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From Rabbit House

好きな音楽や日々の暮らしを
思うまま感じるまま。

一昨日、昨日は鹿児島で線状降水帯による豪雨で災害が起こりましたが、昨日、今日は福岡線状降水帯が居座っていますタラー

 

 

先週は ちょこちょこにわか雨もあったのですが、ようやく まとまった雨だと思えば災害級 ガーン

 

 

我が家も県北部なので、もろに かかっていて 昨日から土砂降り傘雷

 

怖い・・。

 

 

ダムや田畑を潤すだけの恵みの雨となれば良いのですが、災害が起これば恵みの雨でもなくなるわけで・・・ チーン

 

うちは今の所まだ避難しなくても良いようですが、これ以上 降るのは止めて欲しいな。

 

ここ数年はこういう感じで、毎年 洪水が心配の種です(うちは土砂災害の方は大丈夫だと思う)。

 

雨雲が どんどん東側へ移動しているので、また明日 明後日と他の地域の方もお気を付けくださいませ!

 

 

せっかくの三連休(もう長期お盆休みに入った方もおられるとは思いますが)、我が家は今日だけお休みだったのですが

 

見事お出かけが潰れました(夫は朝からどこかに遊びに行っているけど。さすがに今日は釣りじゃない) アセアセ

 

相変わらずの気象病で頭痛が酷いのですが、昨日から涼しいのだけが救いです(25℃前後で助かるー)。

 

 

 

《8/10 18:50 追記》

 

うちの地域は高齢者避難が発令されていますタラー

 

その後(18時頃)、朝から出かけていた夫より電話があり、どうやら新宮にいるようで「雨凄い!!どこも通行止めになっとって、来た道 引き返しよる」と。

 

新宮は赤い星印らへん↑

 

調べてみると新宮は警戒レベルが命を守るための行動を促すレベル5地域になっていました 滝汗

 

 

「遅くなっても良いけん、ゆっくり事故のないように帰ってき(来)」と言っといたけど、大丈夫かな~?

 

 

《19:45 追記の追記》

 

先ほど無事に夫が帰ってきました。ホッと一安心 デレデレ

 

「怪物だーれだ」というセリフとキービジュアルとなる森の中にいる少年二人の姿に「完全にホラー作品だ」と思っていて(だって森って大体 人を殺して隠す(埋める)とこじゃんw←決めつけデカ)

 

観たいんだけれど、なかなか観ることができなかった映画『怪物』

 

いや~良い映画でした キラキラ 観て良かった。

 

映画.com様からお借りしています(以下同じ)

 

ここ1ヶ月ぐらいで『マンホール』や『苦役列車』、『侍タイムスリッパー』などなどの邦画を観ていたんだけれど

 

どれもこれも微妙で私にはハマらない作品ばかりだったのでタラー(洋画はもっと多数 観ていて当たりが多いけど)

 

 

田中裕子さんと瑛太が出ていたので坂元裕二氏 脚本かな?と思ったらその通りで、さらに是枝監督とのタッグで面白い作りでした気づき

 

最初に母親の目に映る子どもの事象だけを淡々と描き、その疑問について後から教師や子どもの視点で描いて その答え合わせをする手法がとられています。

 

物の見方が変わると黒が白になったり、怪物だと思っていた人が良い人に思えたり。

 

表裏一体の複雑な人間模様がよく描かれています。

 

 

怪我をしたり靴が片一方 無くなっていたり、水筒に土が入っていたり・・と小学生の息子・麦野 湊(みなと)の様子に

 

「もしかしたら学校で虐められているんじゃないか?」と疑心暗鬼に陥り、学校に説明を求めに行くシングルマザーである母親(安藤サクラ)

 

学校へ押しかける湊の母

 

最初は のらりくらり責任感のかけらもない校長(田中裕子)と、ヘラヘラして きちんと説明もせず反省の色もない担任の保利(ほり・永山瑛太。瑛太って、こういう役ほんと上手いよね)にイライラして

 

私なんか「息子にボイスレコーダー仕込んで言質(証拠)とってから教育委員会と警察とマスコミに乗り込め!」なんて思っていたのですが

 

同じ出来事を保利(担任)視点で見ると、生徒思いの とても良い先生でした。

 

子ども同士ではなく大人の教師が生徒を虐めるなんて本当に最低だ!!と憤っていたのに、まんまとミスリードをくらったわけで アセアセ

 

校長

 

 

じゃあ、一体誰がいのか?誰がをついているのか?誰が何が怪物なのか?

 

 悪い人①学校の教員 

 

保利以外の全ての教員(いじめだのなんだの問題が起こると面倒で学校としても困るので新任教師(保利)に全責任を押し付けよう(謝罪させて退職させよう)という魂胆。実際、保利は辞職することに)

 

他の教員らから謝罪を促される保利

 

 

 悪い人②子どもたち 

 

生徒は主人公(湊)含め、ほぼ全員(少なくとも半数、男子は)嘘つきかな?

