●大切な人が亡くなった時 | 悟りへの道

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-笑う門には福来る、有難いことに気づく人は幸せである、後悔より未来へ1歩、いいんだよ-
仕事、本、感じたこと、学び、今は、悟り的考え、等いろいろ書いています。

大切な人が亡くなった時

 

「もっと何かできたのではないか」

「自分が防げたのではないか」

「自分のせいでこうなったのではないか」

 

など

自分を責める気持ちが出ることがある。

 

 

 

 

 

これって本当はどういうことなのかな?

 

と思った。

 

 

 

 

 

下記の見方をしているからかなぁ、と思った。

 

●物差し: 平均寿命ぐらいまでは生きるはずだ

      短い人生より、長い人生が良い      

 

●欲:   ずっと家族には一緒にいてほしい

      子供は、親よりあとに亡くなってほしい


●無知:  知らない

 

・縁:  多因多縁=1つの原因で事は起こらない

     誰かの1つの行動で結果が決まるわけでない

 

・無我: 自分が何かをコントロールできるという勘違い

     さらには、自分という固定のものさえもない

 

・無常: 常なるものは一切ない

     短い人生もあるそれも意味がある

 

・因果不定:自分一人の因果で事は定まらない

      さまざまな縁により同じ因でも果が変わる

 

・真理を知らない:

 ①物差しは、勘違いでないのか

 ②欲などに、執着していないか
 ③四苦八苦、愛別離苦、諸行無常などを知らない

 

など。

 

 

 

 

 

断っておくが、

ずいぶん整理して書いたが、

 

大切な人が亡くなった人に

 

こちらから

とてもではないが、こんなことは言えない。

 

 

あくまで自分の納得用である。

 

 

 

 

 

 

これから生きていく上で、

大切な人との別れが増えていくと思う。

 

悲しむときに出る

「ベーターエンドロフィン」※

(※ホルモンであり、神経伝達物質)

 

に癒しをもらう時期も必要だと思う。


 

 

 

 

しかし、

悲しみに浸る時期を越えていきたいとき、

 

 

新たな視点として

 

これらの考えを

 

自分を癒し

再び立ち上がる ”ホルモン” 代わりとして

 

もっておけたらと思う。

 

 

 

 

 

 

すべてに感謝。

万人万物のさらなる幸を祈ります。🍀