こんにちは。
気が付いたら、人生の半分以上オーストラリアに住んでる事になっていた、シングルマザー歴23年、リメディアルセラピスト、桔梗のブログの部屋へようこそ。
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我が家の白猫ゴエモン。湿気86%気温29℃の今日。ね~こはタイルの上で丸くなる~♬……暑っ🥵
第一話:四年ぶりに一緒に出掛けた父がヤバかった
第二話:落ち着け私……
第三話:緊急事態を緊急事態と思わない緊急事態
第四話:無視ですべて解決……はせんのと違う?
からの続き
オーストラリアの私のマッサージのお客様の多くは、私のおかしな家族のことを知っている。(半年に一度渡日していたので、理由を聞かれた)
2022年の5月に実家を尋ねたときに出禁を食らったことを話したら、
「信じられない! 年二回、しかもオーストラリアからわざわざ掃除に来てくれてた娘に対して考えられない仕打ちじゃない?」
と、私の渡日理由を知っている全てのお客様が憤慨してくれた。
オーストラリア人から見ても、我がおかしな家族の思考言動はおかしいらしい。😅
さて第二話で、私からの電話を無視するかガチャ切りするかしていたイラクサに叔父の葬儀のお知らせをしようと、ダメもとで電話をかけてみたら素直に電話に出たことを書いたのだが、これは恐らく叔父の死期が近いこと知っていたからだと思う。
なぜ叔父の死期を知っていたのか……。
今回はその話をしようと思う。
その前に、もう一人のおかしな家族、USAに住む弟のホオズキの矛盾を紹介しなければならない。
ホオズキは結婚後、2年に一回夫婦で渡日をしている。
2022年の10月、それまで一度も挨拶に行かなかった従兄の家に、なぜか結婚後10数年経ってから初めてお嫁ちゃんを連れて行っている。
その時に従兄に「将来的には叔父夫婦の面倒も見るつもりでいる」と言ったらしく、従兄からその話を聞かされたときに私は確信した。
(あぁ、従兄ちゃんにわざわざガスライティングしに来たんやわ🙄)
ガスライティングとは:
私のブログでも紹介しているので、時間がある方はコチラもどうぞ
ハリーの発言ガスライティングとは
ガスライティングを知って新年と共に新しい人生を始めよう
そのホオズキ、2022年四月に母が亡くなった後に父と電話で話をし、その後に父が叔父夫婦にトンでもない手紙を書いたことは下記のブログに記してある。
89歳と86歳の夫婦が住む実家を処分?
89歳と86歳の夫婦が住む家を処分?Part2
それでも私は、叔父夫婦のことでホオズキと話をするべくお嫁ちゃん宅に電話を入れたのだが、果たして「嘘つきとは話しません」とホオズキにガチャ切りされたこともブログに書いた。(😅ドン引き~)
そして同じブログに、妹イラクサが叔母に電話を入れて来たときに何とか話をしようとしたとき、イラクサが「桔梗とは話をしません。桔梗が関わるなら、今後は叔母さんとは関わりませんから!」と叔母に言い放ってガチャ切りしたことも記している。(これは横で見て聞いてドン引き~)
その時叔母は、電話機を持ったまま唖然とした顔をしていた。(それが普通のリアクション😅)
仕方ない。私は父と直接話をするしかなかった。
父は「いつまでもあそこにいられたら困る」とはっきり言ったので、私はとりあえず施設が見つかるまで1年の猶予を父から貰ったのである。
ところが、そのすぐ後にイラクサは父を連れて叔父夫婦を訪ねている。そして、
イラクサ:「急いては事を仕損じるから、急いで事を進めない方が良い。」(は?😨)
と何度も叔父夫婦に言ったのだという。
そして帰り際には、父は見送りに出た叔母に向かって、
父:「俺は出て行けなんてひとことも言っていないからな!」(はぁ?😱)
と言い捨てて行ったのであった。
(どこまで叔父夫婦を馬鹿にしたら気ぃ済むねん😡?これでホンマに自分らが正しいと信じてはんのやったら、完全に頭のネジ🔩ぶっ飛んではるわ!!)
