多分、愛のある毒を吐き出すブログ -4ページ目

多分、愛のある毒を吐き出すブログ

経営的な事からチーム建設、はたまた趣味嗜好。

荒波の中を生きているので人とちょとずれたマインドを吐露していきます。

言いたい事は言うがそれ全て自己責任だね!

タイトル通り今日は

自己肯定感

についてちょとしゃべる。
承認欲求的なものと繋がってくるから比較しておくんだけど

【承認欲求が高すぎる人】
これまた拗らせやすいと思っています。
でもそれよりも拗らせやすいのが

【自己肯定感の低い人】

僕は後者の方が、大変だなぁと思ってます。
間違っても否定的ではないので、勘違いしないでほしいなぁ。

結論から先に言います。

自己肯定感が低いと、他人が信じられなくなる。

こう考えついた理由を述べていくよ。

なんでもさ、他人評価とか、人と比べる事がごく自然な社会だから、みんな口にするでしょ?

かっこいい
かわいい
すごい

こう言った【褒め言葉】は、本来なら大歓迎なジャンルのはず。
だけど、自己肯定感の低い人は、これを信じられない。
なぜなら最も身近にいる自分が自分を褒められないから、言われても、そんな事ない。ていう思考に行くと思うんだ。

自分で自分を褒めるって、意識してもなかなかできないし、どうやってやるの?
て思うよね。ナルシスト、自信過剰、天狗etc

これになるわけでなくてね?例えると

仕事を頑張ったら、ふぁー!疲れた!なんとか乗り切ったなぁ。ゆっくり休むぞ!

これ、自己肯定になるんだよね。
なのに、これを自己肯定、自分を認めるって事として認識してない。そこが問題。

自分の良いところ褒めよう!とか大それて思うと、多分、もっと負のループに落ちる。

俗に言う小さな幸せ探そうよ。

これも、僕は難しいと思ってる。

自己肯定感の低い人は、結構凄い人だと思ってる。
(これ、もし自己肯定感が低い人がよんだら、ここも何言ってんだか。てなると思うよww)

特に、表現者とかね。
もっともっと!負けてなるものか!なんで事を人と比較しつつ、己をダメだ!と律してやってる気がするんだよね。
これはめっちゃ良い事だと思う。

この流れと

自分全然できてないから、やらなきゃな。
はちょっと似てるけど違う感覚がある。
(この辺また整理したいから書いてみる)

先にも言ったけど

仕事行って帰って飯食って寝る。
それだけで十分では?

自己肯定感低い人は、自分がそうなっちゃってるな、と分かってる事がおおい。
分かってるから、良くないな。なんて思考をするんだろうけど、元来、自分で自分を褒めることさえ必要ないんだよね。

実を伴う事をちょと追記。
先日、ダンスに挑戦した。本当に今まで踊れない。ダサいと言われまくってきたけど、挑戦した!
結果どうなったか。

踊れた!

という感じね。
もうそこで思考は終わりましたww
カッコよく踊れた!とか、うまく踊れた!とか知らんのよ。
踊れたかも!ていど。
達成感で終われば良いじゃん。

あ。これめっちゃ大切な感情だな。て思って今日のブログね。

他人の言うことが信じられないってのと、
他人の言う事を疑っていく

これは全く意味が違うから、リンクさせない方がいいと思うなww

このブログは脳みそ整理ブログになっていくと思うので最後まで読んだ人は、神に近しい存在ですww
ありがとうございました😊
【過去を持ち出して今を語る】
とんでもなく残酷な行為だ。無責任とさえ思う。


SNSが発達して、情報が沢山手元に入るようになって利便性は格段に増えたね。

そこに時系列は無視で、過去が今の出来事の情報の様に簡単に手に入る。

 【正確な情報】

をどれだけの人が捉えることができて、どれだけの人が発信できているんだ?と思う。

この【情報の伝わり方】
別にネット社会になったから加速しただけであって勘違いしちゃあかんのはその発信元は

【人】

そこは不変だよね。

僕は自暴自棄ってやつを経験している。
沢山の人に迷惑をかけて、なんか色々おかしくなったことがある。
その時の行った沢山の過ちは、【事実】なのは確かなんだよね。
どんなに悔やんでも変わらない【事実】なんだよね。

