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REGULAR BONUS

31歳のダウナーな人による、 日々のREGULAR BONUSな瞬間…というかヤだなぁと思った瞬間とかを綴るブログ。

こんばんは、れすとです。

 

なんだかまたご無沙汰でした。

うちの部署の夜勤に入っているベテランの方が辞めて、そのしわ寄せが

夜勤12時間勤務とかに来ており、なかなかに文章を書く気力がない次第です。

 

 

 

さて本編は引き続き静岡遠征編。

6月25~27日の3日間、

2020年3月(RB1982~)から1年3ヶ月振りに静岡へ行ってきました。

Twitterのフォロワーで音ゲーマーで婚約者である手袋さんの実家のある

静岡県浜松市へ、車で片道500㎞かけて密を避けての遠征です。

今回の目的は親同士の顔合わせです。

 

昔から俺の日記では、例外はありますが家族の事をネタにしない方針で来ました。

なので、今回はかなりテイストが異なるかと思います。

今までの遠征以上にあった事を淡々と書く『だけ』のシリーズになる事を予めお詫びします。

 

 

前回までのあらすじ。

出発前日、夜勤明けそのまま実家へ約90㎞走破し早くも死にかける。

休憩含め車で9時間、500㎞走行しようやく浜松到着。手袋さん宅で夕飯をごちそうになる。

2日目、そば屋、ぬくもりの森、浜名湖を訪問。

 

 

 

○ 2021年6月26日(土)/17:00/うなぎパイファクトリー ○

 

浜名湖から続いては、春華堂・うなぎパイファクトリー。

静岡のお土産の名物、うなぎパイの製造工程をガラス越しに見る事が出来ます。

うなぎパイのたれ(?)を刷毛で塗る機械があったり、

高速UFOキャッチャーみたいな機械が流れて来たうなぎパイを

別のベルトコンベアに乗せたり、

オートメーション化されたアナログな作業はいつまでも見てられますね。

 

展示物を見たり、うなぎパイについての紹介上映を見たりし、お土産売り場へ。

今回、うちとしては往復の移動の心配ばかりしていて、

2日目に関しては完全に手袋さん一家に丸投げしてたのでお土産なんてすっかり忘れてました。

ここで購入出来て助かりましたね。

 

 

うなぎパイファクトリーを後にし、次の場所へ。

余談ですが、道中、看板に 「 出世大名家康くん 」 というゆるキャラが描かれてました。

確か、 「 追突注意 」 みたいな交通注意喚起看板に描かれており、

この手の看板に地域のゆるキャラが採用されているのも珍しいなと感じましたね。

これとそっくりなキャラが新潟にもいまして、

D's clubというパチ屋のCMのキャラクターにそっくりなんですよね。

別段名前が決まっているわけでもない為、

「 あーD's clubいるわ 」 つってました。

手袋さんの車は手袋さんと、俺、うちの両親の4人が乗っており、

4人中3人が新潟県人なので、D's clubの看板という事になりました。

 

 

 

続いては静岡県の誇るハンバーグチェーン店・さわやかへ。

夕飯にしては若干早めの時間でしたが、土曜18時にして10分待ちは奇跡かと。

うちらが待っている間に、みるみる40分待ちにまで伸びてました。

あたくしは、げんこつハンバーグ、ライス単品、オニオングラタンスープを注文。

げんこつハンバーグは店員さんが目の前で鉄板に押し付けて焼くのがお決まり。

逆に、そのくらいしか火を通さないようであり、中の肉はかなり赤い状態でした。

追加で焼く用の鉄板だか何だかも頼めるようでしたが、信じて食ってます。

疑ってんじゃねぇかっていう。

多分親父も本当はもっと焼きたかったと思いますね。

バーベキューでこれでもかって位焼く人だったんで、分かります。

 

まぁー相変わらず美味いですね。

牛肉100%という事もあり、形を変えたステーキ食ってるって感じですね。

オニオングラタンスープもめっちゃ美味いんで、お勧めです。

これ、グラタンスープだけあってパンが入ってるんでなかなか腹くっちゃくなりますが。

 

 

浜松を存分に体感、味わい、帰宅。

翌日の帰路へ備えて、うちの車のガソリンを入れる事に。

この日は手袋さんの家の車2台で移動だった為、うちの車はお休み。

24時間ぶりくらいにうちの車を運転しましたが、久々な感じでした。

まぁ翌日また6,7時間運転することになるんですけども。

 

家に帰ってからは

手袋さんのアルバムを見たりしてました。 うちは持参していない為無し。

 

 

