シリコンバレーで10年以上勝負している連続起業家と、都内で一緒にピザを食べた。
最初に米国で創業した会社を大手企業に売却したり、創業した会社かはクビを告げられたり、様々な経験をし、今に至る。今回が彼にとって米国で3度目の起業である。
彼は日本の方が正直、住みやすく心地よいと言う。シリコンバレーで勝負するのは、お金が集まり、ユーザーがいるからであり、むしろ、現地での暮らしはboringだとも言う。
仕事の腕っぷしも評判も確かで、精神もとても成熟しており、日本で騒いでいる連中とは全く周回が違う。彼のような起業家と一緒に仕事ができて、とても光栄、誇りに思う。
日本の超高齢化社会はもう目前だ。製造業のような設備投資型、労働集約型のビジネスを海外で行うよりは、彼のように、より身軽に、クラウド・知的集約型ビジネスをやっている人は若手中心に急増している。そして、市場の大きさや機会の大きさで判断して主に海外でいっちょ稼ぎ、たまに日本に戻り、そこでお金を使うような先進的な人は既に存在している。
外国人を誘致するとあれこれ奇抜であったりクールジャパン的なコンテンツを練って張り切るのは結構だけれども、これから益々、場所関係なく国際的に生きる日本人にとって、落ち着いて、いずれ戻りたいと必ず思わせる、目立たなくて地味だけど、永久的な自宅としての機能を洗練させてゆくべきだ。明るみや派手さよりも陰影を礼賛する、それこそが日本の文化なのだから。
世界に2つ以上の不動産を誰もが持ち、頻繁に移動を繰り返すようになる未来が来るとすれば、より自由に飛び回る未来人は各国の特徴を基に定住のポートフォリオを組むはずで、その中でも「落ち着く」「安心安全」「食も自然も豊かで住みやすい」といったポイントは、グローバル化への足かせになっていたようで、実は日本のオリジナル性が高いキラーコンテンツである。
国内の客からいっちょ稼いで日本のGDPに貢献する場所ももちろん必要だけれど、それ以前に国としての求心力を強化し、人も金も外から持ってくる取り組みが必要だ。それは既存の観光のカテゴリのみではない。
僕らの時代は、21世紀的な大きな課題を素材に世の中のグランドデザインができる、本当に本当にに大きな過渡期にいるのかもしれない。
この時代に生まれた限り、これをやり過ごす訳にはいかず、精一杯クリエイティブに解決策を生み出せるように楽しまなくては。
同世代の奴で、新卒でMとかBとかのコンサル会社に入って独立している人をこのところよく見かける。
僕は当時何だか雰囲気が高飛車に感じて、受けもしなかったんだけど、彼らの社会に出てからの初速度や発展性といったら、やはり通常の会社で育つエリートの数倍はパワーもバリエーションもあるように感じる。視野、意識、行動力、コミュニケーション力、いずれも相当高いレベルに若いうちに達する。それだけポテンシャル高い人を摘まんでいるし、日本社会の中の難易度の最も高い経営の第一線で、プロフェッショナルな環境に身を置いていたのだと思う。人の促成栽培だ。
これは僕が取らなかった道であり、彼らが歩んで来た道を素直にとても羨ましく思う。
でも僕は思う。彼らは本当の意味で、社会に出てから自分が何者でもないのではないか?といった絶望と不安の入り混じった感情と共に、打ちひしがれたことがあるのだろうか?と。きっと、誰もが羨む倍率が高くて凄い会社に入れたという実績を手にしてしまうと、そこまでは自己否定に落ちないように思う。
何が言いたいのかと言うと、この一見僻みとも思える、内からこみ上げる感情の上手い方向付けをしたいのである。
今後彼らのようにサラブレッドのように生きることはまあ、できない。これは認めざるを得ない。しかし、彼らのような名目的なトップ層と肩を並べて、彼らから一目置かれることは、まだまだこれからの行い次第で、機会が残っている。
奮い立って結果を急ぐ必要はなく、今までと同様に自己と向き合いながらマイペースで生きるべきであるが、少なくとも僕は、30歳になってこのような人々と多々交流していることにかなり運命を感じ、これからの人生で歩みたい方向に向けて、着実にアクセルを踏んでゆきたいと思っている。
