日々、私たちは、良き結果を目指し

幸せな人生を求めて生きている。


ただ、何かしらの結果(=現実)

出たとしても、それが結論ではない。


なぜなら、“試合の結果”というものは

“ゲーム”が終了するまではわからないからだ。


人生が終わるその時まで、


「この人生が良かったのか?」

「幸せな人生だったのか?」


それはわからない。



例えば、


貧しい育ちを不運だと思っても

それをバネに経済的成功を遂げる人は

たくさんいる。


大変な病気を体験したことで

効果的な健康法を編み出し

たくさんの人々が救われることもある。


才能を発揮し活躍した選手が

その後、次の道がみつけられないこともある。


何もかも恵まれたがゆえに

情熱を持てず、虚しさを抱える場合もある。


そして、さらにそこからも

人生は続くわけで・・・


何だったら、生きている今の現実は

すべてプロセスの途中でしかない。



だから、今どんな状況であっても


人生が終了するまでは

どうなるかはわからず、


死ぬその時まで

結論は出せないわけで。



最後まで、

やれる限りのことをやり切る。


生き切る、だけ。



ひとつの結果や現実で

結論づけず、


試合をあきらめないこと。



そのなかで体験し、得られたものは

間違いのない確かなものなので、


それらは

『宝物』だと言えるのかも。