シリーズ  国民の税金で肥え太る   政財官の腐敗のトライアングル

バベルの塔

   「高い地位にある日本人の実力は、彼の持つ人脈にかかっている。よい人脈を持たない官僚は、高位への昇進は望めない。強力な人脈のない大臣は、所属の省庁にとっても自民党内の彼の派閥にとっても価値がない。日本の有力政治家の力は、恩義、金、婚姻関係、政治的才能によって作り上げた、広大で複雑に入り組んだ人脈で成り立っている。
 もし、社会の中層レベルにいてそうした人脈を作り上げるには、時間とエネルギーと個人的な魅力と、お世辞のうまさと、そして大量の酒をこなせるだけの強靭な肝臓がひつようになる。」

つまり学問の質ではなく東大卒というだけで、巨大なネットワークに入り込めて、卒業生たちの社会的なトップクラスの層に参入していく。 ちなみに大蔵省の課長以上の役付き官僚の89%は東大卒だ。外務省は76%、国交省は74%、つまり採用者の6~7割は東大卒が占めている。国会議員の4分の1以上、自民党議員の3分の1以上は東大卒だ。また一流企業の50社のうち約4割は東大卒であり、こうした排他的な学閥こそが、国民をも排除し、中央権力を牛耳り、日本の政財管を支配層

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 閉鎖的な人脈の絆とは


 「日本には、はっきりと識別できる支配階級が存在する。その成員は、官僚、財界人と自民党員の一部からなる。"コネ"は日本社会のあらゆるレベルで重要である。特に社会の上層レベルでは、コネはさらに複雑化し、特別な関係の一大ネットワークを形成している。 政財官では、婚姻関係によって、エリート同士の非公式なつながりが築き上げられていく。自民党の政治家は、先輩の有力政治家の娘と結婚することによって自分の地位を固め、次に、自分の息子や娘を羽振りのいい財界人の子供と結婚させて閨閥を形成していく。こうして管理者階級の結びつきをさらに強化するために、専門に世話をする仲人がいる。例えば、元華族学校の学習院女子部の同窓会グループ、池田隼人夫人が創設した議員夫人のグループ、名門大学を卒業した夫人と通産省、大蔵省、外務省のエリート官僚1000人で構成される高輪会、さらに1942年設立のもっとも排他的な軽井沢会は会員の一人正田美智子さんが皇太子と結婚し、一躍注目を浴びている。この会は皇室を始め、著名な産業人や政治家の縁結びをしている。こうして人脈は政財官のきずなを深めている。」  読めばわかる通り、閉鎖的な上層といわれるエリート支配層の人脈が、こうして保持され、政財官の癒着と日本の支配層の絆を保っている。一般大衆が排除されたところで、政治は行われ、財界とのつながりで富を増やし、税金を吸い上げている。

脱資本主義社会
 
 資本主義社会で解決ができない問題は、収入の不均衡です。ある人間は月に1000万円を受け取り、ある人間は月に15万円しか受け取れない。こうした収入の差を生み出してしまうのが資本主義です。ここからどう抜け出すか。人工的に工夫して是正しようと試みた歴史がありますが、ことごとく失敗に終わっています。どうしたら成功させることができるかが、現代の課題です。
 脱資本主義の条件
 ①政府のリコール権を国民が持つ
 ②国軍を持たない
 ③国が管理した方が国民には便利だというもののだけを国が管理する。
  それ以外はすべて民営化し、国は介入しない。
 
