集団いじめ | From Rabbit House

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集団いじめで話題の野球部が昨日、甲子園で試合をしました。

 

そして強豪校だけに、なんと勝ってしまいました アセアセ

 

チア応援団もおらず、対戦相手からは握手も拒否されているというのに。

 

 

まず未成年の犯罪を軽く見せるような言い方は、もう止めよう!!

 

「万引き」ではなく「窃盗」、「いじめ」ではなく「暴行」「性加害」と、きちんと言うべき。

 

言葉が軽いから やっていることも軽いと考え増長してしまうきらいがあるのだと思います。

 

 

私はこの事件、最初は悪事をはたらいた奴らのために「連帯責任」として何もしていない部員の努力が報われないのは可哀想なので

 

加害者排除で試合に出るのは構わないとも思っていたのですが、蓋を開けてみれば加害者がスタメンで試合に出ている惨状・・・もやもや

 

なんだこれ?

 

 

でも逆に顔も名前も全国にさらされてしまったので(しかも本人たちは試合に専念するためスマホなどは持参していないとの噂)

 

ある意味「ザマァニヤニヤでメシウマ状態なのかもしれません笑い

 

ネットが発達した現代社会で隠蔽できるはずもないのです。

 

 

もちろん本人たちが一番悪いのですが、こういった背景には悪い大人がいるということも忘れてはいけない。

 

生まれついてのサイコパスもいるのでしょうが、大抵 子どもは大人の影響を多分に受けるもの(※加害者を擁護するつもりはありません)。

 

特にこういった運動部など上級生や監督からされた「しごき」や「愛の鞭」という名の暴力叱責は、そのまま下の代に受け継がれる。

 

やった人間には決して向かわないのです。

 

 

親から虐待されたならば親を叩けばいい。

 

なのに「誰でも良かった」などと無差別で全く関係ない人(自分より弱いとみなす高齢者や女性や小さな子)を殺すことが多い。

 

「弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく」と甲本ヒロトも歌っています(作詞は真島昌利)

 

力の強い者に立ち向かっていくのは、やはり勇気がいるし怖いもの。

 

 

本来ならば大人が子どものお手本に、そして味方にならなければいけないはずなのに、反対に大人が子どもを虐めている現状があるのです。

 

なぜか被害者を守るのではなく叩いて、そして加害者の方を守る ガーン

 

間違っていることは間違っていると きちんと正しく叱らないといけない。教えないといけない。

 

それをしないからモンスターな大人に成長してしまうタラー

 

 

全てが この構造。

 

悪い人間が上に立つ!

 

良い人ほど潰されてしまう。

 

憎まれっ子が世に憚り、はびこりすぎているのですムカムカ

 

 

世の中が悪くなっているのも全てこれが原因。

 

人間の本質なのかもしれません。

 

「力(武力)こそ正義」な人間がいる限りは戦争もなくならないのでしょうね。