日本権力の構造(カレル・ヴァン・ウォルフレン)
知力を育て教育の欠落
「日本の知的伝統の貧しさは、大学教育に反映している。学生たちの特徴は無感動ということだろう。大学の教授たちが学生の知的な喚起をするのはまれである。たいていは、学生たち自身が自分で発見するの身だ。高校の教育と同様に、知力を育てて広げようという教育は大学では行われていない。
日本の学者は、欧米の学問の根を移そうとはせず、ただ人目を驚かすような花だけを切り取ってこようとする。その結果は、その花を持っている人がひどく尊敬されるというだけで、その花を咲かすような植物は日本では育たない。」
こうした不毛なあだ花を見せつけて、自分に人目を惹きつけることはあっても、実は育たない。抽象的な西洋思想をたらふく食い散らかし、残る者は支離滅裂な未消化な知識の断片ばかりだった。そのために国家主義が台頭しても、西欧で学んだ論証の武器などは手には何も残っていないので、あっさりとナショナリズムに巻かれてしまうものばかりであったといえる。しかも、むしろこれは「日本人の考え方の柔軟性だと」と美化する程の低レベルにとどまってしまっていたというわけだ。すでに移入されたマルクス主義思想も同類だった。そうではなくて、自ら自立して考えていける論拠を持ち、大衆思想を作り上げる知力を養うことが、いま問われている。