887冊目『ソウルの風景』(四方田犬彦 岩波新書) | 図書礼賛!

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著者の四方田犬彦は、一九七九年の一年間を、建国大学の日本語講師として韓国で過ごしている。氏の半自伝的小説『戒厳』(720冊目)には、その時の事情が詳しく描かれている。四方田が韓国に渡った一九七九年というのは、朴正熙大統領が部下の金載圭に暗殺され、反共国家の基盤が大きく揺らいだ時である(『南山の部長たち』)。四方田の半自伝的小説の『戒厳』というタイトルは、朴正熙の独裁的な維新体制を象徴する言葉だ。朴正熙の暗殺直後、ソウルには一瞬だけ、民主化の機運が生まれ、「ソウルの春」が到来したが、翌年の一九八〇年に、クーデーターで大統領に就任した全斗煥が、光州事件を武力で鎮圧したことで、またしても韓国は軍部独裁体制に後戻りをすることとなった。韓国が民主化を達成したのは、一九八七年である。

 

四方田の韓国滞在は一年間だけだったので、四方田自身は、光州事件も一九八七年の民主化も直接は目にしていない。しかし、四方田は、遠く離れていても韓国のことを思い、韓国のことを考えていた。一九八七年に民主化を達成した韓国は、一九九七年のIMF危機を期に、新自由主義路線へと舵を切った。この新自由主義が韓国に与えた影響はあまりにも大きく、たとえば、ハーゲン・クーが言うように、中間層は痩せ細り、人々はこの競争社会からこぼれ落ちないように、中流の象徴である消費行動を止めることができないでいる(871冊目『特権と不安』)。しかし一方で、ここ二〇年における韓国の存在感は、日本人が羨ましがるほどに圧倒的だ。KーPOP、韓国映画、韓国料理が世界を席巻し、金泳三の「世界化」は、韓国が世界化することであったが、今や世界が韓国化する勢いである。

 

四方田は、二〇〇〇年に再び韓国に渡っている。今回は、ソウルの中央大学日本研究所に招聘されたことによる渡韓である。発展した韓国は、四方田の眼にどのように映ったのであろうか。四方田はこう書いている。

巨大なデパートとCDショップ、グルメ横丁と渾名されるレストラン街といったぐあいに、街角はすっかり消費生活のために秩序づけられていて、既成の文化を乗り越えて新しいものを築こうとするかつての緊張感はどこにも見当たらなかった(17頁)。

ソウルは、今や世界を代表するグローバル都市である。街のいたるところに巨大電子パネルが張られ、外国人観光客がブランド品や化粧品の店の前に列を作って並んでいる。また、一息つくカフェも無数に散らばっており、消費社会の最前線を走っている。実は、私も先月から今月にかけて韓国に行ってきたが(886冊目『ことりっぷ ソウル』(昭文社))、高度資本主義の色に染め上げられた大都市の姿に圧倒された。ただ一方で、これが私の見たかった韓国なのか、という寂しい思いもあった。






 ここは明洞の町並みだが、看板のハングル文字がもしなかったら、ここを韓国だと言い当てることはなかなか難しい。都市化とは、端的に言えば、皆がマクドナルドを食べ、ユニクロのTシャツを着て、映画やカフェで時間を過ごすというライフスタイルの画一性に収斂していく。四方田も言うように、都市とは、匿名的な空間なのだ。とはいえ、どんな都市でも、その匿名性を突き抜けるようにして、固有の土着性が顔を出す瞬間がある。韓国旅行二日目に、昼食を食べた後、鍾路の路地裏を歩いたが、歩道に突然現れる仏像、店頭で仕込みをする人々、リアカーを引く老人だったり、囲碁の興じる人々、屋台の匂いに私は魅せられた。いかに高度資本主義に覆われようと、人々の精神に染みついている土着性のようなものがしっかりあることに私は安堵したのである。これが私にとっての「ソウルの風景」だった。