■繰り返し、
あることについて「後悔」の念がでることがある。
「後悔」することが償いぐらいにも思っていた。
これが、なかなかしぶとく思考として度々出てくる。
思考を観察していても
あまりに深い心境。
巻き込まれても仕方ないぐらいに思っていた。
しかし、先日、
あれっ!後悔ってなんだろう?
という念がでてきた。
■私は、たいていの人は基本
刺激を求めて生きていると思っている。
音楽、スポーツ、映画、恋愛、褒められる快楽、ギャンブル、スマホなど、
みな刺激だと思っている。
何かに没頭(我を忘れる)ことで、
ある意味トランスというかゾーンというか
現実を忘れる快楽のような状態なる。
刺激中毒を疑った方がいいぐらい、自覚なく刺激を求めて生活している。
そして、先日思った。
あっ、
「後悔も
強い落ち込みの刺激なのではないか?!」
■今まで、
「後悔」は反省ぐらいに思っていた。
むしろ、反省し
大切なことをしているぐらいに思っていた。
そうすることで(自分責め)、
罪を補っているぐらいな勘違いもあったかもしれない。
そして、
仏教の話になるが、
「後悔」は
貪瞋痴(とんじんち:欲・怒り・痴)の
「怒り」に分類される。
なぜ「後悔」が怒りに分類されているのか?
だって反省しているだけなのに。
ずっと疑問だった。
それも解けたように思った。
■以下のようなのだと思った。
・後悔も強い刺激(強い落ち込みの感情に浸る)
・トランス的な状態になり、我を忘れる快感
つまり、後悔も
ある意味刺激、ある意味快楽だったのだ。
そして、
・怒り=他人を責める、こうあるべきなのになぜ!!
・後悔=自分を責める、こうあるべきだったのになぜ・・・!
・嫉妬=状況を責める、なぜあの人が!私の方がすごいのに!
つまり、こうあるべき・こうしたい、が満たされないことで、
怒ったり、
後悔したり、
嫉妬したり、
結局何かしらの対象を責めて不快に思っている状態。
だから、
後悔も「瞋(じん)」に分類されているのだと分かった。
■さらに、今回は考えが発展された。
あることを「後悔」していたが、
もしかして、
自分は悪くなかったかもしれない、と。
実は、
何事も誰も悪くないかもしれないと。
または、
全員に自覚はなかれど
責任があるのかもしれないと。
そんな見え方もしてきた。
■”ラストワンマイル”
最後の主役が起こしたことのようについ見えがちだが、
あらゆる縁起でその状況が起こらざるを得ないよう
起こったのならば、誰に責任があるのだろう?
そして究極を言えば、
それでもラストの人、
途中の人含め
ベストなことをしていた。
それしかできなかった。
それでいい・・・。
これは話すと長くなるので、今回は書かないでおこう。
■とにかく、
「後悔」という自責が度々起こっていたある事について
はじめて、
それを手放していくことを選択していく視点が持てた気がした。
少しすっきりとした心とともに。
■まとめ
- 後悔は刺激
- 後悔は自分への怒り
- ラストワンマイル(=悪)は存在しない
- 自分一人でどうにかできることなどない
- こういうこともあると何事も受け入れる穏やかさで人生を生きる
すべてに感謝。
万物万人のさらなる幸を祈ります。