だから、そこを持ち出されるのはどーしようもなく、今では覚悟のもと、責任だと思っている。
(犯罪を犯したわけではないからねw)

でも、一言だけ付け加えたいと思うよ。経験して今なお苦い思いをしているからこそ、ここに記そうと思ったんだ。そんな奴が他にもいるんじゃね?と思ったわけだ。

この【事実】てのは【過去の事実】で【今現在】ではないって事なんだよ。
(過去を許してくれとは思わない)

先にも言ったけど、情報の発信源は【人】なんだ。
人から人への伝わっていくのにSNSが加わって加速して、さも今の出来事のように過去の出来事が語られる。

そしてその一連の流れで、一番怖いのが

【今をねじ曲げる】

はっきりいう。
それを分からず、人へ伝えたりする奴らは、残酷だ。
アドバイスなのだと思ってやっているのだとしたら、どーかしてる。
知っている奴がやっていたとしたら体当たりで伝えにいく。

その発信が、今なお努力している人間を苦しめる事だとわかってない。
面白半分ならもう殺意さえ覚える。

悔い改め努力している奴らをどん底に突き落とす行為だ。

正直、【でも、過去の事実でしょ?】と言われれば仕方のない事なのはわかるが、そんな過去の情報に囚われて今を見られないような人間にはなりたくない。

これは自戒に近いが、もし読んでくれた人が何か思うところが生まれればと思う。

【過去は過去】だ。
そして、その過程で人は成長する。変わるのではなく成長するんだ。
成長して
【今】があるんだ。

俺は、
人に接する時、【今のその人】を見ていくと決めている。
馬鹿を見たっていいんだ。騙されたっていいとさえ思う。

間違っても

過去を否定しているのではなくて、過去を受け止めた上で今を精一杯生きていくキツさがわかるからこそ、今を見てその人を知ろうとするんだ。

【過去を持ち出して今を語る】のは、相当残酷だと言う話をしたかった。

だから俺はコメンテーター嫌い!
当事者の今ある情報以外はあてにしない!





まぁ、よく言われるのがこの言葉。

不器用ですね。

それなりに、ダメージ喰らうが、もうなんて言うか諦めているww
器用よりも不器用に愚直に生きてる方が楽しいとさえ思う。

さて、今日はね?

過去の誤ち

ってやつの恐ろしさを痛感しているわけです。

これが、【過ち】なのか【誤ち】どちらなのかにもよるけどさ?

これって、自分じゃもう2度とどうすることもできない事なんだと思うんだ。
自分がやってしまった事なのに、自分ではどーすることもできない。今、一番怖い事象。

ここには、他人の感情や、社会性とかが大きく左右するよね。その中でも他人の感情って、どーにもならないと思ってんだよ。

一瞬でマイナスに動くんだよ。
で、それの回復なんて、どーにもならんと言いつつも、回復させる事はできたとしても、めちゃくちゃ時間かかると思っている。

自分じゃどーにもならない事ってのに遭遇するとどーするのかな?

て、コロナの蔓延ですごく考えたね。

やってしまった、言ってしまった、起きてしまった。
それら全て過去のお話だけど、それをぽーーい!てできる人って居るんだろうか?

おれは無理だね。

それがあるから、今いられる事だって、今の自分になれたってのもあるからねぇ。

特に対相手がいての過ちや誤ちを、自分でどーにかしようとする事自体か、とんでもなく傲慢で自分勝手だと思う。

それなら、何するか?

反省をしまくる。
糧にしようとする。

どしんと構える。
受け止める。

それくらいしか思いつかない。わからんけどww

きっと些細な事でも、過ちや誤ちの大きさはあんまり変わらないんだろう。

言いたい事をやりたい事をさせてもらっているからこそ、本当に沢山の過ちと誤ちが今の自分の中にある。

スタジオを持ったことは過ちか誤ちか。

さぁ、どちらに転ぶかは、ここに関しては自分次第ww

まーた久しぶりのブログが取り止めのない感じになってしまったww


20歳で芸事志、28でRE-act設立。

年齢ばれちゃうけどまぁいいか。
10年かかって、自社スタジオを持った。

ここまで、本当によくやってこれたと思う。沢山の事を経験した。

元々、独裁者的に、唯我独尊みたいなエゴの塊だった僕は

アクションも芝居も、うまけりゃなんとかなるだろ!
絶対上に立ってやる!

