大切な人が亡くなった時
「もっと何かできたのではないか」
「自分が防げたのではないか」
「自分のせいでこうなったのではないか」
など
自分を責める気持ちが出ることがある。
これって本当はどういうことなのかな?
と思った。
下記の見方をしているからかなぁ、と思った。
●物差し: 平均寿命ぐらいまでは生きるはずだ
短い人生より、長い人生が良い
●欲: ずっと家族には一緒にいてほしい
子供は、親よりあとに亡くなってほしい
●無知: 知らない
・縁: 多因多縁=1つの原因で事は起こらない
誰かの1つの行動で結果が決まるわけでない
・無我: 自分が何かをコントロールできるという勘違い
さらには、自分という固定のものさえもない
・無常: 常なるものは一切ない
短い人生もあるそれも意味がある
・因果不定:自分一人の因果で事は定まらない
さまざまな縁により同じ因でも果が変わる
・真理を知らない:
①物差しは、勘違いでないのか
②欲などに、執着していないか
③四苦八苦、愛別離苦、諸行無常などを知らない
など。
断っておくが、
ずいぶん整理して書いたが、
大切な人が亡くなった人に
こちらから
とてもではないが、こんなことは言えない。
あくまで自分の納得用である。
これから生きていく上で、
大切な人との別れが増えていくと思う。
悲しむときに出る
「ベーターエンドロフィン」※
(※ホルモンであり、神経伝達物質)
に癒しをもらう時期も必要だと思う。
しかし、
悲しみに浸る時期を越えていきたいとき、
新たな視点として
これらの考えを
自分を癒し
再び立ち上がる ”ホルモン” 代わりとして
もっておけたらと思う。
すべてに感謝。
万人万物のさらなる幸を祈ります。🍀