 政府の機能を自治体と同レベルにする。つまり権力を一人に集中させない。機能の分散としての多元化を図る。 
新しい教育の希求
  義務教育は、教育を子供達に強制化してしまった。学習内
容もほぼ画一化され、通学区も、あらゆる行動規範が枠に
はめられてのマス教育化が、後進国日本の人作に後見して
きた。しかし、産業も含め短期間での西欧近代化は、同時
に行き詰まりという問題を噴出している。自殺は、じつは
大きな流れの家庭で、学校制度と実社会の同校のずれが、
子供達にゆがみを課している結果だといえる。特に成長期
の中学から高校の時期に、当然矛盾が現われてしまう。そ
れは第一に画一強制教育にある。それを改革するには形態
を壊すことにある。つまり、すべての公立高校を廃止し、
私立高校化する。ただし、教育の財源は各自治体に移す。
つまり、国の管理力は廃止し、地方に財源権限を移譲する
地方分権を完了させる。自治体は各学校に財源と権限を移
譲する。従来型の文科相以下の教育委員会が学校を統括す
る古い制度は全廃する。重要な決定や運営などは、生徒...と保護者の過半数以上の同意で決め、生徒と保護者が学校
運営の自主権限を大きく持つ。通学区は自由、学習内容も
自由に学校に任せる。学校が自主教育権を持つことで、学
校間の競争をし合い、より良い魅力ある学校作りができる
ようにする。ただし、これだけでは、学校の存在目的が個
性ある人作りに徹することができない。つまり受験のため
の予備校化を全廃するには、従来の大学の進学競争に特化
したような偏重教育を是正するには、東大幻想を解体する
必要がある。従来の国公立と私立の各大学を廃止。すべて
が私立化するので、まず地域毎に学校をグループ編成する
。ただし、このグループ化は4年毎に再編成し直す。同時
に、このグループ内では教員が4年毎に学校を移動する。
学生は、入学した学校から卒業でき、グループ内のどの大
学で単位を取っても自由。単位取得さえできれば、卒業が
可能とする。こうすることで、特定の大学に進学すれば、
将来は一流企業へ行けるといった大学幻想は解体できる。
そればかりではなく、教員は魅力ある授業をしないといけ
なくなり、講義レベルも内容も向上する。より国際性と、
国際力を身につけるためと特化する大学もできるだろうし
、学生達の要望を取り入れた学問分野作りも可能となる。
ここも学生の意志や要望などが反映できるように、重要事
項は過半数の学生の同意を得て変更する。
 大学内に存在するピラミッド型の支配組織も、当然改変
する。講座制や教授をトップとした支配の構造は、もし自
由な学問の進展を疎外するものがあれば意味の無い制度で
ある。
これらの改革が行われると、日本はすばやく新時代に適応
できるはずた。
 なお、教育の内容について言及すると、デューイが言う
ように人類が獲得してきた叡智を、次世代が新しく獲得、
継承し、良いものをさらにより良くし、失敗した負の遺産
を反省して、より良い内容に変えて継承していくためにも
、最低限伝えられる内容は後世に伝達すべきことは確かだ
。ただ、より専門性の高いものは、個人が社会人として必
要が生まれれば自己努力し、獲得していく必要がある。そ
の専門性の高い内容は伝達しやすく整理し、獲得しやすく
伝えるべきである。その線引きを検討する必要は十分に名
残されている。高校生の全員が微積分など学ぶ必要はない
のは明らかで、むしろより社会性のある内容は、例えば高
校ではどの段階までにすべきか。あるいは、どの分野のど
の段階は無理に学ぶ必要は無いといった適正な線引きは詰
めていくことが望ましい。より社会性、創造性、普遍性の
ある内容などを学ぶことは盛り込まれるべきであろう。
 さらにいえば、学問のための学問は排除し、今人類とし
て、あるいはグローバルな視野を適正に獲得できる目を養
い、すべてより具体的に進展に後見しうる可能性のある分
野を、時代の判断で検討して加えたり排除したりといった
取捨選択はやるべきであろう。偏狭な利益のみへの依存や
、特定の思想や考えに固執した狭隘さは、排除すべきでも
あろう。 
 無論、個人の希望や志向性は可変的であり、その求める
ものが変わったとしても、いつ、どの段階でも舵が切れて
、方向が変えられる余地があるよう、求める自由を獲得で
きるような社会の仕組みが作られるべきだ。

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   官僚と企業、天下り法人の構図

 「民間企業の最高ん幹部に転じた元官僚、官僚出身の政治家、官僚出身あるいは官僚化した財界指導者たちが混然一体となり、人間関係の太い連携を親密に取りながら経済全体を監督し、日本の社会を管理している。伝統的な産業社会における官僚、政治家、企業家などの峻別が日本ではほとんどせず、混然一体化して管理していることになる。
 自民党議員の三分の一の最有力政治家は元官僚である。また官僚は、ありとあらゆる経済的、政治的目的を持つ多くの公益法人を統括し、抜け目なく退職後の再就職先として確保し、閑職について生計費を稼ぐ準備をしておく。これら法人の予算は事実上議会の監視を受けないので、人目を引かずに官僚の特定の目的を遂行するために利用もできる。
 毎年、およそ300人の高級官僚が、官庁在職中に監督していた会社の重役や、相談役として、実業界にも天下る。彼らは55歳前後に退官し、少なくとも20年は産業界と省庁、中央銀行との間で、円滑なコミュニケーションのために取り持ち役となる。官僚と企業との癒着は情報伝達や利益供与の上で、どんな公式のチャンネルよりも効率よく機能している。」 (ウォルフレン)

