悟りへの道 -29ページ目

悟りへの道

今にある 
-笑う門には福来る、有難いことに気づく人は幸せである、後悔より未来へ1歩、いいんだよ-
仕事、本、感じたこと、学び、今は、悟り的考え、等いろいろ書いています。

最近、

思考に気づき

それをもう一人の自分がながめ

思考に巻き込まれないので

感情も出なく

 

よって

静かなる気持ちで平安に過ごしていたが、

気づきがあった。

 

 

 

 

動画を見ました。

(最後にリンクはっておきました)

 

HAPPYちゃんは
こんなことを言っていた。

 

●気分がいい

 心地がいい

 リラックスしている

 安心している、が大事

 

●気分がいい時が

 おりてくるタイミング

 

●気分のいいまま進んでいくと
 ヒント、ナビゲートがくる





私は、
「心地よい気分」「良い気分」

でいることを

わすれていたかもしれない。

 

 

 

 

思考や感情はとらえられ、

 

そこで気づくと

平安のスペースに戻れていた。

 

が、

さらに意図的に

「良い気分」にしようとすることを

していなかったのに気づいた。

 

落ち着いているけれども

普通の表情で

特に楽しそうでもない感じ

 

という感じだろうか。

 

 

 

 

ずっと

もう一人の自分が

思考を見張り

次はこうするのかと見て

平安の中にいただけ。

 

軽く考察すると

「良い気分」でいるには

条件があるように思っていた気がする

 

●~すべき

●~もっとこうしないと

 

さらには、

 

●~しないと、遊んではいけない

●~したら、楽しんでよい

●~していないのに、良い気分でいてはいけない

 

という概念が「自分」にあった気がする。

 

 

 

 

思考もみはりつづけるが、

良い気分にもなってしまおうと思う。

 

 

 

 

良い気分と書いたが、

 

動画のHAPPYちゃんは

気分よくなるために

 

なにもディズニーランドに行くなど

大きなことをするのではなく

 

珈琲☕を飲んだり

 

自分の気持ちがよい

小さいことでよいと言っていた。

 

 

とにかく

心地よくいること

心地よいまま行動する

 

それが次へのヒントがくる

きっかけになるという。

 

 

 

 

昨日早速実行してみた。

 

自分は気分がいいし

 

次につながるヒントがあるというのも

なんだかわかった気がする。

 

このことは

また機会があったら書きます。

 

 

 

 

HAPPYちゃん

HAPPYをありがとう!

みなさまにもますますHAPPYがありますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

googleを使用していて

質問したいと思ったことが何度かあった。

 

問い合わせ方法がわからなかったが、

今日偶然発見。

 

「Google スペシャリスト」

というものがあるようだ。

 

電話

チャット

メール

 

で問い合わせが出来るらしい。

次の機会には利用したい。

 

自分用にメモ。

自分の過去のブログを読み返していた。

 

 

 

下記のブログ、

 

 

 

主にスマナサーラ長老の動画の内容を

ほぼ抜粋したものだったのだが、

 

長老の言葉の数々、素晴らしいなぁ

 

とあらためて思った。

 

 

 

 

 

 

ブログを書いても

1-2日で自分でも書いたことを

忘れている。

 

だから、

日々学びだと思っているが、

 

これだけよいことを

教えてくださっていたのかと

 

発見だった。

 

 

 

 

今日気になったところは2つ。

 

●親に怨みを持っている人への対応。

 

矛盾を指摘すると

どうにもできなくなる、という。

 

色々な問題解決方法を見ていて

最近なんだか違うと思っていたので

こういう視点での対応があったかと思った。

 

 

●ブッダの思考パターンにも頼らず

自分の考え、理解をつくる、という点。

 

そうだと思う。

自分でしっかり考察する大切さを

私も実感している。

 

 

 

 

また日々、日々、成長していきたいと

思わせていただけた。

 

 

 

 

ありがとうございました。

 

全ての生き物、物、が

さらに幸せでありますように。

 

 

 

タイトルの本を買った。

 

手塚治虫ブッダ: こころがラクになる生き方

 