うちの親をホテルへ送り戻ってきた時、会社の先輩から7月のシフトが出たと電話がありました。

シフトを教えてもらいつつ、若干の雑談。

その時、半ば冗談・半ば本気の 「 お土産は花の舞の酒でいい 」 と言ってました。

それを話したところ、普通にスーパーで売ってるとの事。

再び車を出してもらい、スーパーへ。

その道中、信号のある交差点で、こちら(車信号)が青なのに堂々と横切るジジイチャリが。

 

 

俺 「 浜松の治安が良く分かった。

 

手袋 「 ハハハハハ! 右折チャリといい、交差点ジジイといい…。 」

 

 

酒を見るとともに、お菓子売り場で新潟との違いを確認するも、

煎餅コーナーは亀田製菓、三幸製菓、岩塚製菓など置かれており、新潟が牛耳ってました。

酒コーナーで花の舞が売っていることを確認。

 

 

俺 「 じゃぁ、これでも買って…。 」 【 パックの鬼殺し 】

 

手袋 「 ハハハハハ! 殺されるでしょ。 」

 

 

まぁちゃんと花の舞買いましたけども。

思えば、これが唯一、俺と手袋さん2人きりになった時間でしたね。

後は寝る時くらいですかね。 部屋が一緒だっただけで布団は別々ですけど。

 

 

帰宅し、風呂に入った後、風呂上りにお茶を貰う。

結局手袋さんが風呂から上がるまで、

お茶を飲みつつ手袋さんの両親とテレビを見ながらちょいちょい話してました。

いよいよ親戚っぽくないですか、これ。

 

そんなこんなで2日目終了。

 

 

 

続きます。

この日、前日からの寝不足や運転疲れが出たのか、全然頭が回っておらず、

終始殆ど喋ってないです(当社比)。

わざわざ静岡まで来て処理落ちとか何やってるんだか。

たまにあるんですよね、「 れすと.exeは応答してません 」 となる時。

 

ブログ書くとき思い出して、何で思い出せないんだろうともがきまして。

喋ってねぇからだ!ってなりましたね。

基本的に自分の喋りを思い出してそこから周りを思い出す方式なんですね。

 

さて次回は、恐怖の7時起き。 次回もお苦しみに。

こんばんは、れすとです。

 

ご無沙汰しております。

普段、夜勤は3連勤までと考慮されているんですが、シフトの都合で4連勤があったり、

7月末辺りの落雷を伴う悪天候で仕事がめっちゃ忙しかったりで、

休日は死んでたので更新できなかった次第です。

4連勤なんで普通だろってお思いかもしれませんが、拘束時間11時間ですからね。

それに引継ぎ残業や通勤時間加味するとほぼ半日以上は家にいないので、

ただでさえ体力が無い中でゴリゴリ削られていくわけです。

 

 

さて本編は引き続き静岡遠征編。

6月25~27日の3日間、

2020年3月(RB1982~)から1年3ヶ月振りに静岡へ行ってきました。

Twitterのフォロワーで音ゲーマーで婚約者である手袋さんの実家のある

静岡県浜松市へ、車で片道500㎞かけて密を避けての遠征です。

今回の目的は親同士の顔合わせです。

 

昔から俺の日記では、例外はありますが家族の事をネタにしない方針で来ました。

なので、今回はかなりテイストが異なるかと思います。

今までの遠征以上にあった事を淡々と書く『だけ』のシリーズになる事を予めお詫びします。

 

 

前回までのあらすじ。

出発前日、夜勤明けそのまま実家へ約90㎞走破し早くも死にかける。

休憩含め車で9時間、500㎞走行しようやく浜松到着。手袋さん宅で夕飯をごちそうになる。

 

 

 

○ 2021年6月26日(土)/9:30/手袋さん宅 ○

 

起床。

朝食を頂き、親の泊まっているホテルへ向かい、親を回収しに行く。

 

その後は二八蕎麦の店へ。

「 昼飯には早いかもしれないけど、このくらいに行かないと混んでて入れないだで 」(適当静岡弁)

との事で開店凸。

開店前より客を既に入れており、「 開店時間とは? 」 となりましたね。

開店前からほぼ満席状態であり、大人気コンテンツな事が伺えます。開店時間とは。

先回りして店に来ていた手袋さん一家のおかげで座る事が出来ましたが、

多分先回りが無ければ既に座れなかったと思います。

 

多分浜松って、うちの地元にあるようなへぎ蕎麦みたく○○蕎麦が名物ってわけでもないみたいですが、

蕎麦も天ぷらもめっちゃ美味かったですね。

天ぷらの量が分からなかったので普通盛りにしましたが、大盛りにすればよかったと後悔。

 

