前回のつづき・・・。
■美輪さんのいう結果をはってみて、
使っていた「技」より手間がなく十分
効果があるなぁ、と思った。
もしかしたら、
それも今「技」というものを理解しているから
美輪さんの結界も十分機能させられたのかもしれない。
■結局、
自分がある状態になる、
すでによい状態である、
よい運命になる、
もしくはその状態にすでになっている、
などと
どれだけ落ち着いた心でそれと一致し、
意図し続けられたかによるのだと思った。
つい人は、
己の常識で物事を見て、
期待や比較やもっとという欲がおこり、
無知・知らないことで誤解等して、
怒り、比較、嫉妬、心配、後悔、貪欲、など
で心をいっぱいにしてしまう
つまりその不快な状態、
それを”意図”していることになる。
”意図”がうまくできなくても、
その怒り等の心からいかに離れるか、
だけでも、まずは十分よい効果があるかと思う。
そのために、ありがとうを1万回言う、
と人生が変わると言われているのではないかと思っている。
■しかし、さらに気が付いたことがある。
意図は大事。
だが、
その意図がでるのは
結局、縁(ご縁や環境)から
生じるものではないか、と。
いや、
縁からしか生じ得ないと、思った。
■それでは、縁をかえれば、
現状が変わるのではないのか?
でも、その縁も
そうとしか起こりようがない、
そうとしか縁が配置されようがないように、
起こっていることなのではないか、
だから仕方がない、
というようにも思っていた。
■しかし、
少し違うかなぁという視点も出てきた。
縁を変えようと思えば、
(その思いも起こっただけではあるのだが)
縁を変えたなりに現実も変わるのではないかと。
■それというのも
下記を思い出したから。
ブッダは
「八正道」というものを提唱していた。
正しい行いや生活をすることが、
悟りにつながる、ということだった。
本当は、
悟りが起こる「個人」もいない、
悟りが起こるときはおこるし
起こらない時は起こらない
起こったとしたらそれは神の恩寵、
そしてすべてのことは起こっているだけ、
それを観賞している意識が本当の自分、
というブッダの悟りからしたら、
個人が八正道をすれば悟りが起こりうる、
というのは矛盾に聞こえると思う。
それでも、
それが大事だというブッダ。
なんだか
それに似ている気がした。
■最近”私”には、
「どうせ起こることが起こるのだから」
という気持ちで
ある意味、よくいえばゆったりと気楽に深刻にならずに、
ある意味、どーでもいいかなと投げやりに、
世の中を見ていることが起こっていた。
それでもいいのだが、
どうせ現世を観賞して生きている”私”なのだから
もう少し面白がってみたい、
という気持ちも起こっていた。
■八正道で悟りに近づくとブッダが言ったように、
縁を変え、意図をかえる、ことで望む現実をつくる。
2026年は、さらに悟り的視点をすすめながら、
そういう現実化も楽しんでみようかなと思う。
良いお年を。
すべてに感謝。
すべての幸せを祈ります。