 

  政財官の三極構造は、切り離せない関係で密接に連携し、日本の支配層として、表裏にわたり深く関係し、国民を締め出して動いていることが分かる。 この税金を食い物にし、擬制的な民主主義の中で、責任をあいまいにしながら、情報を隠ぺいし、内側の世界を構築して莫大な利権の供与を共有しているかの一端が理解できるかもしれない。

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財界

 「財界を支える組織は、4つある。①経団連(経済団体連合会): 日本自動車工業会、日本造船工業会、日本鉄鋼連盟、石油連盟、日本化学工業協会、商社、卸売業者、銀行、保険会社、証券会社等  ②日経連(日本経営者団体連盟):労働運動のコントロールや賃上げ抑制を主たる任務とする。 ③経済同友会: エリート財界人の理論域ベースとして、討論の場を提供  ④日本商工会議所:小規模企業を統括 
 産業界の頂点にあるこれらの経済団体が、発足以来戦時産業動員の責任者であった官僚と、戦時カルテルの指導者によって指揮されてきた。1955年自民党を発足させたもの彼らである。占領軍撤退後の教育政策、その後の学校教育制度の形成にも決定的な影響を与えた。
 現代の実業家は集団として、定期的に政治献金を支払い、政治力を金で買っている。選挙活動にかかる多額な費用の肩代わりをして、自民党議員の大半を動かせるだけの影響力を維持している。また自社の行政上の決定に大きな影響を持つ自民党議員を企業として金で買っている。しかし、企業よりは官僚の統制力のほうがはるかに強い。」(カレル)
 
 こうして、政治家と財界と官僚のトライアングルが強固に出来上がり、我が国の政治と金の支配層として、表の顔と蒲の両面で国の動向を左右している。
 

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 権威主義的官僚政治

 「日本の日常行政活動において、官僚、とくに大蔵省、通産省、建設省、内閣府の官僚は、明らかに理論的に認められた以上の権力を行使する。官僚はさまざまな制限と規制を駆使して、経済発展を推し進める。法案も、ほとんど、彼らがつくる。このことは、実質的な権力ということからいえば、かなり重要なことだ。彼らが作った法案には、7ほぼまちがいなく、国会の承認印がポンと押される。そして、成立した法律を、官僚がもう一度自分が温めている計画目標達成の手段として使うわけだ。官僚の、この非公式の権力には歯止めがない。」(カレル・ウォルフレン)

 政治の思い舞台には政治家が顔を出してはいるが、政策決定における全般的な支配力は官僚が握っている。では、官僚の中で実権を握っているのはだれかというと、それが不明瞭だ。政治家が責任を取り、官僚は雲隠れして、責任回避ができる仕組みになっている。追い詰めようと思うと、人事異動でその部署からは消えている。あるいは、議員のポストとして議席を確保するか、天下り先で数台の給料を手にして、涼しい顔でほくそ笑む。これが、我が国の実態のひとつでもある。

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  多元的国家論(イギリスのラスキ)
 
「民主主義的に成立している欧米社会における、責任と義務との細分化は多元国家論の根本原理である。この原理は、権力をどのように制限するか、また権力がどこまで一般市民に及ぼして良いか。これらは事前の合意があって初めて可能である。権力にたいする考え方は、法律の存在を前提として成立している。この多元主義代表制の理想の形が現実化された姿を仮定して、この現実を出発点にしている。
 一方、日本の市民は実際上、なにかあった時、法律に頼ることができない。日本の権力保持者は組織的に権力を行使する。その方法と目的を、有権者は究極的にはなんら制御(コントロール)できない。」(日本権力構造の謎:カレル・ウォルフレン)

欧米の政治思想と政治制度は、ラスキの主張する国家論が前提にあり、日本のような一元的国家論に基づいてはいない。それは政府を他の様々な社会団体と並列的な集団とみて、政府の絶対的権力集中を否定する。一元的に権力者に権限を集中すると、中央集権的な専制支配と官僚制がセットになり、国民を絶対権力として支配する可能性を持ってしまう。そうではなく,政府は単にその調整的機能により相対的な優越性をもつにすぎないとするものだ。この思想を前提として、権力の行使できる範囲を制限し、あるいはどこまで市民に対して行使できるかの権限の範囲を制約している。
 しかし、日本では、そうした考え方が導入されていないために、政権が暴走しても、市民は権力者をコントロールできず、制御できないままに独裁支配をも生み出してしまう。