メニューに、「 そばに塩をつけて喰うとより風味が味わえます 」 みたいな事が書いてあり試しました。

どなたかのブログにもこの食べ方が書かれてましたね。

風味は分かりませんが、これはこれで美味かったですね。

岩塩とかでやりてぇなと思いました。

 

 

続いて向かったのは、『 浜名湖 ぬくもりの森 』。

駐車場から少し離れており、民家の横を縫って歩いていくと、

突然中世ヨーロッパのような建物が並びます。

まるでジブリのなんかの作品に出てきそうな、メルヘンチックな建物の数々。

それぞれの建物の中は喫茶店だったり、雑貨屋だったり、

展示だけではなく何かと並行して行われてる感じでした。

 

中でもその建築家が自宅として使っていたという建物は、

狭い部屋がいくつもあり、細い階段や坂道で繋がっているような感じ。

果たしてアレが何階建てといえばよいのかも分からないですね。

冬場、雪で作るかまくらのような空間が家の中にあったり、

ロフトのある部屋があったり、まさに常識にとらわれない家といったところ。

純和風大工のうちの親父には全てが分からなかったようです。

まぁあの手のメルヘン系に一番興味がないうちの親父も、

建築的な意味で興味持ってくれたようで良かったです。

そういう目線であの建物見る人そういないかと。

 

思えば、これだけメルヘンな家々が並ぶ中、二人で写真撮らなかったのは

顔合わせとしてどうなんだってなりましたね。

正直、この日は体調が悪いとかではなく、

何かの調子が悪く、頭が回っておらずそこまで気が回りませんでした。

多分男の子の日なんだと思います。

親も親で、少しは気利かせて写真撮るとか言えよ。 他人行儀。

 

 

続いては、浜名湖へ。

俺自身は浜名湖へ来るのは二度目。 17年7月、RB1805より。

前回は浜名湖に併設されているパルパルという遊園地メインでしたが、

今回は舘山寺という浜名湖すぐ横にあるちょっとした山へ。

山道を幾らか歩くと、展望台があり浜名湖を上から見下ろせます。

運動不足が身に沁みましたね。 遅れを取る我が家チーム。

 

続いて下ると、今度は浜名湖湖畔に出られ、チャート海岸なるものを見る事が出来ます。

赤く、細かく割れ目の入った岩が水辺に並んでました。

フナムシやカニ、ヤドカリなど小さい生き物が無数にいました。

 

再び山を登り、今度は舘山寺聖観世音菩薩立像なる観音様を拝む。

安倍晋三元首相に似てる事で一時期話題になったそうです。

確かに、目が垂れ下がってる感じとか似てましたね。

 

肝心の舘山寺は時間が無くパス。

 

 

続いては少し車で移動し、浜名湖遊覧船へ。

道中、観光案内所があったんですが、その中に見るからに古そうなパチンコ台が置かれており、

やべぇー超行きてぇーってなりました。

親の手前抑えましたが、多分手袋さんだけなら「行くね!!」っつって突撃したと思います。パチカスか。

以上、超超超正統派スロブログがお送りするパチンコ情報でした。

 

時間まで少し待機し、遊覧船へ乗車。

半年前、フェリーで物の30分もせず船酔いしたトラウマが蘇りましたが、

今回は揺れも殆ど無く、酔いませんでした。

若干縦揺れがありましたが、あれが続いたら酔うなって思いましたね。

というか病は気からの言葉の通り、「酔うのではないか」と不安になってるので

多分もうちょっとでも波のある日は船に乗れない気がします。

何なら、エンジンの揺れで若干怪しかったですからね。

あまりにも身構えた顔をしてたので 「 大丈夫? 」 と心配されました。

船の上は戦いです。景色に酔いしれてる暇などありません。酔いだけに。上手くない。

 

浜名湖の上を通る東名高速道路の橋の下をくぐったり、

先ほど降りたチャート海岸の付近を通ったり。

船酔いが怖くて殆ど写メ撮りませんでした。 心のシャッターに残してあります。

つって全然覚えてなくて書けてねぇじゃねーかって話ですけども。

 

駐車場(コインパーキング)から出ようとした際、

駐車券が入らない手袋さん。

 

 

俺 「 前の車出てゲート閉まるまで、次の駐車券受け付けないよ。 」

 

手袋 「 流石プロ。 」

 

 