と自分のことしか考えられないクソみたいな若造だった。
RE-act設立した時も、深く考えていなかったけど

【自社スタジオを持ったら楽しいよね!】

と語り、本気でそれを実現できた。
不可能なんてないねww

だけどね。これ一人じゃ絶対無理だった。
ある時、何がきっかけか忘れたけど、物凄く今、共にいるメンバーの事を考えるようになったんだよね。

こいつらの時間を俺は貰っている。
こいつらのおかげで生活できている。
こいつらがいなかったらつまんない毎日だな。

依存しているわけではないよww

だけどね。
本当に感謝してんだよ。

絶対無理だったから。一人でやってたら無理だった。

10年で自社スタジオ。これで僕の1幕が閉じる気がする。
で、すぐさま2幕が始まっておる感覚だ。

ここからは、自分じゃなくて

【メンバーへ最大限の恩返しだ】

目標は2〜3年

今より、生活的にも、芸事も、そしてお金的にも満足度の高い世界を提供する!

これが2幕のコンセプトだ。

やるぞ。

これから出会う仲間にも一言。

気になったらおいでよ。
与えるばかりではないし、きついことも沢山ある。
でもね?

絶対君にしかできない形は存在するよ。

最高の毎日を過ごそう!

あー。お腹すいた
いまだに整理がつかない一昨日の出来事を話そうと思います。

RE-actにはLINEグループがあります。メンバー全員が加入、情報が昼夜問わず飛び交う、社会人にしてみたらとんでもなく鬱陶しいグループだ。

特に僕は深夜帯に関わらず、就業中に関わらず、めちゃくちゃに情報を飛ばす。
重要度の高いものは、夕方以降にする様にしているが、報告程度、共有程度ならばボンボン飛ばす。

まず初めにここを改善しようと思っている。

さて、このグループのグランドルールがある。これはRE-actとしてのルールだ。

【反応をすること】
【ありがとうございます、お疲れ様でした、すいません、宜しくお願いします】

どんな事でも、これを絶対にしていた。
小学生程度のルールだと思っているが、時間の融通が効かない大人にとってこれは、非常に不便だろうと思ってはいる。

このルールは、いつしか薄れていき、最近では、
【反応する】
という事が、非常に薄くなっていた。

いつからだろうなぁ。
特に何かプロジェクトを外で動かしていると、共有のため流す情報が増える。最近はその機会が多いため膨大だからだろうか。

理解はしていた。

昨夜、これまた深夜に僕はついに不満をグループに発信した。

YouTubeの動画共有
そして、別で動かしているメンバーの情報発信に大半がスルーが続いていたからだ。
それに限らず、目に余るほどのスルーをする人達が多すぎたからだ。

『いつからこのグループでは、スルーがOKになったんだろうね?
情報を流している立場としては最悪の環境だ。
このまま行くなら、一度考え直します。』

と。

続いて

『あなた達がそういう態度なら、私もそうします。
そして、指導する事環境を作る事を放棄します。私は鏡だ。』
と私情ごちゃ混ぜの不満をぶつけた。

結果から先に話そう。
翌日、全員からグループラインにて謝罪などが投稿されました。

さて、それをみて僕はどう思ったか。意外でした。

自己嫌悪しか生まれませんでした。
なんで、この人達に謝らせているんだ。と。
更には、なにに対して謝ってんだろう?と。

謝って貰えば改善されたら、ほぼ私情をぶつけた怒りは治るのか?いや、治ってない。
というよりもなんか、恥ずかしさと申し訳なさがすごい。

元来、情報を流していたりするのは

【僕がやりたくてやっている事】
【僕がみんなにも共有の必要がある】

と思っている事が大半だ。
最悪ですよ。僕が思っているだけで、相手にはそうでない可能性が幾分にも含まれているんです。
というか、ほとんどそうだろうね。

それに反応しろ!という事自体ナンセンス。

と思い、無反応状態でも発信をしていたのですが、まだまだですね。
保てませんでした。
僕にだって、承認欲求はあるし、頑張りを認めてもらいたい気持ちがある。
1人で立ってられないんだ。
(痛感。ここに関して最後に書くけど)

