こんにちは。

 

気が付いたら、人生の半分以上オーストラリアに住んでる事になっていた、シングルマザー歴22年、リメディアルセラピスト、桔梗のブログの部屋へようこそ。おねがい

 

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母の家の庭に咲いていたシャクナゲ

 

 


 それはいつもと変わらない日曜日だった。9:30pm(日本時間8:30pm)になるまでは。

 

 毎週日曜日の夜9:30に、私は日本の母に電話を入れる。

 母は待っていたように電話を取る。

 

 

私:「こんばんわお母さん。準備出来てる?」

 

母:「出来てるわよ~。今スイッチ入れるからね。はい、入った。」

 

私:「じゃあ今からコールするね。」

 

 こうやって私は、一旦電話を入れて母のタブレットの準備確認をしてからビデオコールを入れていた。そうしないと、時々母はタッチ操作が上手くいかずに画面が出なかったりしていたのだ。

 

 

 けれどその夜、母は直ぐに電話を取らなかった。

 

 (お風呂かトイレかな?)

 

 もしそうだったら、急かすのもなんだと思い、私は父に電話を入れることにした。母に電話した時に、『父は無事だよ』という連絡を入れるためだ。

 

 父はその日は家にいた。

 以前は9pm頃の閉店前のセールを狙って夜にスーパーに出かけたりしていて電話しても出なかったり、受話器が外れていて電話が繋がらなかったりする事もあったので、家に居てくれるとホッとする。(90歳を越えた老人が9pmにスーパーの閉店セールを狙うの図汗汗汗当然夕食は10pm過ぎである)

 

 けれども、以前からちょこちょこ言っていた、「掃除ヘルパーさんに来てもらったら?」という話を私が始めた途端に返事が無くなった。

 

父:「ヘルパーなんかに来て貰わなくても大丈夫だ。自分で出来る。」(何言うてんねん汗ゴミ屋敷やったやんけ!)

 

私:「全然大丈夫じゃ無かったから言ってるんだよ。もう90歳を過ぎてるんだし、出来なくなるのが当たり前なんだから。お金は持ってるんだから、こういう時に使うのが利口なお金の使い方なんじゃないの?」

 

父:「...」

 

 

 いつもの父の無視である。ちょっと父が聞きたくない内容になると返事をしなくなる。

 

私:「お父さん、聞いてる?!」

 

父:「あぁ?...聞こえてるよ。今、日曜ドラマやってるから。」(娘との会話よりドラマかい!🙄)

 

私:「わかった、じゃあね。」

 

 私がそう言うと、父は(あっさり)電話を切った。😅

 

 

 その後、再び母に電話を入れた...が、出ない。

 

 

 叔父の家に電話することにした。

 もしかしたら、何かあって叔父夫婦のところに行ったかも知れないと思ったのだ。

 

 しかし私の電話に出た叔母は、いつもと全く変わらい口調だった。

 

 

 日本時間10:30pmになっても母は電話を取らなかった。

 

 (おかしい。お母さんが、アリスとのビデオコールを逃す訳が無い...)

 

 私は母が契約しているセキュリティ会社に電話を入れて、様子を見に行ってもらう事にした。

 

  

 果たして、母は自宅で倒れていた。(セキュリティ会社から連絡が来た)

 

 

 そしてその後、私は警察から電話を受けて全てを察した。1:30amを過ぎていた。

 

 

 

 母は、ビデオコールでアリスの顔を見ている時が、一番幸せそうな笑顔を見せてくれた。

 アリスと私が一緒に映ってると、よくこう言った。

 

母:「そうやって見ると、ホントによく似てるわよね。でも、色はアリスの方が本当に白いわよね!」(言わんでも分かっとるって!😅)

 

 

 黒猫次元と白猫五右衛門が、どっちがどっちだか覚えられなくて、電話の横にメモ書きを貼り付けてたらしい。

 画面に映ると、よく声をかけていた。

 

 「ジゲン!ジゲン!あ、こっち見てる!」

 

 「ゴエモーン!五右衛門は白いから顔がよく見える。いい顔してるね。」

 

 

 知人のハウス&ドッグシッターをしていた時は、彼女のアパートメントから見えるゴールドコーストの夜景も見せてあげられた。

 

 一年半前に超熟年離婚が成立した時はビデオコール中に泣く事も多かった母だけれど、この一年半で母の顔は飛び切りの笑顔になった。

 

 「寝たきりになって、貴女たちに迷惑だけはかけたくない!」

 

 ビデオコール中にも、何度もそう言っていた母だった。

 

 「こういう世の中だから、何かあって直ぐ帰って来られなくても仕方ないからね。お骨だけお寺さんに持っていってね。」

 

 日曜日のビデオコールの時に、母と私は幾度となく『何かあった時』の話をしていた。

 

 以前は二十四時間有れば速攻で帰れたのに、今はワクチンやPCRテストの陰性が無ければ帰れない。

 

 そんな状況を察して母は、私が帰れなかった時の為に葬儀屋としっかり話し合っていた。

 

 「担当の人が凄い良い人でね、こんな私の話でも親身になって聞いてくれるの。ラブラブ

 

 そう笑顔で母は話してくれた。

 

 そして昨年の5月には、家で何かあった時に駆けつけてくれるセキュリティの会社とも契約した。

 担当の人が、やはりとても良い人なのだと母は喜んでいた。ラブ

 

 そうやって母は離婚後に、自分の人生の舞台に幕を下ろす準備を着々と進めていったのだ。

 

 

 

 そして母は、この日曜日の電話の日を待っていたかのように逝った。

 

 私がセキュリティに電話をしてくれると信じていたのだろうか?

 

 コロナ禍で、私の帰国が遅れるであろう事も予測していたのだろうか? 

 

 認知症になる事や、寝たきりになって子供の世話になる事を常に恐れていた母は、正に最高の結末で『人生』という舞台の幕を下ろした。

 

 

 

 母は毎週のコールが終わる時に必ず

 

母:「また来週ね〜🤗」

 

と画面の向こうで私とアリスに手を振っていた。その時の母は、いつも満面の笑顔だった。

 

 

 今こうしてブログを書いていても、思い出すのは母の笑顔だ。

 

 母はいつも言っていた。

 

 「本当にありがとうラブラブ

 

 常に感謝の人だった。

 

 

 

 なんて見事な命の仕舞い方だろう。

 


 

 私には後悔は全く無い。

 

 母が望んだ事で、してあげられることは全部やった。

 

 それでも泣いてしまう。

 

 願わくば、もう一度母にハグをしたかった。

 

 もう一度一緒に母の行きたい温泉に行って、母にマッサージをしてあげたかった。

 

 

 多分、これからも日曜日の9::30pmになると私は母を思い出すだろう。

 

 そして暫くは、母の笑顔を思い出して涙するに違いない。