 

浅はかで保身のために嘘をつくのは大人(教師)も子ども(生徒)も同じ。

 

 

子どもたちの視点から見ると、湊が星川 依里(より)を虐めていたわけでも その逆でもなく、クラスの男子が少し女の子っぽい依里を虐めていたのが真相。

 

(私も小学生の頃そういった女の子っぽい男の子と仲が良く、他の男子たちは彼のことを「オカマ」とか言って からかっていたなぁ。きっと女子と仲が良いのを嫉妬してたのもあるんだろうね)

 

それを湊が かばっていたんだけれど、あからさまにすると湊も虐めの対象となるので奇行にも見える行動をとって、学校では仲の良いふりはできなかった・・ということ。

 

純粋な男子二人の微笑ましい友情物語なのだけど、そこに少しの淡い恋心のようなものが加わって複雑になっていく・・。

 

湊と依里の喧嘩を止める保利

 

 

 悪い人③親 

 

少し女の子っぽい依里は、そのことでシングルファーザーである父親(中村獅童)から「お前は病気だ!豚の脳だ!」などと精神的にも肉体的にも虐待されている。

 

依里の父と保利

 

湊の母親も息子を とても可愛がってはいたのだけれども、彼の心情に気付くことなく普通であること」を常に望んでいた。

 

他意はなく、ラガーマンだった亡き父親のように平凡に結婚して子どもを持って欲しい。

 

それこそが「普通」であると息子を無意識に追い詰めてしまう。

 

ベランダから火事の様子を

眺める湊と母

 

男(同性)の子と一緒にいるとドキッとすることは「普通」ではないのか?

 

将来 子どもが作れないと「普通」ではないのか?

 

花が好きなのは、力が強くないのは「男らしく」ないのか?

 

それらに悩む湊と依里(依里は割と達観してたかな)

 

秘密基地である山奥に放置された廃電車の中でだけは、二人とも本当の自分でいられる。

 

 

結局は今の世の中(環境)で生きること、感情を大っぴらにできない(偏見の目がある)ことが地獄のようなもので

 

二人にとっては怪物のいる世界そのものって感じなのかもしれない。

 

秘密基地の電車内で湊と過ごす依里

「怪物だーれだ?!」

 

あと最後のシーンで「二人とも助かって良かったなぁ」と思っていたら、考察などを読むと「二人とも亡くなっている説」が出てきて ハッ

 

確かに白っぽくソフトフォーカスがかかっていた(若干 天国っぽい感じも受けた)し下矢印

 

ラストシーンの湊と依里

 

トンネルこの世とあの世の境目みたいな印象も受けるし

 

何より依里が父親から虐待され風呂場で自力で動けないほどぐったりしていたのに、その後 割かし元気に走っていたので「あれ?!」と思ったんだけども(実は、この後すぐ依里は死んだ?その先の物語は湊の妄想??)。

 

 

他の方の考察など読むと是枝監督は「生きている」と明言(?)していたらしく、逆に観客が「死んだ」と思っていることに困惑していたそうなので「生きている」で良いのでしょう、恐らく・・。違うのかな?

 

ま、観た人が思い思いに感じたことが正解かな。作り手と受け手の思い、感想が違うことなんて往々にしてあることだし。

 

 

ともあれ彼らのような人たちが自分自身に対しても嘘偽りなく、偏見(好奇)の目にさらされることなく楽しく笑って生きられるような世の中でありますように。

 

楽しそうに走り回る湊と依里

 

二人の子役さん可愛らしかったし

本当に素晴らしい演技でした!!

 

映画『怪物』予告映像

 

集団いじめで話題の野球部が昨日、甲子園で試合をしました。

 

そして強豪校だけに、なんと勝ってしまいました アセアセ

 

チア応援団もおらず、対戦相手からは握手も拒否されているというのに。

 

 

まず未成年の犯罪を軽く見せるような言い方は、もう止めよう!!

 

「万引き」ではなく「窃盗」、「いじめ」ではなく「暴行」「性加害」と、きちんと言うべき。

 

言葉が軽いから やっていることも軽いと考え増長してしまうきらいがあるのだと思います。

 

 

私はこの事件、最初は悪事をはたらいた奴らのために「連帯責任」として何もしていない部員の努力が報われないのは可哀想なので

 

加害者排除で試合に出るのは構わないとも思っていたのですが、蓋を開けてみれば加害者がスタメンで試合に出ている惨状・・・もやもや

 

なんだこれ?