反応しない事よりも、他人事に思えている事の方が何倍も良くない。まぁそこは別の課題としてストック。

今現在、誰かが発信すると多分にメンバーが反応している。それを見て、単純に昔を思い出しましたね。

そこでようやく、ふに落ちた事があるんです。

僕が怒りをぶつけ、反応する様にメンバーが意識して、問題は解決に向かっている。

これが、今回の超簡略的な説明。

たしかに、それに対してそうさせているという恥ずかしさと申し訳なさとかは、消えてない。
でも、ふと今ブログを書いている理由は、

環境を守ってくれてありがとう。

という気持ちがふつふつと湧いてきているから。

言うことを聞いてくれてありがとうなんて少しも思えない。そんな王様みたいな人間でもない。

が、唯一あるのはRE-actというモノを守る事は譲れないエゴなんだと確信した。

僕は多分、RE-actの中でも1番の捻くれ者で子供だ。

あるメンバーが韓国に社員旅行に行ってきますとLINEした。
いってらっしゃい!気をつけて!と飛び交うライン。
あるメンバーがステージ終わりましたとLINEした。
お疲れ様!と飛び交うスタンプ。

これみて、嬉しくて仕方ないんだ。
(言うこと聞いてくれてうれしいんじゃない)

たったそれだけで、僕は頑張れる単純クソやろうなんだと。
活気に溢れた場所が、自分がコミュ障で隠キャで人嫌いで寂しがりで捻くれ者で頑固で劣等感の塊のこじれた僕は、

そこの空間を見るだけで嬉しいんだ。

だから、出た感情だった。

ここを守ってくれてありがとう。
結局これも僕のエゴだから結果言うこと聞かせてるのかもしれんけど、僕にはまだその違いが上手く整理はできない。

だから、これがそのまんま僕の気持ち。

こんな事だけで、僕は走れるって思えた感じ。

このブログももちろんグループラインに投げる。
喋ると高圧的になるから、文字のが上手く言えるんだよね。

さ。明日もがんばろ。

あ。途中にあった自分の承認欲求とかの話。
これ、もう1人の人間として見られる機会が減ったからよりボディーブロー。
特にRE-act内では新人も増えて、どうあがいたって、代表、主宰、偉い人。
寂しいねww
男でもなけりゃ人でもない見方をされているのは、地味に堪える。
そんな強くもないし、どちらかというと脆い。
あたりが外から強い分、もしかしたら誰よりもRE-actに寄りかかっているのかもね。
これが原動力にもなってるんだから、あぁめんどくせぇな僕は!

