871冊目『特権と不安』(ハーゲン・クー 松井理恵訳 岩波書店) | 図書礼賛!

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ケン・ローチ監督が、映画『家族を想うとき』(イギリス、2019)で描いたように、現在、先進国では中流の没落が始まっている。新自由主義が猛威を振るう中で、資本の言いなりにしかなる他ない政府は、グローバル富裕層には厚遇するのに対して、中流、下層にとっての命の砦であるセーフティネットはどんどん切り詰めている。萱野稔人が言うように、現代は「国家の国民離れ」の時代である(『権力の読みかた』青土社)。「漢江の奇跡」と呼ばれる高度成長を達成し、経済大国に踊り出た韓国もその例外ではない。朝鮮戦争で国土が荒廃し、まさに一文無しの状態だった韓国は、朴正熙体制下で、工業化、知識労働を中心にした産業に組み替え、高度成長を達成した。二〇一一年には年間貿易一兆ドルを達成するなど、その経済の躍進は目を見張るものがある(年間貿易1兆ドルを達成した国家は、アメリカ、ドイツ、日本などがあるが、旧植民地国で達成したのは韓国だけ)。韓国のこの成長の早さは、あまりにも急激であることから、「圧縮近代」と呼ばれるが、それだけに様々な矛盾が噴出する。韓国における中流の没落は、その一例である。まず、用語の問題について解説しておきたい。韓国では、中流や中産階級という呼び方はなく、中産層という言い方をするらしい。中流階級という言い方は、マルクス史観を彷彿とさせる言葉として、かつての反共国家ではとても許される言葉ではなかった。中産層という言葉は、そうしたイデオロギーが脱色された言葉として使われているとのことだ。ただ以降の記述は、日本語話者として使い慣れている中流という言葉を使うが、マルクス思想への傾倒を意味したものではない。

 

一九九七年アジア通貨危機は、韓国にとって最大の国難の一つだった。IMF管理体制下に入るという屈辱を経験したあと、韓国は国家の生き残り戦略として新自由主義路線を選んだ。木村幹の『韓国愛憎』(629冊目)によれば、それまで書店に当然のように置かれていた日本語の書籍が、この時期に姿を消し、その代わりに英語の本が並ぶようになったとのことである。グローバル化にもっともうまく適用するためには、まず英語を話せる国民を増やさなければならないというわけだ(韓国の小学校英語教育は、金泳三政権のときに始まった)。逆に言えば、このグローバル化の波についてこれない者は、どんどん没落していくことになる。新自由主義とは、まさに弱肉強食を肯定する経済思想である。IMF危機をきっかけに、金大中政権時の一九九八年に労働法制が改正され、事業主都合の解雇が容易になり、非正規雇用の労働者も増えた。高度成長期の時代は、皆が手を取り合って一緒に豊かになっていったが、IMF危機以降の韓国では、富む者はさらに富み、持たぬ者はさらに持たざる者へと格差が拡大する分極化の時代へと突入した。一九八〇年には、大企業と中小企業の所得格差は、大企業を100とした場合、中小企業は96.7で、ほぼ差がなかったが、二〇一四年には、大企業100に対し、中小企業62.3にまで、その差は拡大している(44頁)。そして必然的に、韓国人が感じる体感中流層の比率も、低下していくことになる。グローバル新自由主義にもっとも大きな影響を受けているのが、この中流層である。

 

しかしながら、グローバル新自由主義は、中流層を根こそぎに没落させたわけではない。韓国では、IMF危機以降、就業や事業のチャンスを掴み、かつてよりも所得を増加させた中流層が存在する。その背景には、成果主義が導入され、財閥食クラスの企業が米国式の支配構造を採用したことがある。その結果、英語が堪能で高いパフォーマンスを持つ人間をスーパーマネージャーとして引き抜いた。彼(女)らは、この新自由主義の荒波を賢く乗りこなし、人より何倍も稼ぎ、十分な資産形成にも成功したのである。もちろん、そのように成功した中流層はごく一部に過ぎない。しかし彼(女)らの生活スタイルや思考、振る舞いが、韓国に新しい文化を作っている。まさにそれを象徴する場所が、江南(カンナム)である。ソウル中心部を流れる漢江の南側にある江南は、それまでは何もない荒野でしかなかったが、朴正熙政権のとき、都市開発が始まり、急激に発展した。特に朴正熙が、江北にある名門校を江南に移転したことで、最良の教育を子供に受けさせたいと考える親たちが、こぞって江南に移り住んだ。これによって江南の不動産価格は一気に上昇した。江南の大峙洞は、受験予備校の街として有名である。江南は教育熱心な親だけが移転したのではない。大企業の管理職や、専門職、医者、大学教授といった、グローバル時代の新富裕層の人々も、江南に移り住むようになった。江南に住むことは、ひとつのステータスとなり、誰もが憧れる場所となったのだ。

 