 

 

でも逆に顔も名前も全国にさらされてしまったので(しかも本人たちは試合に専念するためスマホなどは持参していないとの噂)

 

ある意味「ザマァニヤニヤでメシウマ状態なのかもしれません笑い

 

ネットが発達した現代社会で隠蔽できるはずもないのです。

 

 

もちろん本人たちが一番悪いのですが、こういった背景には悪い大人がいるということも忘れてはいけない。

 

生まれついてのサイコパスもいるのでしょうが、大抵 子どもは大人の影響を多分に受けるもの(※加害者を擁護するつもりはありません)。

 

特にこういった運動部など上級生や監督からされた「しごき」や「愛の鞭」という名の暴力叱責は、そのまま下の代に受け継がれる。

 

やった人間には決して向かわないのです。

 

 

親から虐待されたならば親を叩けばいい。

 

なのに「誰でも良かった」などと無差別で全く関係ない人(自分より弱いとみなす高齢者や女性や小さな子)を殺すことが多い。

 

「弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく」と甲本ヒロトも歌っています(作詞は真島昌利)

 

力の強い者に立ち向かっていくのは、やはり勇気がいるし怖いもの。

 

 

本来ならば大人が子どものお手本に、そして味方にならなければいけないはずなのに、反対に大人が子どもを虐めている現状があるのです。

 

なぜか被害者を守るのではなく叩いて、そして加害者の方を守る ガーン

 

間違っていることは間違っていると きちんと正しく叱らないといけない。教えないといけない。

 

それをしないからモンスターな大人に成長してしまうタラー

 

 

全てが この構造。

 

悪い人間が上に立つ!

 

良い人ほど潰されてしまう。

 

憎まれっ子が世に憚り、はびこりすぎているのですムカムカ

 

 

世の中が悪くなっているのも全てこれが原因。

 

人間の本質なのかもしれません。

 

「力(武力)こそ正義」な人間がいる限りは戦争もなくならないのでしょうね。

 

この映画の宣伝をしていた時「松ケン長澤まさみか・・観たいな」からのアマプラに上がっていて「観なきゃ」という強迫観念にかられながらも配信終了 間際にようやく観ることができました。

 

詳細はあまり知らなかったものの、ヘヴィーな作品はメンタルが丈夫な時じゃなければ観るのがしんどいのでタラー

 

思ったより比較的まだ軽め(※私基準)の作品だったので良かったかな。

 

映画.com様から画像をお借りしています

(以下同じ)

 

介護老後などについて改めて考えさせられました気づき

 

数年前に義母は看取ったけれど、私の両親は健在で幸い まだ介護が必要な状態でもありません。

 

 

※※あらすじ(以下ネタバレあり)※※

 

斯波宗典(松山ケンイチ)は訪問介護の介護士で、要介護者に寄り添った仕事ぶりから その家族や仲間の介護士からの信頼も厚かった。

 

 

ある日、彼が担当していた独居老人(梅田)宅で梅田と介護施設の所長殺されているのが訪れた家族によって発見された。

 

最初は所長が犯人かとも思われたが、周辺の防犯カメラに映る斯波(松山)の姿から彼が事情聴取されることに。

 

彼は殺害したことを認める(ただし所長は揉み合う際の階段からの転落死)

 

 

取り調べの中で、あろうことか斯波は「施設利用者(介護される人)と、その家族を救った」と言うのだった。

 

「自分がしてほしかったことを してあげたのだ」・・と。

 

そして彼は42(+1)人もの人を“救った”と告白する。

 

※※※※※※※※※※※※※※※

 

 

なぜ そういう考えに至ったのかと言えば、過去に彼自身が父親(柄本明)の在宅介護をしていたことに起因する。

 

徘徊するから目が離せず付いていないといけない。

 

仕事辞めざるを得ない。

 

しかし生活保護の申請は冷たく却下される(声の大きな者には不正支給するくせにね)

 

 

お金もなく食べるものもなく家の中も荒れ放題で、ひたすら疲弊していくだけ。

 

そんな折、父親から「自分が自分(まともな人間)でいられるうちに殺してくれ」と懇願される。

 

葛藤しながらも、彼はその願いを叶えたのだった。

 

 

介護する側、される側、いろんな感情がある。

 

もちろん自分の身内だから手厚い介護をしてあげたいと思うのは皆同じ。

 

しかし家族が認知症になり暴言を吐かれたり暴力を振るわれることも珍しくない中、介護する方もどうにもできない苛立ち悲しみ苦しみに耐えなければならない。

 

しかも、それはいつ終わりが来るか分からない。

 

出口のない暗闇が広がっているのだ。

 

 

本当に難しい問題で答えなんか無いのかもしれない。

 

斯波の父親の件は『尊厳死』そのものだと思うけれど「自分がおかしくなる前に、家族にこれ以上 迷惑(負担)をかけないように死にたい」という気持ちも正直なところだと思う。

 

誰しも厄介者、お荷物には なりたくない。

 

現在、日本では『尊厳死』は認められていないけれど、もう そういった制度も取り入れる時期が来ているのではないだろうか?