ですよ。
だから、今はガチでたこ焼き屋目指してます。そこならただのたこ焼き焼いている人になれるからね。

ふと、物思いにふけっている寝付く前。

時々、急に起こるんだけど。
綺麗事ではなくて

父と母に対する感謝の思いがなんかぐわー!て出てくるんだよ。

自分は本当に自分勝手な選択を沢山して今まで生きてきて、そして今では芸事のみで生活している。

早く親をもっと安心させてあげたい。

どれくらいからかな?こんな感情を持つようになったのは。

道を歩く親と似た年齢の方を見ると、急に寂しくてあったかくて、あぁ。守らなきゃな。て思うんです。

自分は本当に守られて育ててもらったから。

自由な選択をさせてもらうという事をさせてもらった。

これって、本当にしんどいって事が日に日に身に染みる。何も言わずに父は言うんだ。

『お前がそうきめたなら、それでいい』

高校を遊んで行かなくなった時も、留年して遊び呆けた時も、大学を中退した時も、芸事の道に進むと決めた時も。

『死ぬわけじゃない。未来どうなるかわからん。だからお前が決めたなら、それでいい』

それしか言わないんだよ。

今も書いてて泣きそうになる一言。

母も同じだ。何にも言わない。

昨年かな?ふと母としんみりと話す時があったんだよね。ずっと聞きたかったらしいんだけど。

母曰く

お父さんは、本当に家にいなかったし、子供からしたら悪者に見える事が沢山あったと思う。仕事人間で多くを語らなかったし。
どう思ってるの?父さんのこと。

言うことなんて一つだったよ。

【尊敬と感謝しかない。】

今ならわかる。お父さんもお母さんも、一番辛い選択をして、一番覚悟のいる選択をして育ててくれた。
それが、その時は全くわからなかったけど、今ならわかる。
今、自分には、一緒に居てくれる仲間がいる。そいつらが、どんな選択をしても何をしても、頭によぎるのが父さんの言葉なんだ。

【未来なんてどうなるかわからない、だから、お前が決めたならそれでいい。】

僕が追いかけているのは、いつまでたっても両親なんだろうなぁ。

そんな風に思うんだよね。

そういえばこの性格は、親の姿を見て、自分が選んでなった性格なんだろうなぁ。と最近よく思う。

なぜなら

高校の時、金髪にしたんだ。反骨精神というか、なんかやってみたくて。

そしたら、二者面談の時、母は担任に言われたらしい。

『髪の色なんとか戻せないですか?』と。
後日聞いた母のぶっ飛んだ返しに今でも驚く。

母は担任にこういったんだ。

『先生も茶髪にしたらどうですか?似合うと思いますよ?顔立ちかっこいいのに勿体ない』

そういって帰ってきたらしい。

あぁ。俺の親だなぁ。







僕は両方やっている。

それは指導者として。同志として。
褒めるというか、讃える。

すげーじゃん!いいじゃん!
という感想を述べる。

叱るというか、不満を言う。
それやだ!それは気分悪い。
と感じたままを述べる。

なんかさ?褒めるってのはさ、上から目線やん?その人より自分が優れているからこそ褒めるわけで、クソめんどくさい上下関係を生むやん?

叱るのも同じだ。
上からモノをいい、押し付けて、その人より上にいると形を作りたいから、叱っているように思えるんだよ。

先輩後輩は必要だとは思うけど、それは社会的な常識的観点からの考えで。

根本は


そんなんどーでもいい!

先輩後輩、部下とか上司みたいな形があるから、パワハラやセクハラやなんだかんだと。
クソめんどくさい事が発生してる気がするわ。

なんでやらないんだ!
と叱る。

そんなんその人の勝手やんか。
やるやらないなんて、どーにもできないでしょ(笑)

俺なら

やらないのは、みてて気持ち悪い!気分悪い!

て言うね。

やらなくて満足ならそれでいいんじゃね?

とも言う。


逆に言えば、やらなくても、あ、やらないんだ。それでええんやな。と理解する。納得は、まだ難しいけどね(笑)

上下関係意識してる人とかは、なんか、息苦しそうだなぁと感じます。



私は、趣味はさほどある訳ではないですが、のめり込むと、アクセル全開です。

妥協がなく、欲が溢れ出て、せき止めるものは何もない。

だから全力。

多少生活に支障きたしても気にしない。

楽しいから!

そして、本能的に分かっている。
その遊びは、糧になる。経験になることをわかっている。
だから、やりたい!となったら、おりゃー!とやる。

例えをだすか。
えーと。

カメラと動画。
YouTube活動。

これは、ほとんど自分の興味本位からスタートしてる。まずは、カメラ。
一眼レフを買って、出不精の自分が外に写真を撮り始めた。
同時に、そばにコスプレイヤーがいたので、イベントにカメコでいった。