同じAMANO製(メーカー名)でしたからね。

ゲート式のコインパーキングの場合、地面に車両を検知するセンサーが埋め込まれている他、

ゲートの部分に光電子センサー、超音波センサーという物があり、

車両が完全に通過するまでゲートが下がらないようになっているのはこのセンサーのおかげなのです。

あくまでゲートの昇降は車1台に対して1回となっている為、出庫処理が終わるまでは

次の駐車券が受け付けないようになっているんです。

コインパーキングのコールセンター業務を5年やってて、

初めて日常で役に立った気がします。

ものすごいニッチなプロですね。

 

 

次の箇所へ向かう道中、

何やらチャリが手で合図を出しながら左折・直進レーンの車を越して、

こちらの右折レーンに入って来ました。

そして右折レーンから車信号に合わせて右折。

おめぇはロードバイクを本当のバイクと勘違いしてるのか、と。

「 なんだこいつ~~~ 」 ってなりましたね。 ジョイマンのジョイマンじゃない方。

しばらく、「右折チャリ」として語り継がれることになりました。

 

 

 

続きます。

本当にこの日は頭が回っておらず、大したこと喋れず申し訳ない事をしたって思ってます。芸人思考。

さて次回は、浜松観光後半戦。静岡といえば…な店を訪問します。 次回もお苦しみに。

こんばんは、れすとです。

 

6月25~27日の3日間、

2020年3月(RB1982~)から1年3ヶ月振りに静岡へ行ってきました。

Twitterのフォロワーで音ゲーマーで婚約者である手袋さんの実家のある

静岡県浜松市へ、車で片道500㎞かけて密を避けての遠征です。

今回の目的は親同士の顔合わせです。

 

昔から俺の日記では、例外はありますが家族の事をネタにしない方針で来ました。

なので、今回はかなりテイストが異なるかと思います。

今までの遠征以上にあった事を淡々と書く『だけ』のシリーズになる事を予めお詫びします。

 

 

前回までのあらすじ。

会社へ説得の上遠征にこじつけるも、1週間前にウイルス性胃腸炎でダウン。

出発前日、夜勤明けそのまま実家へ約90㎞走破し早くも死にかける。

 

 

 

○ 2021年6月25日(金)/6:00/実家 ○

 

イントロダクションが長すぎてアレでしたが、ここからが1日目です。

24日9時に夜勤が終わり、そのまま起きっぱなしで実家へ移動、0時過ぎに寝ました。

目が覚めたらまだ5時前。 終わりを悟りましたね。

殆ど二度寝も出来ず、起床。

 

7時15分頃、出発。

「 眠い 」 の一言で最初から還暦過ぎの親父に運転させるという親孝行息子。

まずは下道で、こん平師匠の出身地であるチャーザー村のある小国を抜け、

柏崎へ向かいます。

地元から高速へ乗る方法もあるんですが、今回の長野経由ルートの場合、

長岡まで行って峠越えして柏崎まで戻る…と言うルートになる為、

あまり高速に乗るメリットが無いので下道で峠越え。

 

柏崎からは運転交代し、俺の運転。

柏崎からいよいよ長きにわたる高速道路の旅が始まります。

北陸道で本州縦断開始。

まず新潟抜けるまでが一仕事です。

家に帰るまでが遠足ですの逆です。新潟抜けるまでは家です。

 

上越JCTから上信越自動車道へ。

新井PAで休憩。

れいめい橋を過ぎ、長野県へ入ります。

長野 160㎞ 』 だかの看板が心を折りに来ます。

 

松代PAで休憩。

 

更埴(こうしょく)JCTで長野自動車道へ。

 

岡谷JCTで中央自動車道へ。

この辺りだか忘れましたが、名古屋とか京都といった文字が出始め、

看板の表示を見ると、来るところまで来たなーって感じましたね。

 

雨が降り始めたと思ってたら、みるみるうちに豪雨に。

ワイパーの最高速なんていつ振りに使ったか。初めてかもしれません。

あまりの雨に、どっかのPAに避難しました。

 

気付いたら岐阜県へ入ってました。

計画段階から現在に至るまで、大雑把なルートの確認はしてましたが、

あまり詳細な地図を見ておらず、岐阜を通る事などすっかり抜け落ちてましたね。

まさかあのカーナビで岐阜県の文字を見る事になろうとは。

 

12時半頃でしょうか。恵那峡SAで昼飯。

豚骨味噌ラーメン黒マー油入りを食いました。フードコートでしたが美味かったですね。

紙面の地図(ハイウェイウォーカーに載ってるやつ)が長野までしか載っていない為

欲しかったのですが、無料配布は行っていない模様。

多分初めてハイウェイインフォメーションに声掛けしたと思います。

「 どの地図がいいですか? 」 と聞かれ真っ白に。

どれと言われてもこれから通るルートがどの地図に含まれるかなんて知らない。

アッアッ…ハママツ… 」 みたいな感じだったかと。 コミュ障。

 

