RB2024 越後→遠州日本列島横断~静岡周遊4~(其の2) | REGULAR BONUS

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31歳のダウナーな人による、 日々のREGULAR BONUSな瞬間…というかヤだなぁと思った瞬間とかを綴るブログ。

こんばんは、れすとです。

 

6月25~27日の3日間、

2020年3月(RB1982~)から1年3ヶ月振りに静岡へ行ってきました。

Twitterのフォロワーで音ゲーマーで婚約者である手袋さんの実家のある

静岡県浜松市へ、車で片道500㎞かけて密を避けての遠征です。

今回の目的は親同士の顔合わせです。

 

昔から俺の日記では、例外はありますが家族の事をネタにしない方針で来ました。

なので、今回はかなりテイストが異なるかと思います。

今までの遠征以上にあった事を淡々と書く『だけ』のシリーズになる事を予めお詫びします。

 

 

前回までのあらすじ。

会社へ説得の上遠征にこじつけるも、1週間前にウイルス性胃腸炎でダウン。

出発前日、夜勤明けそのまま実家へ約90㎞走破し早くも死にかける。

 

 

 

○ 2021年6月25日(金)/6:00/実家 ○

 

イントロダクションが長すぎてアレでしたが、ここからが1日目です。

24日9時に夜勤が終わり、そのまま起きっぱなしで実家へ移動、0時過ぎに寝ました。

目が覚めたらまだ5時前。 終わりを悟りましたね。

殆ど二度寝も出来ず、起床。

 

7時15分頃、出発。

「 眠い 」 の一言で最初から還暦過ぎの親父に運転させるという親孝行息子。

まずは下道で、こん平師匠の出身地であるチャーザー村のある小国を抜け、

柏崎へ向かいます。

地元から高速へ乗る方法もあるんですが、今回の長野経由ルートの場合、

長岡まで行って峠越えして柏崎まで戻る…と言うルートになる為、

あまり高速に乗るメリットが無いので下道で峠越え。

 

柏崎からは運転交代し、俺の運転。

柏崎からいよいよ長きにわたる高速道路の旅が始まります。

北陸道で本州縦断開始。

まず新潟抜けるまでが一仕事です。

家に帰るまでが遠足ですの逆です。新潟抜けるまでは家です。

 

上越JCTから上信越自動車道へ。

新井PAで休憩。

れいめい橋を過ぎ、長野県へ入ります。

長野 160㎞ 』 だかの看板が心を折りに来ます。

 

松代PAで休憩。

 

更埴(こうしょく)JCTで長野自動車道へ。

 

岡谷JCTで中央自動車道へ。

この辺りだか忘れましたが、名古屋とか京都といった文字が出始め、

看板の表示を見ると、来るところまで来たなーって感じましたね。

 

雨が降り始めたと思ってたら、みるみるうちに豪雨に。

ワイパーの最高速なんていつ振りに使ったか。初めてかもしれません。

あまりの雨に、どっかのPAに避難しました。

 

気付いたら岐阜県へ入ってました。

計画段階から現在に至るまで、大雑把なルートの確認はしてましたが、

あまり詳細な地図を見ておらず、岐阜を通る事などすっかり抜け落ちてましたね。

まさかあのカーナビで岐阜県の文字を見る事になろうとは。

 

12時半頃でしょうか。恵那峡SAで昼飯。

豚骨味噌ラーメン黒マー油入りを食いました。フードコートでしたが美味かったですね。

紙面の地図(ハイウェイウォーカーに載ってるやつ)が長野までしか載っていない為

欲しかったのですが、無料配布は行っていない模様。

多分初めてハイウェイインフォメーションに声掛けしたと思います。

「 どの地図がいいですか? 」 と聞かれ真っ白に。

どれと言われてもこれから通るルートがどの地図に含まれるかなんて知らない。

アッアッ…ハママツ… 」 みたいな感じだったかと。 コミュ障。

 

岐阜県に正式に足を踏み入れましたので、

このブログ的には

新潟・埼玉・東京・千葉・群馬・福島・長野・神奈川・富山・石川・

山形・静岡・愛知・茨城・秋田・岩手・宮城に続いて、18都道府県目。

 

土岐JCTから東海環状自動車道へ。

この辺りから一度愛知県に入り、そこから静岡へ戻るようなルート。

名古屋走りが懸念されましたが、

名古屋市には入っていない為かそこまで荒くれ者はいませんでした。

 

