先日、あることから

思い出したことがあり


過去の不完全燃焼だった感情

わぁーっと出てきました。


家族のためにと続けてきたことを

自分の意思でやめた経験があるのですが、


その時のことを、自分のせいだと

責める感情が出てきたのです。


ずいぶん前のことなので、当然自分では

完了したことと思っていました。


でも、当時はきっと

辛くてフタをしていたのでしょうね。


未完了のまま、残っていたようです。


その時の未完了の感情が

今の現実でも重なっていて、


自分を責めるような感覚があったんですね。


私たちの中には、たくさんの

「〜ねばならない」があって、


そうしなかったこと、できなかったことを

責めてしまうのです。


例えば、


「ごはんを残してはいけない」

と思っていたら、


ごはんを残すたびに、

罪悪感を感じることになります。


「人に迷惑をかけてはいけない」

と思っていたら、


誰に頼ることなく生きていくことを

自分に課してしまいます。



もうそろそろ、


「〜してもいい」という

自分に許可を増やしていってもいいのかな。


「ごはんを残してもいい」し、

「他人に迷惑をかけてもいい」し、

「完璧でなくてもいい」。


もちろん

「それを、許可できなくてもいい」

のです。


本来、私たちは自由な存在


そんな自分を縛るものは

自身で作った思い込みでしかない。


その思い込みを一つ一つ外していくことで

罪悪感から解放されていき、


人生の自由を

味わえるようになっているんですね。






 

人間は、楽な方に流される生き物です。

 

変化を恐れ、未知のものを拒み

現状維持をしていたい生き物なのです。

 

そういうものだと知ってさえいれば、

 

いたずらに自分を責めるのではなく、

 

いかに変化への恐れを受け入れて

いくのかを工夫していくだけなのです。

 

一気に変化しようとすると

恐れや、変化への抵抗が大きいので、

 

小さく始めて、ルーティン習慣

してしまうといいわけです。

 

ただ、小さなことや手軽なことであっても

 

新しいことを始めるのは

なかなか行動できなかったりします。

 

やはり、準備運動が必要というか。

 

普段から、

 

「これをするのは苦じゃない」

「これをすると気持ちが落ち着く

(整う、リフレッシュする)」

 

というような、

 

自分を保つための行動って

誰しもあるのかなと思うのです。

 

読書

家事

楽器演奏

ウォーキング

スポーツ

etc

 

普段から、前向きに取り組めることがあれば

 

他の新しい行動も、タイミングが来たら

行動にうつしやすいものです。

 

また、調子が今ひとつだなと思う時期も

 

気分を切り替えるきっかけにも

なったりします。

 

 

私にとっては、まさにこのブログが

自分を保つものになっていて、

 

思考や気持ちの整理にもなっています。

 

アウトプットするためか、

気分がスッキリする時もあります。

 

経験的には、

 

インプットよりもアウトプットする

行動の方が、より良い気はします。

 

 

自分が自分でいられる、戻れるような

行動習慣があるなら、

 

できる限り続けていきたいですね。

 

 

 

 

 



日々、私たちは、良き結果を目指し

幸せな人生を求めて生きている。


ただ、何かしらの結果(=現実)

出たとしても、それが結論ではない。


なぜなら、“試合の結果”というものは

“ゲーム”が終了するまではわからないからだ。


人生が終わるその時まで、


「この人生が良かったのか?」

「幸せな人生だったのか?」


それはわからない。



例えば、


貧しい育ちを不運だと思っても

それをバネに経済的成功を遂げる人は

たくさんいる。


大変な病気を体験したことで

効果的な健康法を編み出し

たくさんの人々が救われることもある。


才能を発揮し活躍した選手が

その後、次の道がみつけられないこともある。


何もかも恵まれたがゆえに

情熱を持てず、虚しさを抱える場合もある。


そして、さらにそこからも

人生は続くわけで・・・


何だったら、生きている今の現実は

すべてプロセスの途中でしかない。



だから、今どんな状況であっても


人生が終了するまでは

どうなるかはわからず、


死ぬその時まで

結論は出せないわけで。



最後まで、

やれる限りのことをやり切る。


生き切る、だけ。



ひとつの結果や現実で

結論づけず、


試合をあきらめないこと。



そのなかで体験し、得られたものは

間違いのない確かなものなので、


それらは

『宝物』だと言えるのかも。









 