 

色んな選択肢があっても良いのではないか。

 

 

もちろん、どんなことがあっても最期まで生き切りたいという考えの人はそれでも良いし、その場合も安心できるよう介護に国がお金をかけるべきだと思う。

 

こういうことに使うのが税金の正しい使い方なのではないだろうか。

 

北欧など税金が高いというが教育や医療・介護などは国民の負担がないと聞く。

 

他国のやり方を全て真似ろとは言わないまでも、安心した子育てをしたり、安心した老後を送ったりできないような国は先進国とは言えないのではないか。

 

 

斯波は「家族も救った」と言うが、その家族のうち2人の女性が対比して描かれている。

 

羽村洋子(坂井真紀)は介護がなくなり、その後 男性ともお付き合いをしてプロポーズを受け第二の人生を送れているようで幸せそうに見えた。

 

 

梅田美絵(戸田菜穂)も限界だった介護生活から解放されたが、彼女は法廷で斯波に対して「人殺し!!」と何度も罵っていたのが印象的だった。

 

 

確かに彼自身が直接手を下して介護老人を殺めたので人殺しに違いない。

 

罵られるのは当然と言えば当然なのだ。

 

介護から解放され自由になれるとしても、どれだけ介護生活が悲惨で可哀想に見えたとしても赤の他人がそれ(殺人)に関わることはまた別の話

 

結局 斯波は犯罪者(連続殺人犯)として法で裁かれることとなる。

 

 

 

対比と言えば斯波と対峙した大友秀美(長澤まさみ)も対の構造となっている。

 

大友もまた母親(藤田弓子)を介護しているものの、そこは一般庶民の斯波と違って上級国民なので至れり尽くせりの高級老人ホームに母親を入居させており、たまに手土産を持って面会に行くのみである。

 

彼女は決して『社会の穴』に落ちることのない『安全地帯』にいる人間なのだ。

 

立場の違う人間が高みから綺麗事を言っても説得力の欠片もない(彼女は彼女で葛藤もあるのだけれど)

 

そこの描き方も良かった。

 

 

福岡で起こった介護疲れから母親が7歳の娘さんを殺めた(人工呼吸器を外した)事件の判決が確定した。

 

長年の介護生活に情状酌量の余地があるとみなされ、執行猶予がついた判決に少しホッとした。

 

これは『ロストケア』の斯波と同じ殺人であっても「家族」が 手をかけたから赦されたに過ぎない。

 

 

 

死生観は100人いれば100通りあると思う。

 

『カステラ』というバンドがいて「死ぬのはこわいからボケてから死にたい」と歌っていたが

 

カステラ

(ネットからの拾い物)

 

それを聞いた時(まだ10代の頃)「なるほどな~(言い得て妙)」と思ったけれど、棺桶に片足入っているぐらいの年齢になった今は「ボケる前に死にたい」と願っている。

 

YouTubeに『バイバイ・ニーチェ/映画の世界』って出てきて、何も知らず「(バンド)スターリンの曲タイトルを拝借した映画でもあるんだろうか?」と思っていたら

 

どうやら『バイバイ・ニーチェ』という名前のバンドらしい。

 

 

「ほう、スターリン好きなパンキッシュなバンドかな?」なんて思っていたら全然違った チーン

 

むしろ真逆の爽やかバンドだったw

 

なんで、このバンド名にしたんだろう?

 

『映画の世界』バイバイ・ニーチェ

 

『バイ・バイ・ニーチェ』THE STALIN

 

 

金魚  浮き輪  カキ氷  祭

 

 

話変わって、昨日たまたま目に入った「2chまとめ動画」が あまりに衝撃的で。

 

『レンシレンジ民』という聞きなれないワードがあって「何だ?!」と思ったら、ただの恐怖動画だった 滝汗

 

これマジなの?

 

【2ch闇深スレ】ガチで闇が深い「レンシレンジ民」

とかいう存在wwww【恐怖】【言い間違い】

 

 

電子レンジのことをレンシレンジだと思い込んでる??

 

ベッドをベットって言ったりバッグをバックって書いたりする人は たまに見かけるけど、それと似たようなもん?

 

 

これって何か元ネタがあるとかネットスラングとかから来てるんじゃないの???(いにしえの「ふいんき(なぜか変換できない)」的な)

 

そうでなければ、こんだけ勘違いしている人がいるなんて・・・。

 

マジならヤバイ。日本\(^o^)/オワタ