こんなことされて、誰が叔父夫婦の様子を逐一イラクサや父に報告するだろうか?(するという方、是非コメント下さい😅)
なので、2023年の2月に叔父夫婦の施設への引っ越しが終わり、施設の連絡先と叔父夫婦の荷物を家から撤去したことをイラクサに伝えた後、私は彼らに連絡をすることは無かった。
そして入居後、「将来的には叔父夫婦の面倒も見るつもりでいる」と従兄に言ったホオズキは勿論のこと、父やイラクサからも叔父夫婦の様子を伺う電話が施設にかかって来ることは無かったのである。
さて昨年(2023年)10月の半ば、私は叔父夫婦が入居している施設からLINEを受け取った。
叔父の容態が悪いというものであった。
その日の午後、叔父は病院に入院。
数日後に検査結果が出て、病院に来てくださいという連絡が施設に来たとき、私は施設の方に叔母と一緒に病院に行って検査結果を聞いてきてくださるようにお願いをした。
その翌朝、今度はケアマネさんからLINEが来た。
『誰もいない筈の家に明かりが付いているのはおかしいと、ご近所さんから施設に電話が入っています。心当たりはありますか?』
直ぐにイラクサに電話を入れたのだが、イラクサは電話に出なかった。(いつも通り🙄)
なのでメッセージを送ったのだが、こちらにも返信は来なかった。(こちらもいつも通り🙄)
仕方がないので、また父に電話を入れた。
私:「ご近所さんから、(祖父母の)家に電気が付いているのでおかしいって施設の方に連絡があったんやけど、誰か行ってる?」
父:「あぁ、イラクサだ。」
私:「業者やなくて、イラクサが行ってるやね?ご近所さんに何も挨拶もせんと電気付けたりしとったら、直ぐに施設の方に連絡が行くから、行く時にはちゃんとご近所さんに挨拶せなあかんよ。」
父:「分かった。」
そう父に言ったものの、私は直接イラクサにもメールとメッセージを送った。
『ご近所さんから、家に明かりが点いているからおかしいと施設の方に連絡が入りました。こういうことがあるので、こちらに一報頂くか、ご近所さんにあらかじめ挨拶をして下さい。』
だが、イラクサからは「わかりました」の返事ひとつ来なかった。(普通、返事くらいせえへん?😅)
するとその日の午後、今度は施設からLINEコールが入ったのである。
叔父がどうかなったのかと思い、施術中だったのだがお客様に断って電話を取った。
施設担当者:「あの、今日ツバキ(叔母)様と一緒に病院に行く予定だったのですが、先ほど桔梗さんの妹さんと名乗る方がいらっしゃいまして、そうしたらツバキ様がその妹様と二人で病院に行くから私は行かなくてもいいと仰るんです。今、コロナのこともあって病院は二人までと言われていますので、妹さんが行くとなると私は行けないんですが、いかがいたしましょう?」
私:「え“っ!?それは困ります。実は妹は私には全く連絡してくれへんのです。今朝も、近所から施設に連絡があったことをメッセージしても返信しないし、電話をしても取らないんです。なので、二人で行かせたら絶対に私に連絡は来ないし、叔母も病状を把握は出来ませんから、そちらさんに一緒に行って頂かなければ私には何の情報も入って来ないんです。妹には私から連絡を入れるから、病院に行くのは遠慮してもらうよう言うて頂けますか?」
施設担当者:「分かりました。そうお伝えします。」
ところが、数分後にまたコールが鳴ったのである。
施設担当者:「あの、家族なのにそれは納得いかないと頑なに仰ってて……どうしましょう?」(はぁ???)
(家族とな😨???あれだけの仕打ちを叔父夫婦にしといて、こういう時だけ都合よく家族風吹かせて平気でしゃしゃり出て来る、その神経が考えられへんねんけど?!😱)
だが、イラクサが引き下がることは無かった。
結局、施設担当者と叔母とイラクサの三人で病院に行き、医者の話を聞いて、イラクサは叔父の病室に見舞いに行って帰ったのだそうだ。
しかしその後、私がイラクサから連絡を貰うことは無かったのである。(😱)
なので、私はイラクサにメッセージとメールの両方に同じ内容の文を送った。
内容を要約。
私は叔父夫婦の入居時から、叔父の具合については密に施設と連絡を取り合って来ています。ですので、叔父の病状を施設の方に把握して頂かなければ困るのです。今後、今日のように家族だからと言って、施設に無理強いをするのは止めて頂くようお願い致します。もし無視されるようであれば、父の叔父夫婦に対する手紙を施設の方々に読んで頂いてその上で対策を取らせて頂きます。
また、私は7月に叔父に父に会いたいかどうかを直接聞いております。叔父ははっきりと拒否致しましたので、父に叔父のことを知らせて見舞いに来させることはご遠慮ください。
母が生前、あなた方には葬儀が終わるまで知らせないで欲しいと言っていたのに、私はあなたに火葬を任せて、その上で「父は呼ばないで欲しい」と頼んだのにそれを無視したことは覚えていらっしゃると思います。
父に会いたくないというのは叔父の意思ですので、尊重していただくようお願い申し上げます。
もしどうしても父が見舞いに来ると言うのでしたら、必ず見舞金を包んで持たせるようにして下さい。
このメール&メッセージに対してイラクサからは、一言の(「嫌です」「分かりました」等)返信も来なかった。(完全無視😅もう笑うしかない)
その数日後、日本に発つ前に私は自ら父に電話を入れ、叔父が入院していて長くないことを伝えた。そして、
私:「叔父さんはお父さんに会いたくない言うてはる。せやからお見舞いには来ないで下さい。何で叔父さんがそんな風に言うかは、お父さん心当たりあるやろ?」
父:「……(無言)」
私:「叔父さんに何かあったら、その時はまた連絡するから。」
そう言って私は電話を切った。
その1週間後に私は日本に発ち、叔父が亡くなる4日前に父と食事をした時に、初めて父が3月に脳梗塞疑いで入院したことを知ったのであった。(ホンマにドン引きの連続😅)
7ヶ月以上前の父の救急搬送&入院の報告は家族の私にしなかったのに、突然介護施設にやって来て、家族風を吹かせて無理やり叔父の入院する病院に着いて行ったイラクサ。
おかしな家族は、都合の良いときだけ家族になるらしい。(ええなぁ😅)
話はこの後、おかしな家族1に戻るのである。
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不幸があるから幸せが余計に感じられる。DV元夫との離婚後、今でもシングルだけど、それでも幸せな人生と思えるまでの軌跡を綴ってます。
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