果実を取るか経験を取るか。僕は20代は徹底的に後者を選択した。今は間違ったとは思わないが、途中でそれが間違ったと本気で後悔したし、全て犠牲にしてでも必死に這い上がろうともした。幼い頃から何不自由なくアクシデントもなく育った僕には、それが若いうちに必要だった。
そういった意味で、生まれた時から全てプログラムされていたのかもしれないと誰かが言っても、否定はできない。むしろ、必然性を実感しているからこそ、真実味が高い。
僕は今こうやって、過去を穏やかに振り返れる自分自身を誇りに思い、現状にまだまだ満足できない自分に安らぎを覚え、これからの10年の良いスタートが切れたと、こうやって晴れ晴れしい気持ちでいる。
これからの時代は特に、必ずしも何かを敵対視してそれに勝つ必要はないし、それ自身に意味はない。しかし、負けてはならないというのが今強く決心していることだ。
グローバルとか自己研鑽とか時流のテーマじゃなくて。単純に対自分で突き刺さる言葉、それが「負けないこと」夢を持つこと。思いっきり楽しむこと。30歳という節目を迎えた今だからこそ、必要な合言葉である。
スティーブジョブスはスタンフォード大学の卒業式でこう言った。「stay hungry, stay foolish」
これはスタンフォードの卒業生にだからこそ贈った言葉と解釈する。つまり、彼らはハングリーでもフーリッシュでもないのだ。だからこそ、その言葉を贈った。憎いやつだ。
10代や20代じゃないからこそ、かみしめるべき言葉がある。出会える言葉がある。向き合える自分がいる。若いうちは分からなかったが、人生の進路は単に二次元上の線形の動きは取らない。生きていると色んなことがあり、深みが生まれる。深みを傷にするのも、勲章にするのも自分次第だ。
ゲームとして捉えるほど甘くはないけど、真に受けすぎてもそのはかない理想は壊される。僕にとって現在進行形の人生とは、そーいう塩梅な愛すべき代物なのだ。
僕は当時何だか雰囲気が高飛車に感じて、受けもしなかったんだけど、彼らの社会に出てからの初速度や発展性といったら、やはり通常の会社で育つエリートの数倍はパワーもバリエーションもあるように感じる。視野、意識、行動力、コミュニケーション力、いずれも相当高いレベルに若いうちに達する。それだけポテンシャル高い人を摘まんでいるし、日本社会の中の難易度の最も高い経営の第一線で、プロフェッショナルな環境に身を置いていたのだと思う。人の促成栽培だ。
これは僕が取らなかった道であり、彼らが歩んで来た道を素直にとても羨ましく思う。
でも僕は思う。彼らは本当の意味で、社会に出てから自分が何者でもないのではないか?といった絶望と不安の入り混じった感情と共に、打ちひしがれたことがあるのだろうか?と。きっと、誰もが羨む倍率が高くて凄い会社に入れたという実績を手にしてしまうと、そこまでは自己否定に落ちないように思う。
何が言いたいのかと言うと、この一見僻みとも思える、内からこみ上げる感情の上手い方向付けをしたいのである。
今後彼らのようにサラブレッドのように生きることはまあ、できない。これは認めざるを得ない。しかし、彼らのような名目的なトップ層と肩を並べて、彼らから一目置かれることは、まだまだこれからの行い次第で、機会が残っている。
奮い立って結果を急ぐ必要はなく、今までと同様に自己と向き合いながらマイペースで生きるべきであるが、少なくとも僕は、30歳になってこのような人々と多々交流していることにかなり運命を感じ、これからの人生で歩みたい方向に向けて、着実にアクセルを踏んでゆきたいと思っている。
果実を取るか経験を取るか。僕は20代は徹底的に後者を選択した。今は間違ったとは思わないが、途中でそれが間違ったと本気で後悔したし、全て犠牲にしてでも必死に這い上がろうともした。幼い頃から何不自由なくアクシデントもなく育った僕には、それが若いうちに必要だった。
そういった意味で、生まれた時から全てプログラムされていたのかもしれないと誰かが言っても、否定はできない。むしろ、必然性を実感しているからこそ、真実味が高い。
僕は今こうやって、過去を穏やかに振り返れる自分自身を誇りに思い、現状にまだまだ満足できない自分に安らぎを覚え、これからの10年の良いスタートが切れたと、こうやって晴れ晴れしい気持ちでいる。