岐阜県に正式に足を踏み入れましたので、

このブログ的には

新潟・埼玉・東京・千葉・群馬・福島・長野・神奈川・富山・石川・

山形・静岡・愛知・茨城・秋田・岩手・宮城に続いて、18都道府県目。

 

土岐JCTから東海環状自動車道へ。

この辺りから一度愛知県に入り、そこから静岡へ戻るようなルート。

名古屋走りが懸念されましたが、

名古屋市には入っていない為かそこまで荒くれ者はいませんでした。

 

豊田東JCTから新東名高速道路(第二東海自動車道)。

6つもの高速道路を経由。

ここまでずっと片側2車線でしたが、遂に片側3車線になり、都会だなーってなりましたね。

まぁ片側3車線の走行は、新潟バイパスで練習済みなので

思ったより緊張しませんでしたが。 3年くらい前までペーパードライバーなのでこんなもんです。

 

また雨が強くなってきたため、長篠設楽原PAで休憩。

 

このルートで驚かされたのが、長野自動車道からこの第二東名に至るまで、

本当に街らしい街が現れず、ひたすら山しか見えない道でした。

景色も何も山しかないので、県内走ってると言われても分からないような景色でした。

途中標高1000mとか書かれてましたし。

そら、なんか見下ろす事すら出来る山があるわけです。

ど田舎出身ですが、関越自動車道って言うても湯沢からグンマー共和国の途中辺りまでが山なだけで、

後は田園風景とは言えどそこまで山中を通るわけでは無いんです。

限界集落の出身とまでは言わないまでもまぁまぁど田舎の出ですが、

日本にはうち以上の田舎が山ほどあるんだなと思った次第です。山だけに。

 

余談ですが、ここまでに至るまで、ほぼ全部のハイウェイラジオを制覇したと思います。

録音してたわけでは無いのでどこがどうだったとか書けないのが残念です。

本当に余談ですな。

なかなか中部地方のハイラを聴く事無いので、是非とも公団時代に聴きたかったですね。

 

 

長かった高速を降り、ETCで1万いくらの表示。

休日割引が適用されないだけで、距離かなんかの割引が適用されたようで11000円切りました。

親が泊まるホテルへ向かい、チェックイン。

実家を出てから約9時間、ようやく目的地ほぼ到着です。

 

そして17時20分頃でしょうか。

アパートから累計586㎞、実家から500㎞、手袋さん宅へ到着。

手袋さん、手袋さんのご両親がお出迎え。

 

手袋さんに会うのは1年3ヶ月振り。

俺が車から降りる前にうちの親が降りたので、俺が降りる事には挨拶らしい挨拶が済んでおり、

当の息子は「あぁ、どうも」くらいでした。

 

床の間というんでしょうかね。 和室で談議。

鉄板である 『 新潟の冬は雪がヤバい 』 『 浜松はちらつく程度 』 などの天候の話から、

お母さん同士の境遇がやや似てたり、

お母さん同士の趣味がかなり似てたり、

お父さん同士の仕事に若干共通点があったり、

とにかく思ってた以上に親同士が話してくれてたので、非常に楽でした。

何なら俺と手袋さんは普段通話で喋ってる分、聞き手に回ってた印象すらあります。

 

そのまま飯の準備をしてくださり、寿司やら浜松餃子やらいか揚げやら、

そして手袋さんの家は誰も飲まないのにうちの為にビールまで用意して下さり、

おもてなしを受けっぱなしでした。

 

今回の顔合わせ、一般的な婚活サイトとか経験談で見るような、

順々に挨拶をし、何かを交換したりし、最後に締めの挨拶が~といった形式的な顔合わせではなく、

本当に話すことに重点を置いた形式でありました。

堅苦しいのはヤだという両家の意見が一致した形だったと思います。

 

飲んだりつまんだり、話は続いて22時にお開き。

うちの両親は、唯一飲んでいない手袋さんの親父さんに送ってもらいました。

 

風呂から上がると手袋さんと弟君さんが飲みなおしてたので、俺も貰う。

何話してたかはよく覚えてないですが、

確か手袋さんが一蘭にハマッたと聴いて驚いた…みたいな話してたかと。

 

