しばらく仕事で忙しく
悟りの考察ができなかったが、
少しだけ感じたことを更新しておきたい。
以前も書いたが、
「知らない」
ことはたいていの悩みの原因であると最近もつくづく思った。
「知らない」
=「自分の知っていることだけ」
=「自分のモノサシだけが正しいと思っている」
に通じるので、
よく書いているように
結局「ものさし」でもあるのだが、
言い方を変えると
「知らない」
になると思う。
知識的にも経験的にも
「知らない」から、
例えば
例)「別れたり、告白しフラれたとき人生のどん底になる」
が起こるように思う。
これも別の見方をすれば(⇔ その見方・知識・経験を知らなかった)
➡ 人の好みはそれぞれ
➡ 結婚をゴールとするならば、何人とつきあってもその前に膨大の別れがある
➡ 何人にもてても、もてなくても、結婚できるのは一人
➡ 告白がチャレンジのように思いがちだが、勇気はほぼ関係なく、縁と好みと時期の合致が優先される
➡ パートナーがいること=自分の価値、というモノサシを多大に重要な価値観としている
➡ 別れる・フラれることで、次の出会いはないことにフォーカスしている自分に気づけない
など、他多数あるが、それらを知らないのだと思う。
でも、
最初からなんでも「知っている」状態にはなれるはずもない。
年齢や経験を積み重ね、
学び「知る」を増やしていく。
そう考えると、
未熟だったとしても、
自分もよし、
他人もより、
すべてよし、
になる気がする。
批判や不満を自他ともに持ちたくなる心も
静まり、
広い心が広がっていく気がする。
知らなかっただけ、
思いこんでいただけ、
自分のモノサシだけで測っていただけ、
広く広くひろーく心がひろがると、すべてを受け入れるしかない気がしてくる。
何の執着もなく、今はそうなのかぁ、まぁいいか、
また元気にやっていこう、と。
感謝感謝、笑う門には福来る、後悔より1mm前進、あたり前を大切に、深呼吸して基本にもどる!(^^)/