これからの時代は特に、必ずしも何かを敵対視してそれに勝つ必要はないし、それ自身に意味はない。しかし、負けてはならないというのが今強く決心していることだ。
グローバルとか自己研鑽とか時流のテーマじゃなくて。単純に対自分で突き刺さる言葉、それが「負けないこと」夢を持つこと。思いっきり楽しむこと。30歳という節目を迎えた今だからこそ、必要な合言葉である。
スティーブジョブスはスタンフォード大学の卒業式でこう言った。「stay hungry, stay foolish」
これはスタンフォードの卒業生にだからこそ贈った言葉と解釈する。つまり、彼らはハングリーでもフーリッシュでもないのだ。だからこそ、その言葉を贈った。憎いやつだ。
10代や20代じゃないからこそ、かみしめるべき言葉がある。出会える言葉がある。向き合える自分がいる。若いうちは分からなかったが、人生の進路は単に二次元上の線形の動きは取らない。生きていると色んなことがあり、深みが生まれる。深みを傷にするのも、勲章にするのも自分次第だ。
ゲームとして捉えるほど甘くはないけど、真に受けすぎてもそのはかない理想は壊される。僕にとって現在進行形の人生とは、そーいう塩梅な愛すべき代物なのだ。
今日、出展形式でたくさんのスタートアップの話を聞く機会があったのだが、こういう新しいサービスやプロダクトを知ることは楽しいことではあるが、すげー疲れた。。
とかく、色んな願望や欲望の波動を持っている人と交流しなきゃいけないもんだから、エネルギーを吸い取られる。しかし、その中に光る原石があるのではないか?という一抹の想いを持ち、がんばって出掛けたのである。
まあ、結論から言うと、予想していた通りレベルは総じて高くなかった。偏差値で言うと45から50までが一番多い感じだ。その割りになんだか意識と自尊心が高い系の登壇者が多く、僕としては、げんなりという感じだ。
経営者の素質、市場創出性(新規性)、ビジネスモデルや技術の優位性、のみっつくらいで見ていた。
ちなみにだが、この業界で、経営者を見る時にある良く当たるフレームがある。それは、①親が事業をやっている②若い頃に失敗をしている。この2点があれば成功確率は高いと言われている。前者は幼い頃から事業家の動きを見ているとサラリーマンのような価値観がしみつかないということで、後者は小頭が良い人は大きなリスクを取ろうとしないので、失敗する=ゼロやマイナスから挽回する成長機会を失うという言い分である。
未来のことはわからない。とくにこの業界ではそれが良く当てはまる。今はしょぼいことをやっていても、数年後には面白いネタを見つけて勝負しているかもしれないし、逆にチャンスは開けていたのに、それに乗り切れなかったベンチャーは山程いる。
そうなると頭で考えてはダメだ。絵画を鑑賞するように、感覚で捉えた方が的確に本質を掴めることがある。かと言って、理性的に市場や、戦略や技術を評価しないで投資なんて出来ない。
そして一番肝心なのは、ベンチャー市場や証券市場、世界の政治経済の読みやVCとしての経営戦略である。仕事としてベンチャーを評価することは当然だが、自分たち投資家のある市場を細かに見つめていないと踏み外す。ベンチャーを評価して投資して育成することら必要条件であって、十分ではないのである。ここは、プロの投資家としての力量が問われる。
ここが一番楽しいところでもあり、難しいところでもある。VCとは金融機関の中でも特殊で、プロの投資家とプロの経営者の両方が揃って成り立つ。かつ、目利きもできないといけない。これらを同時に併せ持つ人は本当にいるのだほうか?と思えるほどだ。チームプレーしかないだろう。
今日は疲れたものの、本当に学ばせてもらえる環境だとつくづく感じだのであった。、
とかく、色んな願望や欲望の波動を持っている人と交流しなきゃいけないもんだから、エネルギーを吸い取られる。しかし、その中に光る原石があるのではないか?という一抹の想いを持ち、がんばって出掛けたのである。