毎日悟り関係の本を

読み始めると止まらなくなることが

少し最近の悩み事です。

 

 

 

 

さて、

最初の数ページで

手塚治虫が定義する「悟り」について書いてあった。

 

これが本質であれば

「悟り」について

私の中で考えがまとまった気がする。

 

 

 

 

書かれていた

「悟り」とは、

①自分とは宇宙そのものである

②欲、煩悩を捨てれば平安となる

 

この2点であった。

 

 

 

 

 

②は、だいぶ理解できてきた。

また、その欲や煩悩に気づき

平安にすごせる時間が

 

人生の7-8割になったきた。

 

 

 

 

①も意識の置き方

視点の持って生き方で

少し感じられる時間が増えてきた。

 

自分をもう一人の自分が俯瞰して

見ている生き方になってきている。

 

そしてそれさえも受け入れる

意識の広がりのようなものが

その後ろにいる。

 

 

 

 

渇望することなく

起こるままに

すべてのことの奇跡に心を向けながら

 

また静かなる平安と

笑顔の中進んでいけたらと思う。

 

 

 

 

~ありがとう~

 

 

 

手塚治虫ブッダ: こころがラクになる生き方

 

 

 

ブッダ 1

 

 

 

 

 

 

 

非二元についての動画。

 

 

 

以前から存じ上げ閲覧もしていたのだが、

公開コンサル形式の動画も上がっていたので

見てみた。

 

 

 

そこで思ったことが2つある。

 

①クライアントさんの質問が

 以前自分が疑問に思っていたこと

 ばかりだった。

 

そうそう、私も

よくそういう疑問が出ていたなぁ、

と思った。

 

今は答えられそうな”自分”がいた。

 

そういう視点で見ている

”自分”が起こったといった方がいいのかもしれない。

 

 

 

 

②悟りを伝えるには

 やはり工夫がいるなぁと思った。

 

”ただ起こることが起こっているだけ

完璧、どれもよい、そのままでよい”

というお伝え中心に思えたが

 

クライアントさんは

もう少し具体的説明が欲しいように見えた。

 

やはり悟りは

伝え辛いものなのだなぁ。

 

 

 

 

 

②についてさらに考察。

 

「釈迦は自分の悟り体験を

どうしたら伝わるだろうと思っていたという

 

だも、そんな釈迦の周りに

多くの人が悩みを抱え相談にきていた

 

その時に釈迦が語っていたこと

日頃、弟子たちに語っていたこと

 

それらを

釈迦の逝去後、

弟子たちが教えをまとめ

初期仏教(テーラワーダ仏教)となる。

 

ちなみに

日本に伝来した仏教とは全く違うものだとの

認識を私はしている。

 

初期仏教は

宗教でなく

「究極の心理学」と言われる。

その通りだと感じている。

 

 

 

 

 

釈迦は

「悟り」を多くの人に伝えようとし

その難しさを実感したのではないかと思った。

 

「悟り」自体は

修行僧ましてや一般の方には

さらに伝わりづらかったのではないか。

 

だから、

「悟り」を伝えつつも

人々の苦しみを軽くする方法を

現世的に心理学として

伝えていのでは? と思った。

 

 

 

 

一瞥体験をされた多くの方が

いろいろな伝え方をされている。

 

釈迦が心理学的要素を強め

人々と対話していったように

 

究極は

「幸せ」に暮らしたい人を

いかに手助けできるかなのかなぁと思う。

 

また考察をさらに

深めていきたい。

 

 

 

 

参考までに、動画を貼り付けておきます。

 

 

 

↓ クライアントさんの疑問、以前の私も多く持っていました

 

 

 

 

↓ なるほどと思う分析をされていました。

 

 

 

 

 

すべての生き物・ものに幸あれ。

最後までお読みいただきありがとうございました♡

奇跡記録(とても運が良かったことの記録):

 

●エアコン消し忘れに気づく

 

2Fの部屋のエアコンを消したと思い込んでいた。

 

なんとなく大した用事もないのに

2Fに行きたい気がして行くと

エアコンがついているではないか。

 

消せました。

ついていてありがたい♪

 

 