行動と結果の間①のつづき

 

 

「好きなことをやっていれば

 結果は後からついてくる」

 

という法則もよく聞きますが、

 

 

これは、結果に執着しなかったことで

 

(疑いや自信喪失にならずに)

行動を継続することができたために、

 

結果が手に入ったということです。

 

 

行動と結果の関係において

起きてる機序は基本同じです。

 

 

ただ、成長曲線を描く間、

結果にフォーカスしなかったことで

 

理想と現実のギャップ

悩むことがなかっただけです。

 

 

たしかに、

 

「好きなことを楽しんで

 やっているうちに結果が出る」

 

というのが理想ではあります。

 

 

ですが、そもそも”結果”を欲することで

人は”行動”をしようと思うわけです。

 

 

だとしたら、

 

結果を求めて行動を起こすけど、

結果にはフォーカスせずに行動を継続する

 

ということが必要だということです。

 

 

つまり、

結果はあきらめる必要があるのです。

 

矛盾しているようですが

 

こうしないと、自信を持てない人は

行動を継続できずに挫折してしまうのです。

 

 

 

私が、最近腑に落ちたというのは

 

「行動する」ということの本質は

「成長」なんだな、ということ。

 

 

子供が、ハイハイから歩けるようになり

走れるようになって、本が読めるようになる

 

それと同じで、

 

経験を積み重ねることで

少しづつ成長していくということ。

 

「いつになったら歩けるのか?」

「本当に走れるようになるだろうか?」

 

子供はこういった疑いは持ってません。

 

学校での勉強や、新入社員で入った会社で

教わってやらされているうちに

少しづつできるようになるのも、

 

ある程度、スケジュールと(教育)システム

沿って進められるため、

 

本人にとっては、日々の結果に執着することなく

いつのまにか成長している、という形になるわけです。

 

 

つまり、先に欲しい結果がある場合、

 

成長できる環境を整えることができれば

一番いいということです。

 

(学校やコミュニテイーなど)

 

自分自身との孤独な闘い

勝てる人はごく一部です。

 

すでに実現している人たちの

輪に飛び込むか

 

師や仲間と実現できる

場に身を置くか

 

結果を実現させるための

成長の場です。

 

 

疑いや自信のなさにひっぱられずに

いつのまにか成長していける

 

そんな環境を整えるのです。

 

 

「結果を意図して、成長する」

 

これが自立した大人の

成長法(成功法)ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

結果を出したくて

人は行動したりします。

 

行動する理由としては

当たり前のように感じますが、

 

先日、このことで

腑に落ちたことがありました。

 

 

やってもやっても

結果につながらないということが、

現実にはよくあります。

 

こういう時、

成長曲線(※)の説明がよく使われるのですが、


 

※努力や練習と言った「行動量」と、

能力の上達などの「結果」との関係は直線ではなく曲線を描く。

理想と現実のギャップが生じる期間にあきらめてしまいやすい。

 

 

頭では、結果がすぐ出る訳ではない

とわかっていても、

 

結果が出ないまま行動を継続することは

容易ではありません。

 

どうしても、やったらやった分の

成果を期待してしまいますが、

 

成果として現れるには

タイムラグが生じるわけです。

 

その間に、どうしても

自分を信じられずに

 

「この方法で正しいのだろうか?」

「自分には能力がないんじゃないか?」

 

といった疑いがわいてきてしまい、

 

結果が出る前にあきらめてしまうのです。

 

 

結果を追い求めるからこそ

行動を起こせるのですが、

 

結果を追い求めるあまり

行動を継続できない

 

という、悲しいジレンマが起こります。

 

 

 

行動と結果の間②につづく