まあ、結論から言うと、予想していた通りレベルは総じて高くなかった。偏差値で言うと45から50までが一番多い感じだ。その割りになんだか意識と自尊心が高い系の登壇者が多く、僕としては、げんなりという感じだ。
経営者の素質、市場創出性(新規性)、ビジネスモデルや技術の優位性、のみっつくらいで見ていた。
ちなみにだが、この業界で、経営者を見る時にある良く当たるフレームがある。それは、①親が事業をやっている②若い頃に失敗をしている。この2点があれば成功確率は高いと言われている。前者は幼い頃から事業家の動きを見ているとサラリーマンのような価値観がしみつかないということで、後者は小頭が良い人は大きなリスクを取ろうとしないので、失敗する=ゼロやマイナスから挽回する成長機会を失うという言い分である。
未来のことはわからない。とくにこの業界ではそれが良く当てはまる。今はしょぼいことをやっていても、数年後には面白いネタを見つけて勝負しているかもしれないし、逆にチャンスは開けていたのに、それに乗り切れなかったベンチャーは山程いる。
そうなると頭で考えてはダメだ。絵画を鑑賞するように、感覚で捉えた方が的確に本質を掴めることがある。かと言って、理性的に市場や、戦略や技術を評価しないで投資なんて出来ない。
そして一番肝心なのは、ベンチャー市場や証券市場、世界の政治経済の読みやVCとしての経営戦略である。仕事としてベンチャーを評価することは当然だが、自分たち投資家のある市場を細かに見つめていないと踏み外す。ベンチャーを評価して投資して育成することら必要条件であって、十分ではないのである。ここは、プロの投資家としての力量が問われる。
ここが一番楽しいところでもあり、難しいところでもある。VCとは金融機関の中でも特殊で、プロの投資家とプロの経営者の両方が揃って成り立つ。かつ、目利きもできないといけない。これらを同時に併せ持つ人は本当にいるのだほうか?と思えるほどだ。チームプレーしかないだろう。
今日は疲れたものの、本当に学ばせてもらえる環境だとつくづく感じだのであった。、
うちのファンドにアメリカ人のphD.(医学、免疫学)が新たにメンバーに加わった。何かと新鮮である。
以前、NHKのTVプログラムで英語も教えていたようで、当然だが、とても文法的に丁寧な英語を操る。
何より、仲間が増えることは楽しいことだ。それが嫌味がないインテリだったり、一芸を持つ人だったら尚更楽しい。
よく多様な価値観、ダイバーシティが必要だと言われる。もちろん賛成なのだが、日本社会でビジネスをする場合、モラルや気遣いの2点に関しては、近い感覚を持っていた方が良いというのが、僕の今の考えである。
まずモラルがずれていると、思わぬトラブルが発生し続ける。文化の違いによる差異から生まれるトラブルのリスクについては、時間をかけて潰す(学習してもらう)ことができる。しかしモラルがずれていると矯正が難しい。絶えずリスク管理に追われ、保守的なマネジメントをしなくてはならない。
そして、気遣いのレベルであるが、これは重要である。日本人は良い結果を出すために、互いに気を遣いながら、他人との距離と相違点を推し量り、結論を導いていく傾向がある。これに合われられる人でないと厳しい。
日本人がアウェイな環境に適用するならば話は別だが、そうでない場合、いかに日本のルールに沿って新しい風を吹かせるかが大事である。完全に壊そうとすると議論の品質を失う。なので根気強く緩やかに提案し続ける性質わ要するのだ。
そういった意味で、この2点を挙げた。もしかしたら、このような混在の先に、新たな日本流のビジネスカルチャーがあるのかもしれないと思っている。
以前、NHKのTVプログラムで英語も教えていたようで、当然だが、とても文法的に丁寧な英語を操る。
何より、仲間が増えることは楽しいことだ。それが嫌味がないインテリだったり、一芸を持つ人だったら尚更楽しい。
よく多様な価値観、ダイバーシティが必要だと言われる。もちろん賛成なのだが、日本社会でビジネスをする場合、モラルや気遣いの2点に関しては、近い感覚を持っていた方が良いというのが、僕の今の考えである。