豊田東JCTから新東名高速道路(第二東海自動車道)。

6つもの高速道路を経由。

ここまでずっと片側2車線でしたが、遂に片側3車線になり、都会だなーってなりましたね。

まぁ片側3車線の走行は、新潟バイパスで練習済みなので

思ったより緊張しませんでしたが。 3年くらい前までペーパードライバーなのでこんなもんです。

 

また雨が強くなってきたため、長篠設楽原PAで休憩。

 

このルートで驚かされたのが、長野自動車道からこの第二東名に至るまで、

本当に街らしい街が現れず、ひたすら山しか見えない道でした。

景色も何も山しかないので、県内走ってると言われても分からないような景色でした。

途中標高1000mとか書かれてましたし。

そら、なんか見下ろす事すら出来る山があるわけです。

ど田舎出身ですが、関越自動車道って言うても湯沢からグンマー共和国の途中辺りまでが山なだけで、

後は田園風景とは言えどそこまで山中を通るわけでは無いんです。

限界集落の出身とまでは言わないまでもまぁまぁど田舎の出ですが、

日本にはうち以上の田舎が山ほどあるんだなと思った次第です。山だけに。

 

余談ですが、ここまでに至るまで、ほぼ全部のハイウェイラジオを制覇したと思います。

録音してたわけでは無いのでどこがどうだったとか書けないのが残念です。

本当に余談ですな。

なかなか中部地方のハイラを聴く事無いので、是非とも公団時代に聴きたかったですね。

 

 

長かった高速を降り、ETCで1万いくらの表示。

休日割引が適用されないだけで、距離かなんかの割引が適用されたようで11000円切りました。

親が泊まるホテルへ向かい、チェックイン。

実家を出てから約9時間、ようやく目的地ほぼ到着です。

 

そして17時20分頃でしょうか。

アパートから累計586㎞、実家から500㎞、手袋さん宅へ到着。

手袋さん、手袋さんのご両親がお出迎え。

 

手袋さんに会うのは1年3ヶ月振り。

俺が車から降りる前にうちの親が降りたので、俺が降りる事には挨拶らしい挨拶が済んでおり、

当の息子は「あぁ、どうも」くらいでした。

 

床の間というんでしょうかね。 和室で談議。

鉄板である 『 新潟の冬は雪がヤバい 』 『 浜松はちらつく程度 』 などの天候の話から、

お母さん同士の境遇がやや似てたり、

お母さん同士の趣味がかなり似てたり、

お父さん同士の仕事に若干共通点があったり、

とにかく思ってた以上に親同士が話してくれてたので、非常に楽でした。

何なら俺と手袋さんは普段通話で喋ってる分、聞き手に回ってた印象すらあります。

 

そのまま飯の準備をしてくださり、寿司やら浜松餃子やらいか揚げやら、

そして手袋さんの家は誰も飲まないのにうちの為にビールまで用意して下さり、

おもてなしを受けっぱなしでした。

 

今回の顔合わせ、一般的な婚活サイトとか経験談で見るような、

順々に挨拶をし、何かを交換したりし、最後に締めの挨拶が~といった形式的な顔合わせではなく、

本当に話すことに重点を置いた形式でありました。

堅苦しいのはヤだという両家の意見が一致した形だったと思います。

 

飲んだりつまんだり、話は続いて22時にお開き。

うちの両親は、唯一飲んでいない手袋さんの親父さんに送ってもらいました。

 

風呂から上がると手袋さんと弟君さんが飲みなおしてたので、俺も貰う。

何話してたかはよく覚えてないですが、

確か手袋さんが一蘭にハマッたと聴いて驚いた…みたいな話してたかと。

 

手袋さんの部屋でフェニックスワンという海外製コントローラーで

PC版beatmaniaIIDXをプレイ。

自宅と環境が違うとはいえ、睡眠不足、500㎞の移動、飲酒の所為か、あまりにも酷いスコアで笑いましたね。

結局1時だかそこらに寝たんではないでしょうか。

 

 

 

続きます。

珍しく会話パートが無いなと思われるかとお思いでしょうけど、

親を会話パートに入れるのが死ぬほどこっ恥ずかしいのと、

俺が中心で話してる時間が短く覚えてないというのが正直なところ。

 

さて次回は、このブログには珍しい観光枠。そして最も俺が喋ってない日。

次回もお苦しみに。