818冊目『韓国人権紀行 私たちには記憶すべきことがある』(朴來群 真鍋祐子訳 高文研) | 思想水脈~本を読む~

思想水脈~本を読む~

死ぬまでに1万冊の書評をめざす。たぶん、無理。

テーマ:

 

 

1987年までの韓国現代史は、人権蹂躙の歴史だった。李承晩体制下での済州島4・3事件や、朴正熙体制下での人革党事件、そして、全斗煥体制下での光州事件など、時の独裁政権によって夥しい数の人命が失われた。これらの悲劇に共通するのは、反共である。朝鮮半島は、1948年、南朝鮮で単独選挙が実施されたことで、南北の分断は決定的となった。そして、選挙の結果、誕生した李承晩大統領は、同年、国家保安法を制定し、共産主義者や親北者を明確に国家の敵として認定した。以降、反共は、大韓民国の国是となり、映画館に行けばスクリーンの真上に「反共」という文字があり、学生たちは授業で反共の標語を書かせられ(映画『サニー』にはその場面がある)、朴正熙体制下にあっては、反共が一つの教科にまでなってしまった。

 

当然ながら、反共意識が強ければ強い分だけ、内側への締め付けもまた厳しくなる。政治学者の韓洪九は、この反共国家は、敵国の北朝鮮よりも、自国民相手に戦争をしてきたといった方が的確であろうと述べている(672冊目『韓洪九の韓国現代史』)。「パルゲンイ(アカ野郎)」という言葉ほど、この時代を生きた韓国人を恐れさせたものはないだろう。激動の民主化闘争を扱った映画『1987、ある闘いの真実』では、治安対策本部長が「アカの逮捕を邪魔するやつは、無条件にアカとみなす」と吐くセリフがあるが、ひととび「パルゲンイ」と認定されれば、対共分室に連れられ、凄まじいまでの拷問を受け、場合によっては命を落とした。KCIA(中央情報部)や安企部は、パルゲンイをでっちあげてでも摘発するという、狂信的な反共精神の組織だった。

 

パルゲンイ恐怖症というべき朴正熙や全斗煥といった軍部独裁の時代は、自由を求める民衆の粘り強い闘争によって幕を閉じた。しかしながら、1987年に民主化した韓国においても、こうした国家の暴力が決して消え去ったわけではない。というのも、親北の利敵行為を罰する国家保安法はまだ健在であり、パルゲンイの恐怖は誰にでも降りかかるものだからだ。気骨のジャーナリスト、チェ・スンホが手がけたドキュメンタリー映画『自白/スパイネーション』(2016年)を観て驚くのは、民主化以降の韓国においても、こうした国家権力の人権蹂躙が繰り返されてきたことだ。こうした国家の暴力を終わらせるには、原理的には国家保安法を廃止するしかないが、これは非常に困難であろう。

 

「人権紀行」と題された本書は、著者が韓国現代史の悲劇となった舞台である済州島、子鹿島、光州、南山を訪問しながら、そこで起こったあまりにも惨い事件を伝え、その事件からどのような教訓を導き出すべきかを読者とともに考えるきっかけを与えてくれている。さて、日本人である我々が、韓国の現代史を、単純に「外国の歴史」として学ぶわけにはいかない理由がある。というのも韓国の軍部独裁時代の歴史は、帝国日本の統治のあり方が強く影響しているからだ。一例を挙げると、済州島四・三事件における戒厳令の発令根拠は、植民地支配下の勅令だった(727冊目『済州島 四・三事件』)。李承晩、朴正熙、全斗煥は、帝国日本の遺産と手をつなぎながら、その政権地盤を盤石にしていったのである。

 

反共政策にもとづき植民地期の機構や人脈、軍事文化や治安維持法(韓国では国家保安法という)に至るまで、あらゆる日帝時代のリソースを駆使した朴政権の独裁政治、およびその延長上で、光州を捨て石とし、さらに暴虐的な強権政治を強いた全斗煥の政権掌握過程に関しては、日本にも歴史的な責任の一端があるといえよう。(訳者解説)

 

韓国の現代史を考えることは、日本の現代史を考えることでもある。そのことを踏まえてはじめて歴史認識の問題も議論の俎上に載せることができるだろう。