手袋さんの部屋でフェニックスワンという海外製コントローラーで

PC版beatmaniaIIDXをプレイ。

自宅と環境が違うとはいえ、睡眠不足、500㎞の移動、飲酒の所為か、あまりにも酷いスコアで笑いましたね。

結局1時だかそこらに寝たんではないでしょうか。

 

 

 

続きます。

珍しく会話パートが無いなと思われるかとお思いでしょうけど、

親を会話パートに入れるのが死ぬほどこっ恥ずかしいのと、

俺が中心で話してる時間が短く覚えてないというのが正直なところ。

 

さて次回は、このブログには珍しい観光枠。そして最も俺が喋ってない日。

次回もお苦しみに。

お久しぶりです、れすとです。

 

一大イベントが終わり、気を抜いてたら気付けば2週間近く経っていた…そんな感じです。

 

今回から新シリーズ。

2020年3月(RB1982~)から1年3ヶ月振りに静岡へ行ってきました。

Twitterのフォロワーで音ゲーマーで婚約者である手袋さんの実家のある

静岡県浜松市へ、車で片道500㎞かけて密を避けての遠征です。

今回の目的は親同士の顔合わせです。

前々から話は出ていたんですが、ケツを叩かれようやく実行に移した次第です。

 

前述の通り、親同士の顔合わせの為、今回は親が同行してます。

昔から俺の日記では、例外はありますが家族の事をネタにしない方針で来ました。

なので、今回はかなりテイストが異なるかと思います。

今までの遠征以上にあった事を淡々と書く『だけ』のシリーズになる事を予めお詫びします。

 

 

この東京五輪がどうのこうの言われてるさなか、遠出したの?と思われるでしょう。

この不要不急の移動が叫ばれる中遂行したのは 『 不要 』 ではないから…とだけ言っておきます。

とりあえず2週間弱経過して体調不良起こしてないので、

何なら出発前の方が体調最悪だった(前回参照)ので、公開して大丈夫かなーと。

事情はあるにしろ遠出した事については否定的な声もあるでしょう。

ここ(前書き)に書いちゃいますが、

てめぇらに1年半近く彼女に会えない気持ちが分かるかって話ですよ、えぇ。

早い話が、待ってても好転しないという事で、強行した次第です。

 

 

 

○ 2021年6月18日(プロローグ) ○

 

珍しく、本編は出発前の話から始まります。というか今(7/8)追記しました。

 

前述の通り、ウイルス性胃腸炎をやらかして2日間会社を欠勤。

復帰後1回目となる6月17日→18日の夜勤。

終業時間になると、上司から後処理終わったら声かけて欲しいと。

はい怒られるーこれまた体調不良当欠怒られるやつーと思ってたら、

6月末の大連休についての話メインでした。

 

うちの会社はコールセンター業務を行う会社で、

うちの部署以外にも様々なクライアントのコールセンター業務を引き受ける会社です。

結構雑多なもので、1つの大部屋で幾つもの業務が軒を連ねます。

なのでこのコロナ禍でなくとも、インフルエンザの季節になるとピりつくわけです。

 

今回の遠征について、有給を使う事もあり、

この時期のこの大連休については流石に会社に説明する必要があり、

早い話が、部署としてはどっちでもいいが、会社としては勘弁してほしい…と言う話でした。

今回ばかりはコロナ感染対策について聞く必要があると、ルートなどについて聞かれたので、

・車で行き、長時間家族以外との人間と狭い空間を共有することを避ける

・東京を経由せず長野県を通るルートで行き、少しでも休憩時のリスクを抑える

・基本的に彼女の実家で行い、外食は抑える

事を説明し、上司には納得頂きました。

部署的には、前々から遠距離である事は知ってましたし、

どちらかというと別部署に結構気にする人がいるらしく、そっちの顔色伺う必要があったようで。

会社へは以上を説明し、

会社の意向を伝えたうえで本人の強い希望もあり対策も行う為

GOサイン出したと伝えてくれるそうです。

なんだかんだで甘いから、俺もこの会社に甘んじているところあります。

 

あんまりこの部分はうちの親にも向こうの家族にも言いませんでしたが、

今回ばかりは結構調整(とわずかな嘘)を行い、何とか実行できました。

 

 

 

○ 2021年6月23日(水) ○

 

0日目…と言うか、-1日目。 連休前、最後の夜勤。

20時起床、22時勤務開始。

 

そして6月24日朝9時、無事に終業と思いきや、

○○さんが休んじゃったんで、30分残業してくれないか、との事。

いやいや俺この後出発だって知ってますよね。

以前この手の残業蹴ったらめっちゃくちゃヤな顔されたんで、今回は引き受けましたけども。

 