日本権力の構造(カレル・ヴァン・ウォルフレン)

  共同体優先の日本人の愚かさ

 「外国人の目に映る限り、たいていの日本人が、日々の生活の中で共同体の利害を個人の欲望や利害よりも優先させるという日本社会の要求を、おとなしく受け入れているように見える。ところがこの顕著な集団志向は、実は300年以上前の為政者によって作為的に社会に組み込まれた政治的所産なのである。
 それは今日でも、政治的方便であることは変わりはなく、日本人はそれに従うかどうかを、ほとんどあるいはまったくできない。このような状況のもとで、一個人としての日本人は、自己の知的向上心や精神的成長が共同体の意思によって抑えられるのを、しかたがないこととして受け入れている。」

不服従の原理を持たない日本人の精神性を、実に正確に読み取られている。自分個人の意思や、自分個人の思想あるいは考えを尊重し、それは何よりも最優先されるものだという個人主義の思想が定着していない。周囲を見回して、自分だけが目立たないようにしていれば安心といった風潮がある。また人と同じことをしていれば、まず間違いはないと有力者に追随する考え方が、一般化している社会であるともいえる。それは、裏を返せば共同体の全体の命令には暗黙にした鍵う。あるいは、政治権力には逆らわないで、長いものには巻かれるという習慣が根付いている。
  ところが外国では「百万人といえども我行かん。」と自分が正しいと確信していることならば、全員がYESといったところで、たった一人であろうとも自分はNOという。権力がその考えを変えるように迫り、たとえ命を奪おうと強要しても、自分の信念を曲げないという個人の意思を尊重する価値観が根づいている。ここの違いを指摘されている。
 私たちは、今安倍独裁政権を前にして、権力に必要以上に脅え、新聞メディアはあっさりと報道の中立性や、大衆のために正しい報道をするという報道の核となる倫理をかなぐり捨てて、安倍政権よりの都合の佳い報道のみを伝える自主規制を率先して行っている。
こうした例は現在、 枚挙にいとまがない。組織優先の全体への埋没思想が、たやすく全体主義や国粋主義、あるいは軍国主義を復活させてしまう。
 そうした共同体最優先の考え方は、自分の意思を殺すことと引き換えに成立します。 しかし、第2次世界戦争を経験し、あるいは社会主義国家思想などを経験し、全体の共同性の優先思想が、 いかに個人の自由を奪う原因となってしまうかを私たちは学んでいます。つまり、これからの思想は、滅私奉公ではないのです。個人の命を含めた尊厳が保たれる社会をより優れた人間のあり方だと考える思想を持つことが大切なことです。個人の自由を最優先にできる社会を目指すべきなのです。個人を尊重する自由な社会こそ、価値ある人間社会です。これを奪おうとする権力には、本気で戦って守るべきです。

日本権力の構造(カレル・ヴァン・ウォルフレン)

 政治責任の中枢がない

 「日本の権力構造の基本的な欠陥は、政治責任の中枢がないということだ。しかし、この欠陥に診断を下し、除去する対策を立てることは、権力を握る官僚の地位を激しん脅かすことになる。日本の将来を考える上で、政治的無責任は重大な欠陥である。」
為政者あるいは、行政をつかさどる官僚は税金の使い道を組み立てる。その計画が不備であったために、例えば大きな欠損をのことてしまったとしても、日本の政治では、誰一人責任を取る者もいないし、制度としても組み立てられてはいない。つまりは、あることを実行して、失敗したところで誰もとがめられずに、税金だけが無駄に消えてしまう。 例えば税の徴収は、国民に対して厳格に実施されても、徴収された税金の使途がどうなっても責任はあいまいなままに見過ごされてしまう。すべての政治行為に貫かれている、不明瞭な無責任の体制こそが、改善されるべきである。組織上も、制度上も、そして計画から実行の段階、結果の評価の全工程を、あいまいにはしない予算を含めた緻密な計画性、国民の監視の目を協働という作業とともに加え、全工程を国民の眼にさらす情報公開の徹底と、十分に国民と対話できる意思の反映を根拠とする。つまり管制主導を全廃し、国民主導の政治体制へと価値転換することが必要だ。