シリーズ    
国民の税金で肥え太る   政財官の腐敗のトライアングル

  多元的国家論(イギリスのラスキ)
 
「民主主義的に成立している欧米社会における、責任と義務との細分化は多元国家論の根本原理である。この原理は、権力をどのように制限するか、また権力がどこまで一般市民に及ぼして良いか。これらは事前の合意があって初めて可能である。権力にたいする考え方は、法律の存在を前提として成立している。この多元主義代表制の理想の形が現実化された姿を仮定して、この現実を出発点にしている。
 一方、日本の市民は実際上、なにかあった時、法律に頼ることができない。日本の権力保持者は組織的に権力を行使する。その方法と目的を、有権者は究極的にはなんら制御(コントロール)できない。」(日本権力構造の謎:カレル・ウォルフレン)

欧米の政治思想と政治制度は、ラスキの主張する国家論が前提にあり、日本のような一元的国家論に基づいてはいない。それは政府を他の様々な社会団体と並列的な集団とみて、政府の絶対的権力集中を否定する。一元的に権力者に権限を集中すると、中央集権的な専制支配と官僚制がセットになり、国民を絶対権力として支配する可能性を持ってしまう。そうではなく,政府は単にその調整的機能により相対的な優越性をもつにすぎないとするものだ。この思想を前提として、権力の行使できる範囲を制限し、あるいはどこまで市民に対して行使できるかの権限の範囲を制約している。
 しかし、日本では、そうした考え方が導入されていないために、政権が暴走しても、市民は権力者をコントロールできず、制御できないままに独裁支配をも生み出してしまう。