それが終わったらまた上司から呼び出されて、

夜勤も一緒に入っているベテランの方がこの6月いっぱいで辞める、と説明されました。

それ、この日が6月最終出勤の人に今言いますかね。 遅ぇっての。

ご挨拶出来ないじゃ無いですか。

 

 

そんなもやもやを抱きつつ、自宅へ帰り、飯を食ったりラジオを聴きつつTwitterを見たりしてたら14時。

本当にADHDなんじゃねぇのってレベルで学習しないですな。

ケツに火がつかないと動かないタイプ。

夜勤明けなので、仮眠取ってから実家へ行くか、仮眠取らずに実家へ行くかだったんですが、

もう仮眠など取っていられない時間に。

 

重い腰を上げて車の窓ガラスを拭きに行くと、事の他時間がかかる。

面倒くさがってバケツを持ってこなかったのがあだとなり、

タオルを洗うために2,300m程度離れた家と駐車場を何度も往復することに。

そこから荷物を載せたり何なりして、17時前にようやく出発。

ROUND1。 まずはアパートから実家までの約90㎞。

そう、前書きパートで書いた片道500㎞はあくまで実家からの距離。

俺だけ、そこにアパート→実家の移動距離が加算されるので約200㎞増えるわけです。

もう少し運転できるドン!

 

夜勤明けであり、仮眠もとらなかったのでこの時点で20時間近く起きっぱなし。

このタイミングで眠気がき始めたので、ETCのテストも兼ねて高速で向かう。

しばらく使ってなかったのでちゃんと動くか確認ですね。 前日にやるなよって話ですが。

 

ETCの割引が無い為、地元へ行くだけで2000円以上取られて驚き桃の木20世紀でした。古い。

これで静岡までとか、5000兆円くらい取られるのでは!?と不安でしたね。ヲタク特有の誇張表現。

飯を食ってから実家へ。

婆ちゃんは着くなり、いつも通り酒を飲め飲め言ってくる。

流石に完徹で、既に24時間以上起きているんで要らねぇと何度も説明。

殺す気かっていう。

 

婆ちゃんが見てた刑事ドラマを結局最後まで見てしまったり、

荷物の整理などをしており、寝たのは0時過ぎてました。

病み上がりで6/23 20時~6/25 0時半までよく起きてましたな。

 

 

 

続きます。

まさかのイントロダクションだけで終わるという。

ここからが本編なのに薄いので大丈夫です。だいじょばない。

 

さて、先日7月6日で誕生日を迎え、34歳になりました。

当時20歳から始めたこのブログで誕生日報告するの14回目なんですね。

誕生日おめでとう俺ツイートをしようとした際に自分の年齢が分からなくなり、

「 1987年生まれ 年齢 」 でgoogle先生に聞いたのは内緒です。

マジで自分の年齢分からなくなってくるんだなって思いましたね。

ついでに言うと、ブログの説明書きが「31歳のダウナーな人による」と書かれていて、

いつまで31歳背負ってるんだって思いました。というか、今気づきました。

 

さて次回はいよいよ500㎞の道のり。 次回もお苦しみに。

こんばんは、れすとです。

数年振り、3度目の胃腸炎をやらかしまして。

最高38.1度。 悪寒、発熱、腹痛、下痢、下痢によりケツが死ぬなど、

久々に体調不良紅白スペシャルメドレーをお送りしてきました。

医者曰く、ノロウイルスの可能性が高いとの事。

吐き気が無かったうえ、下痢は延べ6日間に渡った為、どうなのかなーと。

正直まだ完全体ではないですが、多分もう大丈夫だと思います。

アンコールは流石に来ない…と願いたいです。

あんまり俺の不健康話をすると、趣旨がぶれるんで本編へ。

 

 

さて本編は引き続き、ゴールデンウィークの地元帰省編。

地元友達のアルプルと共に、同じく地元友達のgpの実家へ。

アルプルの身に生じた労災話を中心に話をする『だけ』の回。

午前集合、午前解散の、近所のババァ達のお茶会かって位短時間。

 

前回までのあらすじ。

gpの迎えで、gp宅へ。 喋った。

 

 

 

○ 2021年5月5日(水)/11:30/gp宅 ○

 

軽くおさらいすると、アルプル氏が清掃業務中に引継ぎミスによって熱湯を浴びる労災が発生。

この回の時点で、ようやく退院、その後再入院・手術だそうで。

 

現在は実家で療養中のアルプル。

一方、引きこもり疑惑のある嫁さんが一人アパートで留守番。

 