動画。
ビデオカメラを買って、最近ではGopro購入。
アクションや殺陣の臨場感はどうやったら撮れる?という興味本位、その遊び心からの延長戦で絶賛拗らせてる。

いまだに、ハマった沼からは抜け出せるどころか、気になりすぎてハマるばかり。

【興味持ったら徹底的にそれで遊ぶ!楽しむ!】

それをやらない人は損していると断言する。仕事ばかりしている人は今の時代損してる。時代関係ないかも。

役者の人が、芝居ばかりやっているのを見ると、残念に思う。

現実的に、私の体験談と経験談と実体験を。

今、その興味を持った分野は、遊びの延長はRE-actの部門になり、確かな魅力になっている。

遊ばなかったら生まれなかった形だ。

もう一つ、実際に

【遊びが形を変えて、今の生活を充実させた】

これの実例を。

生粋のコスプレイヤーが団体に在籍。そのメンバーにはこう伝えていた。

【辞める必要はない。いつかそれは絶対何かの化学反応を起こすから】

今どうなっているか

【コスパフォで殺陣を使って活動】
している。

ファンがつき、自分の活動が裕福になり、作品愛、コスプレ愛で、サブカルに貢献している。

そんな実例がRE-actには山積みである。
少しずつ紹介していこう。

【遊びと趣味】


【宝の山】

だ!

===============
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@REact555
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最近よく思います。

多分、私の主宰している団体は孤立しています。
言い方を変えれば独立しています。

何故そうなったか。

その前にこれは望んでこうなったのか?と言うところ。
然るべくしてなりました。
そうでなくては生き残れないと思ったから。

1つ目の理由

【10人同じことをしているなら、わざわざそれをやって上り詰める必要はない】

です。
劇団とか演劇とかそれに限らず、先駆者は居ますし、競合相手が必ず居ます。
わざわざそこに入る必要を感じなかった。
コストがかかると。時間のコスト。

多分、簡単に数えて100くらいはあるんじゃないかな?東海地区の劇団というのは。
そして、よく耳にしたり目にしたりするのは一桁では?
数字でいえば1500人動員している東海地区の団体は指折りだろう。

さて、何十年とやり、そこまで到達している団体にわざわざ挑戦する必要が感じられない訳です。

それならば、皆がやっていないことを好んでやり、特異性を出して、やっていく方が何倍もコストががからない。

第6回の本祭という舞台興行では、1400人動員まで到達。あと5年もすれば3000は行けると思う。
(こういう明確なビジョン大切)

なりたい形に向かう時、わざわざ無駄な時間のコストを割く必要はないと思う。そして大多数と同じことをしたり、今回で言えば同じ形で挑んでコストを浪費する場合、理由をつけているはず。

白い目で見られる。
孤独は寂しい。
人と違うことをするのが怖い。
口コミが怖い
敵を作る

など。少数派で行くには、それなりの精神が必要。

大なり小なり、私は、風当たりを強く受けてきたけど、そんなもんは1〜2年で消えます。
さらには、陰口や批判をしていた人達は気付かぬうちにひっくり返っています。

だから、勝ち残りたいなら、特異性を持たせて、ことをすれば良いと思うね。

他にも沢山あるけど、最たるものはここな気がする。
そうすると、孤立。言い方を変えれば独立。

もう一つ。

お芝居は同じコミュニティ内でお客様が回ります。
だから、他劇団に織り込みをする。(チラシをパンフレットに挟んで宣伝)

だから頭打ちでしょう。そりゃ、同じコミュニティ内であれば、大体の平均値が出てきます。

1400人動員した舞台では、一切の織り込みをしませんでした。そこをターゲットに見ていなかったから。(集客見込めるならやっときゃよかったと反省しているww)

それもまた、特異性であり、孤立、独立している理由なのかもしれないなぁ。

ブレずに行こうよ!





先日、イベントで、演目の全体士気を取りました。

演出の元、愛知プロデューサーの元、パフォーマーをおよそ50名。衣装や道具も。

そこそこハードな現場だった訳ですが、新しい試みを実はしていました。

本来ならこーいう催事エンターテイメントにこそ、表現者や役者の力が必要だと思っている。
自分も表現者であります。そこが生きる道なのだということも理解しています。


【役者を役者として起用しませんでした。】

なぜなら

今、自分の心持ち的に、

役者同士で
縁ていうものを無下に扱い、自分の私利私欲が先立ち、お金というものが大きくなにかを捻じ曲げている。
そう感じているからです。
(こーいうこと言うから、次回とか出てくれないだろう)