今まで

思考に巻き込まれず

思考に気づく”違う自分”ができたと思ってきた。

 

思考自体の自分

思考に気付く自分

それらすべて受け入れている自分

 

そんな視点で

世の中を見るようになっていた。

 

 

 

 

しかし、

今日は

また違う感覚が出てきた。

 

 

 

 

ある場面で

悲しいことを

ふとした瞬間に思い出した。

 

ぐっと悲しい感情に

動かされそうになる。

 

しかし、

それにすぐ気づき

巻き込まれ過ぎないようにと

思っていたが、

 

 

 

「あっ、

 そういう思考が出たというより、

 

 そういう”悲しい”という情報に

 今つながっただけなのではないか!?」

 

 

という感覚が出てきた。

 

 

 

 

情報につながっただけならば

悲しみをほどほどに感じたい場合は、

 

つながる先を変えればよいではないか

 

と思った。

 

 

 

スマホを見すぎるのも

悲しいことを思い出すのも

投げやりな気持ちがでるのも

自己嫌悪がでるのも・・・

 

その情報場につながっただけで、

 

つなげる場を変えればよい。

 

 

 

そう思って

もっているある「技」を使い

 

つなげる先を変えたならば

 

違う場につながるようになった気がした。

 

 

 

 

そんな発見があったので

記録してみました♡

 

 

 

 

お読みいただきありがとうございました♡

 

奇跡記録(とても運が良かったことの記録):

 

●予備の靴があった!

 

先日、親の病院つきそいをした。

 

よくみると

親の足元に

チョコレートクッキーが

散らばっている。

 

なんと

靴のかかとが

いつの間にか劣化で硬化し

くずれて散らばっていたのである。

 

みると

童話「ヘンゼルとグレーテル」の

パンくずのように

歩いてきた道がはっきりわかる

・・・目印のように落ちていた。

 

 

 

そのまま履いていたら

病院を汚してしまう。

 

そこで、

車の中に「運動靴」があることを

思い出した。

 

そんなこと

過去一度もないのに

 

用事があり履き替え用に

たまたま

「運動靴」を車に積んでいたのだ。

 

 

 

無事履き替えできた!

 

 

 

強運の技をかけているが

そのせいかなぁ。

またまた

運が良くてありがたいです♪

 

 

 

 

生きとし生けるものが

さらに幸多き日々でありますように。

 

 

昨日はとても寒かった。

今日は春のような日差しだった。

ともに2月。

 

梅が開花し、

黄色い福寿草の芽に癒され

 

小さな春の気配を感じている。

 

 

 

 

 

変なタイトルにした。

 

 

 

 

 

どうしてこんなタイトルにしたかというと、

 

最近、他人と接していて

ハッとすることが多かったから。

 

 

 

 

仕事上や

普通のおつきあいで他人と接していて

 

少し悪い?というか相手に批判的な

「思考」がぱっと出てきたりする。

 

「思考」にすぐ気づくとともに

 

あっ!

これ自分のことじゃないのか?

 

と思う事が何度かあった。

 

 

 

 

例えば、

 

●定年の方が朝から外掃除をしていた。

 

 「時間があるから暇そうだなぁ。」

 (時間があっていいなぁ、という気持ちあり)

 

と思うと同時に

 

自宅で仕事をしている自分も

朝からよく外掃除をしている。

 

「あっ!

 私こそ定年もしていないのに

 外掃除をする余裕があり

 

 暇だと

 他人には見えていたのかもしれない!」

 

 

 

 

 

 

 

そんな風なことが

何度か最近あった。

 

他人に思ったことが

自分にそのまま

当てはまるではないか!!

 

と思うようになった。

 

 

 

 

逆に

それが今の自分の課題だから

 

他人を見て

ある「考え(思考)」が出て

 

気づかせてくれている

という考えを

 

どこかで読んだことがある。

 

 

 

 

 

 

他人は

本当は他人なのではなく

 

”自分の鏡”

として存在しているのかもしれない。

 

そうなると

すべて自分になってしまうのだが。

 

 

 

 

 

他人に対して

何か思っている時

 

注意深く見ることを

引き続き行ってみたい。

 

 

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。