「怪物だーれだ」というセリフとキービジュアルとなる森の中にいる少年二人の姿に「完全にホラー作品だ」と思っていて(だって森って大体 人を殺して隠す(埋める)とこじゃんw←決めつけデカ)
観たいんだけれど、なかなか観ることができなかった映画『怪物』
いや~良い映画でした 観て良かった。
映画.com様からお借りしています(以下同じ)
ここ1ヶ月ぐらいで『マンホール』や『苦役列車』、『侍タイムスリッパー』などなどの邦画を観ていたんだけれど
どれもこれも微妙で私にはハマらない作品ばかりだったので(洋画はもっと多数 観ていて当たりが多いけど)
田中裕子さんと瑛太が出ていたので坂元裕二氏 脚本かな?と思ったらその通りで、さらに是枝監督とのタッグで面白い作りでした
最初に母親の目に映る子どもの事象だけを淡々と描き、その疑問・謎について後から教師や子どもの視点で描いて その答え合わせをする手法がとられています。
物の見方が変わると黒が白になったり、怪物だと思っていた人が良い人に思えたり。
表裏一体の複雑な人間模様がよく描かれています。
怪我をしたり靴が片一方 無くなっていたり、水筒に土が入っていたり・・と小学生の息子・麦野 湊(みなと)の様子に
「もしかしたら学校で虐められているんじゃないか?」と疑心暗鬼に陥り、学校に説明を求めに行くシングルマザーである母親(安藤サクラ)。
学校へ押しかける湊の母
最初は のらりくらり責任感のかけらもない校長(田中裕子)と、ヘラヘラして きちんと説明もせず反省の色もない担任の保利(ほり・永山瑛太。瑛太って、こういう役ほんと上手いよね)にイライラして
私なんか「息子にボイスレコーダー仕込んで言質(証拠)とってから教育委員会と警察とマスコミに乗り込め!」なんて思っていたのですが
同じ出来事を保利(担任)視点で見ると、生徒思いの とても良い先生でした。
子ども同士ではなく大人の教師が生徒を虐めるなんて本当に最低だ!!と憤っていたのに、まんまとミスリードをくらったわけで
校長
じゃあ、一体誰が悪いのか?誰が嘘をついているのか?誰が何が怪物なのか?
悪い人①学校の教員
保利以外の全ての教員(いじめだのなんだの問題が起こると面倒で学校としても困るので新任教師(保利)に全責任を押し付けよう(謝罪させて退職させよう)という魂胆。実際、保利は辞職することに)
他の教員らから謝罪を促される保利
悪い人②子どもたち
生徒は主人公(湊)含め、ほぼ全員(少なくとも半数、男子は)嘘つきかな?
浅はかで保身のために嘘をつくのは大人(教師)も子ども(生徒)も同じ。
子どもたちの視点から見ると、湊が星川 依里(より)を虐めていたわけでも その逆でもなく、クラスの男子が少し女の子っぽい依里を虐めていたのが真相。
(私も小学生の頃そういった女の子っぽい男の子と仲が良く、他の男子たちは彼のことを「オカマ」とか言って からかっていたなぁ。きっと女子と仲が良いのを嫉妬してたのもあるんだろうね)
それを湊が かばっていたんだけれど、あからさまにすると湊も虐めの対象となるので奇行にも見える行動をとって、学校では仲の良いふりはできなかった・・ということ。
純粋な男子二人の微笑ましい友情物語なのだけど、そこに少しの淡い恋心のようなものが加わって複雑になっていく・・。
湊と依里の喧嘩を止める保利
悪い人③親
少し女の子っぽい依里は、そのことでシングルファーザーである父親(中村獅童)から「お前は病気だ!豚の脳だ!」などと精神的にも肉体的にも虐待されている。
依里の父と保利
湊の母親も息子を とても可愛がってはいたのだけれども、彼の心情に気付くことなく「普通であること」を常に望んでいた。
他意はなく、ラガーマンだった亡き父親のように平凡に結婚して子どもを持って欲しい。
それこそが「普通」であると息子を無意識に追い詰めてしまう。
ベランダから火事の様子を
眺める湊と母
男(同性)の子と一緒にいるとドキッとすることは「普通」ではないのか?
将来 子どもが作れないと「普通」ではないのか?
花が好きなのは、力が強くないのは「男らしく」ないのか?
それらに悩む湊と依里(依里は割と達観してたかな)。
秘密基地である山奥に放置された廃電車の中でだけは、二人とも本当の自分でいられる。
結局は今の世の中(環境)で生きること、感情を大っぴらにできない(偏見の目がある)ことが地獄のようなもので
二人にとっては怪物のいる世界そのものって感じなのかもしれない。
秘密基地の電車内で湊と過ごす依里
「怪物だーれだ?!」
あと最後のシーンで「二人とも助かって良かったなぁ」と思っていたら、考察などを読むと「二人とも亡くなっている説」が出てきて
確かに白っぽくソフトフォーカスがかかっていた(若干 天国っぽい感じも受けた)し
ラストシーンの湊と依里
トンネル=この世とあの世の境目みたいな印象も受けるし
何より依里が父親から虐待され風呂場で自力で動けないほどぐったりしていたのに、その後 割かし元気に走っていたので「あれ?!」と思ったんだけども(実は、この後すぐ依里は死んだ?その先の物語は湊の妄想??)。
他の方の考察など読むと是枝監督は「生きている」と明言(?)していたらしく、逆に観客が「死んだ」と思っていることに困惑していたそうなので「生きている」で良いのでしょう、恐らく・・。違うのかな?
ま、観た人が思い思いに感じたことが正解かな。作り手と受け手の思い、感想が違うことなんて往々にしてあることだし。
ともあれ彼らのような人たちが自分自身に対しても嘘偽りなく、偏見(好奇)の目にさらされることなく楽しく笑って生きられるような世の中でありますように。
楽しそうに走り回る湊と依里
二人の子役さん可愛らしかったし
本当に素晴らしい演技でした!!
映画『怪物』予告映像