実際、自分がプロデュースした舞台とかはもちろん役者さんにお声がけして、作品を作り上げて貰ってます。なくてはならない存在ですよ。
作品を作る上で、自分が一番重要視しているのは環境です。何をするにも環境が悪いと、終わった後にシコリが残ります。それが一番嫌なんです。頑張ったのに、マイナスに働くなんて嫌だ。
その環境は役者だけではなく、私自身も含まれるんです。当然ですよ。

【環境は、人が作る。人は、環境が作る。】

今回、その合戦では、殺陣が好き。合戦が好き。歴史が好き。好きという気持ちを優先でお声がけしました。そういう人を選びました。

終わった後の感覚は全然違いました。

終わった後、気持ちいいんですよ!

お金の話をすれば

こんなに素敵な環境で、たくさん学んだのに頂けるのですか!?

という声が多数。
当たり前です。それだけの事をやってのけたのですから薄謝でも私は支払いたい。それは愛知のプロデューサーなどとも志を共有していました。

でも、その言葉がなによりも嬉しいのです。
苦しいんです。薄謝だから。

泣いている部分が多々あるのは承知。きっと出演してくれた人もそう思っているだろう。

では、実際、自分の舞台の時はどうか?
必死にプロモーションして、資金を集め、赤字覚悟で、それでも役者には薄謝でも支払います。

でもね。

最近これを言われた覚えはあまりない。
(忘れていたのだとしたらパンチしてください)

私は、これを思いやりの欠如だと思ってます。きっと他でもそうなのかな?
なんて思ったりします。

だって、恐ろしほどの労力とお金と、言えば赤字をかぶっているのですから。

よく、すんなりと平然と受け取れるなぁと。

なぜこんなに言っているかというと。

舞台やイベントはチケットの販売が要なのは変わらないですよね?
だからこそ、一丸となってプロモーションする。
それが、かなりの重要だ。断言する。
ここ頑張らないのはどうかしてる。

今回は、いつもは殆どないのに、出演者から発信をしたいのですがどうしたらいいですか?という動きが生まれました。
感動した。

いつもは、言ってもやってはくれない。反応ない。あれは正直、あぁ他人事で痛くもかゆくもないから、そりゃしないよな。やらなくてもギャラは約束されているし。
(捻くれて考えちゃう時もあるほどです。)

ても、どんな媒体も宣伝は嬉しいものです。
私は何かに出ると、必ずそこを一番頑張るようにしています。
売れて損することはないし、やれることはやりたい。
表現するだけなら、他を使ってくれ。とも思っている。

宣伝はコンプライアンスの都合で出来ないこともあるでしょうけど、なら他の方法探したのかなぁ?と思います。

事実、今回のイベントもコンプライアンス上、発信は初めはNGだったのですが、説得して、更には頑張りを見てもらって、届けていただいて、最終的にはオッケーをもらいました。

言いたいって、本当に嬉しいこと。
逆に言えば、いつもは、自分が作る場合、他人事になってしまいら言いたいと思わせる事が出来てないのか。とも反省。猛省。

あぁ。ここに根元があるなぁ。
そう思ったんです。

楽しむ事。好きな事を楽しむ事。感謝と言葉。

自分が有名になりたい。有名になってチヤホヤされたい。認めてもらいたい。お金をもらいたい。

そんな思考が見えて仕方ない今の業界。役者。

正直、次回、その人達とやりたいともう一度思えるかとても不安だ。

その先に何を見ているんだろう。

人を笑顔にしたい。喜ばせたい。楽しませたい。
そして、それを全力で楽しんで、苦しんで、苦しむことも後で笑って。

人の幸せ

が、役者の価値の先にあるんじゃねぇかな。

アイドルは笑顔でいる事が仕事ではなく、笑顔にさせるのが仕事。

表現者は、当たり前のように人を喜ばせ感動させ、生活の中で、その感情によって充実してもらう。

それが仕事じゃねえのかな?

なんか、いまは、捻じ曲がって見えるから、すごく嫌だ。そんな世界に今いるかと思うと、悲しくて仕方ないね。

嫌気がさすよ。
悲しいね。