江南に住む富裕層は、もはや一般的な中流とは言えない。タワーマンションに住み、子供を一流校に通わせ、美容整形に散財できる、グローバル時代の成功者は、著者の造語で言えば、「新上流中産層」とでも言うべき存在である。かつて手と手とを取り合っていた中流層は、自分よりもはるかに高い階段を上り詰めた新上流中産層に対して、羨望を抱き、どうにかして自分たちもその新しいクラスに食い込もうと必死になっている。この憧れが、〈江南化〉をもたらす。グローバル資本市場では、上流階級を中心に、高度な消費が行われる。高級車、美容整形、ブランド品、名門塾等、こうしたおのれのステータスを維持するためにどれだけお金を費やせるかが、自分の身分を示すシンボルとなる。華美な消費で一般的な中流層との差別化を図ろうとする新上流中産層のライフスタイルが、中流の基準とされることで、中流層もまた、こうしたシンボルを追い求めるようになる。「韓国のメディアは江南の過度な消費という側面に注目しつづけることによって、その場所を他の地域の住民の羨望と妬みの対象として浮かび上がらせた。その過程で江南の富裕層は現代の韓国人、その中でも一般中産層にはもっとも重要な準拠集団として自然に定着した」(117頁)。新上流中産層の絶対数は少なくとも、中流層が、そうしたシンボルを求める以上、模倣消費は繰り返され、結局、グローバル資本は、両方の市場を掌中に収めることができるのだ。もちろん、潤沢な資金がない一般的な中産層はいつまでも華美な消費を続けることはできない。それでも、これ以上没落するわけにはいかないというプライド、そのプライドよりもはるかに大きい不安感が、中流層をいたずらに消費にかき立ててる。

 

教育もまた、グローバル時代のなかで大きく影響を受けた分野である。朴正熙政権時に、一九六九年に中学校平準化、一九七三年に高校平準化をそれぞれ実施したが、これは受験戦争を大学入試の時期に後ろ倒ししたに過ぎず、かえって私教育市場を膨張させる結果となってしまった。韓国では、ソウル大学、高麗大学、延世大学(それぞれ頭文字を取って、SKYと呼ばれる)がトップ大学だが、このSKYに進学できる学生は全体で約1%ほどしかいない。この狭き門を求めて過度な受験競争に負われているのが、現在の韓国の姿であるが、いま極めて大きな問題となっているのが、親の財力が子供の学歴と直結するようになってしまったことだ。富裕層の街・江南では、大峙洞が予備校街であり、教育市場サービスが過熱している。子供たちは、大学受験を見据え、小学校の低学年から何かしら習い事に勤しむのが一般的になっているが、質の良い私教育のどれだけお金を費やせるかが、後の子供の学力に大きな影響を与えるのは言うまでもないだろう。そして、興味深いことに、江南に住む富裕層には、この受験戦争を勝ち抜くもうひとつのオルタナティブがある。いくら子供のために教育費を捻出できる江南の富裕層といえど、SKYの切符は厳しいのが現実だ。もし子供がSKYに受からなかった場合はどうするのか。その時、江南の富裕層が取る選択は、海外留学である。SKY以外の無名の韓国の大学に行くくらいなら、たとえ三流であっても米国の大学に通わせる方が、面子が保てる。江南の富裕層にとって、海外留学は国内入試競争で失敗したときの保証なのだ。「早期留学は中産層の家庭において、子どもが国内で名門大学に行けないときに変わりに選択できるオルタナティブな戦略になった」(157頁)

 

教育に起こっているもうひとつの問題として、特筆すべきことにスペック地獄がある。厳しい競争の末に、SKYの名門大学の合格を勝ち取っても、今度は一流企業に就職するというゴールに向けて、さらなる過酷な競争が待っている。韓国の大学生たちは、一流企業から選ばれる有能な人材になろうと、TOIECの試験、ボランティアといった、自分自身に箔がつく、ありとあらゆる資格や経験を身につけるのに必死になっている。こうした事態はすでに高校生にも影響しており、名門大学への推薦合格を勝ち取るため、高校生もまたスペック獲得のために、日々奮闘しているのだ。その一つに、大学教授を親に持つ高校生が、親子で論文を共同執筆するということも行われており、推薦入試における格好のアピールポイントとなっているが、そもそもこうしたことが可能なのは、家庭資本に恵まれたごく一部の高校生に過ぎない。教育格差はますます深刻になる。こうしたグローバル化に翻弄される韓国社会の姿は、日本社会の構造を考える上でも有益な視点を与えてくれる。「稼げる大学」「ファスト教養」「入試英語改革」等、日本の教育もまた、新自由主義の論理が浸食し、既存の格差を温存し、上流層にとって有利な社会構造を維持しようと努めているかに見える。共通テストの初年度において英検などの外部試験の導入が議論されていたとき、当時の文部科学大臣から「身の丈のあった試験を」という言葉が出てきたことは、この問題の所在を端的に物語っている。富裕層が有利であり続けるための社会の再生産の機能を教育を背負わされているのだ。ここでは都会と地方の教育格差は政策として改善されるべき課題ではなく、個人の努力の問題に置き換えられる。しかし、そもそも出来レースである教育競争で、個人の力だけでのし上がっていくことは、おそろしく困難であろう。日本では、二〇二一年から、従来のセンター試験を廃し、大学入学共通テストを導入した。この一連の入試改革の流れは、まさにこうした視点から分析されなければならない。