こんにちは。
気が付いたら、人生の半分以上オーストラリアに住んでる事になっていた、シングルマザー歴25年、リメディアルセラピスト、桔梗のブログの部屋へようこそ![]()
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母の命日、4月3日。
毎週日曜夜八時半は、母とのオンライン『愛コール』の日だった。
最初に電話をかける。
母が電話を取ったところで私がオンラインコールを鳴らす。
母がオンライン画面に映ったら電話を切る。
だが、2022年4月3日の日曜日、母は電話を取らなかった。
携帯に電話をしても、呼び出し音は鳴り続けるだけだった。
数時間後、私はオーストラリアから日本の警備会社に電話を入れ、母の家に様子を見に行ってもらった。
その約1時間後、私は警備会社のマネージャーからのコールを取った。
母はすでに事切れていた。
オーストラリアから7000km離れた日本で亡くなった母。
日本の警察から電話を受け取ったのは日付けが変わった4日。
警察官との会話を終え電話を置いた時、初めて涙が流れ落ちた。
https://ameblo.jp/reikoecoguide/entry-12736407505.html
あれから4年。
でも、あの夜のことは今でも鮮明に覚えている。
2022年5月22日、母の四十九日。
葬儀と四十九日法要を一関市の『樹木葬』知勝院で執り行い、その後、里山の一角にお骨を埋葬した。
葬儀、法要にはアリスと叔父夫婦と私、そして母が一関に住んでいた時の知人友人が参列してくださったが、アメリカに住む弟はワクチン未接種を理由に、東京に住む妹は「桔梗が私を嫌っていることが分かりましたので」という意味不明🤔な理由で葬儀と法要に参列しなかった。
樹木葬知勝院の里山に眠る母
弟妹は、長年別居をしていた母が(モラハラ)父との離婚を決めた時に離婚を阻止しようと父側に付いた。
母は弟妹の寝返りに涙を流した。
離婚成立後、2人は母に詫びの電話も入れなかった。
母:「私に何かあっても、お父さんやホオズキとイラクサにも四十九日が終わるまで知らせないでいいから。」
と母は言った。
私に気をつけて使っているのかと思ったが、そうじゃなかった。
母:「もういいの。」
オンライン『愛コール』のスクリーンの向こう側で、そう言った母の顔は吹っ切れたような、それでいて寂しそうな笑顔だった。
そんなことがあったのに母が亡くなった時、「手伝わせて欲しい😢」と電話の向こうで懇願してきた妹に、母の遺言に背いて火葬を任せた私。
後でめっちゃ後悔した。😓
私:「父を立ち合わせないで」
と妹に頼んであったのに、妹は父を遺体安置所に連れて行っていた。
アメリカにいる弟にオンラインで母の顔を拝ませていた。
私だけ、母の顔を拝めなかった。
私が後に問うた時に妹はこう返してきた。
妹:「痩せ我慢しないで、母の顔を見たいなら見たいって言えばよかったんじゃないですか?」
(ホンマに人の気持ちが分からない家族の集まりや😱




)
マジ血の気が引いた😨
その人の気持ちが分からない彼らは、母に対して一銭のお香典も包まなかった0円家族だ。😅
「お母さんのお世話になった!」
と母への感謝の念から20万円のお香典を包んで、不自由な身体で母の葬儀に参列した叔父(父の実弟)夫婦とはエライ違いである。
「今後後期高齢者4人の介護を協力して行っていかなければならない今、離婚は避けるべき」
てな感じの殊勲な言葉を、母と父の離婚訴訟の陳述書に並べていた弟妹だが、母の死後に彼らがやらかしたことにはドン引いた……😱
当時89歳で身体の不自由な叔父とその介護をする叔母に父は手紙を書き、なんと
父:「そこは俺の名義になっているから、いつまでもいられたら困る!」
と言って、当然の権利を主張するが如く家を追い出そうとしたのだ。
父:「子供たち全員の意見だ!」
と電話口で平然と曰う父に、
私:「子供たち全員だぁ?ウチは聞いてへんねんけど?😡」
と返す私。
父:「お前以外の……」
と付け加えた。(あったりまえや🤬)
(法廷に提出した陳述書の内容とはかけ離れたことしまくってるやんか?😡)
ちなみに、叔父夫婦が住んでいたのは祖父母が住んでいた家。
つまり、叔父の実家なのだ。
弟妹と叔父夫婦の今後に付いて話し合いたくて電話をしても、
弟:「嘘つきとは話しません」(だが、私がどんな嘘をついたのかは未だ不明😅)
とガチャ切り。
妹;「桔梗とは話はしません」
と電話口の叔母に言い放ってガチャ切り。
母が亡くなった時には自ら電話をかけてきて、「手伝わせて欲しい」と泣いていうから火葬まで任せたのに、手のひら返しとはこんな事を指すのだろう。
自己中心思考も、ここまで来ればビョーキである。
非人道的な手紙を書いた父を嗜めることもせず、かといって叔父夫婦の次の住処を探す手伝いをする訳でもなかった弟妹の行動にはガチ引いた。
マジで人の気持ちを想像出来ない神経発達症(いわゆる発達障害)かパーソナリティ症(いわゆるパーソナリティ障害)を私は疑っている。
母:「叔父さんたちのこと、頼むね」
離婚訴訟で離婚が確定した後、私にそう何度もオンラインコールで言っていた母には、弟妹が法廷で陳述したことを平気で覆すであろうことが見えていたのだと思う。
実は2022年の4月3日に母が亡くなった後、私は母の死を悲しんでいる暇は本当に無かった。
4月に渡日して母の死後の様々な手続きと母の家の整理。
5月22日に葬儀と四十九日法要をして、アリスと2人で母の家の整理。
その後もオーストラリアと日本を往復して母の家の売却。
それが終わらないうちに叔父夫婦の引っ越し問題が持ち上がり、施設探しと叔父夫婦の引っ越しの準備。
2022年の12月に叔父夫婦の施設入居にサインをして、部屋が空いた2023年2月半ばに2人を引っ越しさせ、3月に祖母の家の中の叔父夫婦の物は全て撤去。
2023年3月半ばに母の一周忌。
同年、11月半ばに叔父が癌で逝去。
約1ヶ月日本に滞在して叔父の葬儀とその後の手続きをした。
2024年3月に母の三回忌のため訪日。
同年10月後半、叔父の一周忌のため訪日。
翌2025年10月、叔父の三回忌。
母の命日を迎える度、母が亡くなってから立て続けに起きた数年間の出来事が脳裏に蘇ってくる。
今年の母の命日は、イースター(復活祭)のGood Fridayと重なった。
仕事が休みだったので、一日中、マジで記憶が走馬灯のようにくるくると脳裏に映し出され、その時の感情も込み上げてきた。
今年も松任谷由美の「春よ来い」を聞いた。
https://youtu.be/qX7pFYH9O04?si=amlHTqCY7Fmo8THJ
母と一緒に花見に行った子供の頃を思い出して泣いた。
いつか、泣かずにこの歌を聞ける日が来るのだろうか?
母の遺影は微笑んでいる。
それは、最後に母とオンライン『愛コール』をした時の笑顔に重なる。
よく泣いていた母だけれど、母の人生の最後は笑顔だった。
スマートフォンという文明の力があるのだから、あなたも後悔しないように、いつも愛する人には『愛コール』をしてはいかがだろう?
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