まずモラルがずれていると、思わぬトラブルが発生し続ける。文化の違いによる差異から生まれるトラブルのリスクについては、時間をかけて潰す(学習してもらう)ことができる。しかしモラルがずれていると矯正が難しい。絶えずリスク管理に追われ、保守的なマネジメントをしなくてはならない。
そして、気遣いのレベルであるが、これは重要である。日本人は良い結果を出すために、互いに気を遣いながら、他人との距離と相違点を推し量り、結論を導いていく傾向がある。これに合われられる人でないと厳しい。
日本人がアウェイな環境に適用するならば話は別だが、そうでない場合、いかに日本のルールに沿って新しい風を吹かせるかが大事である。完全に壊そうとすると議論の品質を失う。なので根気強く緩やかに提案し続ける性質わ要するのだ。
そういった意味で、この2点を挙げた。もしかしたら、このような混在の先に、新たな日本流のビジネスカルチャーがあるのかもしれないと思っている。
昨晩は起業した友人のサービスリリースパーティへ代官山へ。昼は春のうららかな陽気だったのに、夜はうってかわって、気温が下がり、爆風も吹いていた。そのため風邪を引いた。。
パーティ自体はとても良く、あつまっている人たちもいわゆる国際的な一流な組織に所属する人ばかりであった。さすが、昔から良い意味で出る杭であった友人S君である。
社交的な場では、通常より少しテンションとリアクションを上げて、いつもはあまり話しかけないのだが、当たり障りのない質問や独り言ともとれる会話をするようにしている。そして何か質問されても、卑屈すぎず、自負を持ちすぎず、短めにサッパリ答えるようにする。
僕は自分で言うのもナンであるが、人からはわかりにくいものの、年齢の割りには様々なベクトルの経験をしていて、自分と他者の間の情報の非対称性が解消されれば、そこそこに面白い人間であるとほとんどの人がおもってくれると思っている。調子に乗っているつもりはないが、それが僕の自己に対する自己愛というか、モチベーションのようなものだ。
いろんな側面が集結して初めてその面白さが伝わるのだが、それを全部プレゼンするのは時間もかかるし、全部分かってもらおうとすると、欲と言うか必死さがでてしまい、あまり真意が伝わらない。
要するに、こんなことを思っているので、いつまでもわかりにくい自分から脱することができず、放置したまんまになっている。
でも、思うに、必ず内面は結晶化して外側に反映されてゆくので、外側によって誤解などが生まれ不利にならないことだけは一応考え、あくまでも内面の深さ、大きさ、強さを磨いてゆき、結晶化を待つというのが、僕の暫定的な考えだ。
・・・今後いろんな交流が増えて行く中でスタンスが変わるかもしれないけども。
パーティ自体はとても良く、あつまっている人たちもいわゆる国際的な一流な組織に所属する人ばかりであった。さすが、昔から良い意味で出る杭であった友人S君である。
社交的な場では、通常より少しテンションとリアクションを上げて、いつもはあまり話しかけないのだが、当たり障りのない質問や独り言ともとれる会話をするようにしている。そして何か質問されても、卑屈すぎず、自負を持ちすぎず、短めにサッパリ答えるようにする。
僕は自分で言うのもナンであるが、人からはわかりにくいものの、年齢の割りには様々なベクトルの経験をしていて、自分と他者の間の情報の非対称性が解消されれば、そこそこに面白い人間であるとほとんどの人がおもってくれると思っている。調子に乗っているつもりはないが、それが僕の自己に対する自己愛というか、モチベーションのようなものだ。
いろんな側面が集結して初めてその面白さが伝わるのだが、それを全部プレゼンするのは時間もかかるし、全部分かってもらおうとすると、欲と言うか必死さがでてしまい、あまり真意が伝わらない。
要するに、こんなことを思っているので、いつまでもわかりにくい自分から脱することができず、放置したまんまになっている。
でも、思うに、必ず内面は結晶化して外側に反映されてゆくので、外側によって誤解などが生まれ不利にならないことだけは一応考え、あくまでも内面の深さ、大きさ、強さを磨いてゆき、結晶化を待つというのが、僕の暫定的な考えだ。
・・・今後いろんな交流が増えて行く中でスタンスが変わるかもしれないけども。