

父が死んだときは記憶にもない父だったのにもかかわらず

 

母から訃報を聞き、私は電話越しに泣きじゃくってしまった

 

肉親との別れとはそういうものなのだろうか

 

号泣する照恵を見て妙に納得する自分がいた。

 

 

シーンは変わり、

 

父の故郷のサトウキビ畑になる

 

すっきりし晴れ晴れしい顔の照恵

 

母とちゃんとお別れができたことで

 

新しい拠り所ができる

 

 

この作品は

 

家族のことや戦後の日本のことも含め

 

原田美枝子さんの神がかった演技、

 

紛うことなき日本映画の名作でありますが

 

それ以前に、

 

自分の境遇に似通うところもあり

 

大好きな作品です

 

 

泣ける映画としては個人的な感情でいうとベストワンになると思います

 

先日の「百花」を観て思いだした次第です

 

 

それでは

 

 

3月はまたね、

 

 

個人的な記念の日も近づいております

 

また何か始めましょう

 

 

では。