 

gp 「 君、いつ頃アパート帰るの? 」

 

アルプル 「 手術終わったらかなー。 帰りたくねぇんだよな。 」 【 新婚時代から戦争状態 】

 

全 「 ハハハハハ! 」

 

俺 「 結局そこでしょ? 」

 

ア 「 そうそう。 実家で悠々と暮らしてるわ。 」

 

俺 「 早いとこ帰ってあげないと、嫁腐ってるかもしれねぇぞ。 」

 

全 「 ハハハハハ! 」

 

 

 

我々(新潟・浜松)の場合。

 

 

ア 「 れすとんとこはどうなったの。 」

 

俺 「 向こうの両親に挨拶してから、1年以上会ってない。 」 RB1982~/20年3月より 】

 

ア 「 うわー辛いね、それ。 」

 

俺 「 ねー。 これ以上待ってても情勢的な回復が見込めないから、

    一応6月に向こう行って顔合わせやる予定だけどね。 」

 

ア 「 おー、やるんだ。 」

 

俺 「 彼女に 『 いい加減早くしろカス 』 って言われたからね。 」

 

ア 「 ハハハハハ! マジで? 」

 

俺 「 嘘だよ、カスとは言われてないよ。 」

 

ア 「 なんだ、びっくりした。 本当に言ったのかと思った。 」

 

 

同士が出来たかと思わせちゃいましたかね。

あと、最近思ったんですが、俺こういう微妙に分かりにくい嘘つくキャラになりつつありませんかね。

 

 

お開き。

gpの車で、まずはアルプルを実家へ送り返す。

 

 

俺 「 うわーこの辺超懐かしいわ。

   これだけ長い付き合いなのに、マジで一度としてアルプルの家入った事無いからね。 」 【 25年の付き合い 】

 

gp 「 マジで? 」

 

俺 「 中越地震の時だったかに、玄関入ったのが唯一だわ。

    本当に100:0であいつが俺の家来てたからね。 」

 

 

俺は昔から出不精で人の家に行きたがりませんでしたが、

それでもここまで極端なのはアルプルだけです。

一度して 「 うちに来てくれ 」 といいませんでしたからね。

「 お前んち行っていいか 」 と言わない俺も俺ですが。

 

 

助手席に乗る、ある意味本日の主役、gpのお子様。

 

 

gpお子様 「 パパのお友達。 」

 

gp 「 パパのお友達、どっち? 1人はさっき降りたよ。 」

 

gpお子様 「 パパのお友達。 」 【 どっちとは言わない 】

 

俺 「 あれは概念。

 

gp 「 ハハハハハ! 」

 

 

子供(3歳)に全く分からないネタを言う、ある意味子供(33歳)。

 

 

実は一度2人で会っているという、アルプルとgp。

 

 

gp 「 今回の前に、一度彼と会ってるからね。 」

 

俺 「 そうなんだ。 なんか、現状について知ってるなーとは思ったけど。 」

 

gp 「 そうそう、あいつんちの実家の玄関口で喋ったからね。 」

 

俺 「 ハハハハハ! やっぱ入れねぇんだ。 」

 

gp 「 息子も一緒に連れてったんだけど、

   アルプルの父親がちょうどトイレから出てきて、『 うんこ出た? 』 って聴いてた。 」

 

俺 「 ハハハハハ! 勇気あるな。 」

 

gp 「 そのコミュ力はどっから来るんだって思ったわ。 」

 

 

 

- で

 

 

gp 「 今回に限っては、1ヶ月で2回という猛烈なスパンでアルプルと会ってるからね。 」

 

俺 「 今までの負債返してんじゃん。 」

 

gp 「 ハハハハハ! 」

 

 

 

高校時代はクラスこそ全員違いましたが、部活が一緒だった事もあり、

試合前だと土日どちらも部活の時もあったので、

マジで年間330日くらい会っていたと思います。

その上、たまの部活の無い日に会って遊んだりしてましたからね。

それが今では、昨年は下手すると1回とかだったので、未接触負債が貯まりまくってます。

なのでたまに会うと、2時間喋っただけで3話とかになってしまうわけで。

 

忘れてましたが、俺・gp・アルプルの3人が出会って今年で25周年イヤーなんですね。

腐れ縁もここまでくると納豆のような粘り気を増してきますね。 あまりうまい事言えてません。

 

さてこのシリーズは今回で最終回です。

久々に記事のストックが尽きましたね。

最早1ヶ月に2回くらいしか更新しないのにストック尽きるとかどんな人生送ってるんですか逆に。