888冊目『韓国スタディーツアー・ガイド』(韓洪九 彩流社) | 図書礼賛!

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先日、韓国旅行に行ってきた(886冊目『ことりっぷ ソウル』)。漢江、景福宮、南山タワーなどの主な観光地を一通り巡り、韓国料理で腹を満たした、なんとも至福の時間だった。私は今回が、初めての韓国旅行だったので、みんなが行くようなところに行き、みんなが食べるようなものを食べた。言ってみれば、グローバル都市のソウルにおいて、消費社会の記号を食べるために旅行したようなものだ。しかし、今回の韓国滞在中、おそらく観光客が全く行かないであろう場所にも私は行ってきた。それが、朴正熙記念館である。朴正熙とは、韓国の元大統領である。軍事クーデターで政権を握ったあと、反共を国是とすることで国内を締め付ける一方で、実効的な経済対策を打ち出し、経済大国としての韓国の礎を作った。一体、韓国人は朴正熙をどのように評価しているのだろう。経済大国を実現した偉人なのか、それとも民衆主義を後退させた独裁者なのか。もちろん、韓国内においても評価は分かれており、簡単に答えが出せる問題ではない。しかし、現在に至るまで論争であり続けるという点では、とりあえず、「偉大な」大統領と言ってよいだろう。ちなみに、朴槿恵前大統領は、朴正熙の娘である。



朴正熙記念館は実に立派な建物であった。貧農の子として生まれた幼少時代から大統領時代に至までの朴正熙の人生が、そのまま韓国現代史として展示されている。記念館のコンセプトは、実にはっきりしている。朴正熙大統領こそ、その鋭敏な政治手腕によって漢江の奇跡を達成し、現代韓国の礎を築いた偉大な人物であるというものだ。記念館は、朴正熙を理想的な大統領として称賛している。私は大学生のとき、靖国神社の遊就館に行ったことがあるが、先の大戦をアジア解放の戦争だったと信じて疑わない展示内容に強烈な違和感を覚えた。その時の違和感を後で振り返ってみると、「ここは戦争について考える場所ではなく、先の大戦を聖戦として崇拝する場所なんだ」と気づき、その違和感の正体に突き当たったが、この朴正熙記念館も似たような雰囲気を感じた。韓洪九は、博物館と記念館の違いについて次のように述べている。

博物館が歴史の遺物を集めこれを絶え間なく研究し、分析し、討論し、再解釈する開かれた空間だとすれば、記念館は宗教的儀礼のような経験さが求められる閉じた空間である。記念館では、敬拝と賛辞が求められるだけで、疑ったり、再解釈したりすることは許されない(19頁)。

記念館が居心地悪いのは、観る側の解釈を拒否し、特定の価値観を押しつけてくるからである。だから、記念館を訪問した後は疲労がぐっと来る。記念館において、あえて解釈を行なおうと言うのは、強い意志が要る。私は、朴正熙の業績を称える展示を見ながら、一方でこの記念館が見せたがらないものは何だろうかと考えた。たとえば、この記念館では、朴正熙の日本名が高木正雄であることや、人民党革命党事件などの数多くのスパイでっち上げについては、ほんのわずかの展示もない。このバランスの歪みは、この記念館自体が壮大なプロパガンダ装置であることを示しているが、館内にひっそりと憂愁に沈んだ様子の朴正熙の姿を見ると、やはり、この「偉大な」大統領についてもう一度考えねばならない気がしてくる。



朴正熙は、韓国を経済大国にした。しかし、反共を名目として独裁的手法で民主主義を後退させた。この功罪をどう評価すればいいのか。前者の立場を擁護すれば、朝鮮戦争の侵略者を隣国に抱えている国からすれば、ある程度手荒な手法をもってしても、セキュリティ優先の政治は当然であるということになるし、後者の立場を擁護すれば、意義を申し立てることが即、死を意味するような独裁的な手法で(651冊目『韓国・独裁のための時代 朴正煕「維新」が今よみがえる』)、デモクラシーの実現を遅らせた売国奴ということになる。この問題は言い換えれば、セキュリティが先か、デモクラシーか先か、という議論だ。実は、この問題についてはすでに決着がついていると言ってよかろう。イギリスの経済学者ポール・コリアーによれば、デモクラシーよりもセキュリティが優先されなければならない。コリアーは、内戦や治安で乱れるアフリカの政治状況を分析した際、デモクラシーに敗れた側が、その結果を受け入れず、外部勢力と結託し、内戦をしかける事例などが多いことを指摘し、セキュリティがデモクラシーに先行すると述べた。これは、開発独裁必要悪論と定義できる。実は、朴正熙体制をそのように評価している日本人が書いた著書もある(732冊目『朴正煕の時代 韓国の近代化と経済発展』)。

 









だが、しかしである。たとえそうであっても、朴正熙政権の二〇年にわたる独裁体制をしょうがなかったと割り切ることはできないだろう。朴正熙が暗殺され、一瞬「ソウルの春」が訪れたが、すぐに全斗煥が軍事クーデターを起こし、またしても軍事独裁政権時代に舞い戻ってしまったことを考えれば、韓国は、朴正熙が死んでからも、彼が残した負の遺産に苦しんできたのである。だから、朴正熙が経済大国を作ったことを評価しつつも、だからといって、朴正熙の時代を手放しで称賛するわけにはいかない。そんな複雑な心情に韓国人は囚われているのではないか。近代的で立派な記念館の見栄えとは対照的に、館内では私以外に、誰もいなかった。この寂しさが、現代の韓国人の答えなのではないかと思った。朴正煕記念館は、本書『韓国スタディーツアー・ガイド』には載っていない。本書に載っているのは、戦争記念館、ナヌムの家、国立ソウル顕忠院、西大門刑務所歴史館、明洞聖堂等、韓国近代史の歩みと切り離せない数々の場所である。しかし、朴正煕記念館もまた、現代韓国の発展とその過程で生まれた数々の悲劇を考える上で、決して無視できない場所であろう。朴正煕記念館は今後も偉大な大統領の業績を賞賛する「記念館」であり続けるのか、それとも反共を国是とした統治手法を余す所なく見せることで、観る者の解釈に委ねる「博物館」に生まれ変わるのか。10年後あたり、また訪れてみたいと思った。